目指すもの
代表取締役社長 大井建史
この所、秋の日本酒を楽しむ会などが続き、六週間ぶりとなる休日に家内と二人、パーコレーターとガスコンロ・椅子を車に積んで法体の滝まで読書に行くと、何とも清々しく気持ちの良い秋を体感できました。
鳥海山には初冠雪が見られ山々も色づき始め、新米の入荷が始まります。いよいよ酒造りの季節がやって来ました。天寿酒造創業以来百四十回目の酒造り、私は社長になって十五年目、そして秋田県最年少一関杜氏の二造り目が始まります。
杜氏を中心とした蔵人と酒造り前の「頭固め」として、酒造計画の説明と宴会も済ませました。計画については杜氏とじっくり時間をかけて練って参りました。酒米研究会のメンバーである蔵人に今年の酒米の出来について聞きましたが、夏の研究会で心配されたバラつきはあるものの平均的な質には成っているようです。しかし、世間の飯米の値下がりとは関係なく、契約栽培の原料米については昨年よりかなりの高値で、酒造好適米については相当の不足となります。
酒造協同組合の原料米対策委員長を務めて六年。兵庫県の山田穂の誕生の地である多可町に山田錦の秋田村を作り、初の酒造組合との村米制度(強固な契約栽培)をはじめて三年。一般かけ米(地域流通米)も県内農協と契約栽培とし、弊社だけでなく秋田県の造り酒屋全てが契約栽培米を使用する事で、これまでよりも農家との結び付きが強くなりました。
天寿では、この四年で社員五名が定年等で退職し、十月から採用の営業部長を含め社員三名・パート三名・再雇用一名。来春には一名定年退職となり、製造の正社員の一名採用が決定しています。蔵人も三人が若者に変わりました。
長年にわたり、酒質の向上・社員の多能工化・天寿酒米研究会の充実、何より誰もがチーム天寿の一員として、自分で考え提案して行動できる集団になり「一丸体制」を実現する事を目指してきましたが、海辺に子供が作った砂山のように、出来ては崩れまた積み上げて行くという繰り返しです。しかし、平均年齢が若返る事により、それは空しい事では無く、会社のアンチエイジング・若返りだなと思えて来ました。
今年「新しい杜氏で心配したが、良い酒ができて良かった」と多くの方にお声をかけていただきました。勿論、杜氏も精一杯頑張りましたが、それを支えてくれた蔵人をはじめとする社員全員の成果だと思います。今年も純米大吟醸鳥海山のISC金賞をはじめ、多くの賞を頂くことができました。本当に有難く思います。
百四十回目の酒造り、業界は大きな潮目に来ている感がありますが、ここで新しいメンバーと共に懸命に努力し、私どもが目指す「地元で出来る最高の日本酒」の実現に邁進して参ります。
天寿の歴史
補 遺-24
補遺―24
丹波杜氏鷲尾久八ー三
六代目 大井永吉
鷲尾は先述したように、明治二十三年に矢島酒造組合に勤務した後、二十五年から四十年にいたる間県内各地酒造場で杜氏として灘の技術を導入し、また後継者の教育育成に努めたが、特に矢島の酒造家のように改良組合を設けて指導を受けたところは無かったようだ。矢島では個別にも須貝太郎藏、武田源吉、大井源一郎酒造場に選任或いは兼任杜氏として勤務している。(秋田県酒造史)
明治三十年に大井源一郎酒造場が勤務を依頼したことに対し報酬や条件などを述べてきた手紙が保存されているので、なるべく原文に忠実に内容を記述してみる。
本日二十日御差出の貴墨正に到着、拝見仕り候。貴翰の如く暑気未だ去り難く候所、御満堂様益々健勝の由、上賀奉り候。
陳者、今般酒造御改良に付いては御懇切に御申し下され、有難く、実は小生も多忙に候得共、去 他に相当の者も之無く、付いては御懇切に御申し下され候義に候間、繰言、小生罷り出候亊を承諾仕り候に付き、何分宜敷く御依頼申し上げ候。付いては左の通り御承引置き下され度。
一、給料、旅費ともにて、先三ヶ月と見做し、百六、七拾圓申受け度く候間、御承引下され候哉。御回答下され度、尤も其の内前金に七拾円計り申し受け度く候。
一、出張の季節は新暦十一月中旬の出立と致し候はば適当と相考へ申し候。
一、右御承諾下され候はば、直ちに御回答を相受け次第、今般御申越しの器械等の義は申し上べく候。
右之通りに付き、三か月と見做にも何かれ往返の日数も相掛り候義に付、其余数日は相掛り候義と御承引下され、何分の義、御回答待ち奉り候義也。
明治三十年 八月廿九日
摂津國有馬郡小野村之内丹子村
鷲尾久八
大井源一郎様
指導依頼に対し、多忙だが他に適当な人もいないので自分が行くが、三ヶ月で百六拾~七拾円頂きたいし、前金に七拾円申し受けたい。承諾してもらえれば、お尋ねの器械等のことは教えましょうとの回答である。