初 心
代表取締役社長 大井建史
四月初めの大風害により、育苗のビニールハウスに被害を受けた影響で田植えは一週間ほど遅れましたが、その後晴れの続く過ごしやすい日々が続き、稲の生育も挽回したようです。
秋田では先日16年ぶりに清酒の売り上げが1.3%増で「落ちなかった」と言う記事がローカル紙の一面を飾りました。昨年の同じ月に秋田・山形は復興支援の影響が無いと私は寂しげに書いていましたが、県内消費が悪いなか平均でプラスになれたのは、やはり「がんばれ東北」のご支援の賜物と心から感謝申し上げます。
しかし業績については、残念ながら我社もご他聞に洩れず、県平均と不思議なほど同じような推移をたどっており、社長就任13年目で初めて4~3月で100%を金額で超え、思わず長かった冬がと思いかけましたが、決算期は10~9月ですので予断は許さないと気を引き締めているところです。
さて、近年IWCの金賞を初め数々の賞を頂きました「純米大吟醸鳥海山」ですが、今年もワイングラスでおいしい日本酒アワード最高金賞・IWC銀賞を受賞し、お陰様で大変ご好評を頂いております。
特に今年に入り輸出は順調で、円高やギリシャの状況を心配しながらもありがたく思っておりました。地元でも「純米大吟醸鳥海山」につきましてはご好評を頂き、この所急に出荷が増えて参りました。
今年の酒造りでも鳥海山は120%を超える強気の計画で醸造しておりましたが、私共の予想を超えるご拡売を頂き、急ぎ実績・在庫確認の結果、昨年の6月から12月の販売実績を在庫が割り込んでしまった事が判明しました。
何と言いましてもまだまだ元の数字が小さく、変化へ対応できる実力が伴いません。極力皆様にご迷惑をお掛けしないよう、6月から計画出荷をさせて頂く事に致しました。新酒は本年12月後半には出荷できるよう鋭意努力致しますので、事情ご賢察頂きご高配賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
初心に戻り気を引き締める為に、社長就任時の方針を読み直しました。2000年の所信からここに一節を引用させて頂きます。
世界に通用する名醸蔵を目指し、お客様は常に正しいと認識し、会社の、或いは自分の有るべき姿を求め、自信と誇りの持てる仕事をするために、現在の天寿の歴史を担う一人として「今」自分に何が出来るのか良く見つめてほしい。なぜなら「今」は、思いが問われる時代・本気が問われる時代だからだ。近所のいつものお客様に一から細やかにお応えし、喜んでいただける事を確認しながら、精度を上げてその環を広げて行こう。テクニックなどではない。喜んで頂けるお客様がいる事、それが有るべき姿である。広く浅くは我社の求める姿ではない。どこまでも深く濃い付き合いの出来る、信頼される酒蔵を目指す。
宜しくお願い申し上げます。
天寿の歴史
補遺―16
補遺―16
明治十一年其の二
六代目 大井永吉
西南戦争も一段落を遂げ世の中も落ち着きを見せてきて売上の見通しが上がったのか、この年の二月末に製造の増石願をだしている。すぐに聞き届けられ、そのための酒槽開封願、清酒醸造見込届、酒槽滴量取調書を提出、さらに酒相場書き上げ等、三月は酒造家にとって大変忙しい月であったことを物語っている。
製 酒 醸 造 増 石 願
一見込石 五石
右之通、増石醸造仕度奉願候間、御許容被成下度奉願上候 以上
明治十一年二月二十四日
第四大区三小区
城内村二百二十番地
大井永吉㊞
秋田県権令 石田英吉代理
秋田県少書記官 白根専一殿
前書之通相違無之、依而奥印仕候 以上
(朱書)
書面願之趣聞届候事
明治十一年三月一日
秋田県権令 石田英吉
酒 槽 開 封 願
酒槽壱個四石四斗滴 但二日之間
此諸味 五石五斗
此滴石 六拾七石
右者、袋洗ニ付休日七日見込ニ而、本月十九日より四月二十四日迄三十七日間、夏酒槽掛仕候間開封被成下度候 以上
第四大区三小区城内村
大井永吉㊞
明治十一年三月十八日
第四大区三小区城内村首部
事務処 御中
清 酒 醸 造 見 込 御 届
一玄米 八拾石
此醸造石 八拾石
内
新酒 弐拾石
夏酒 六拾石
右者、明治十年より十一年九月迄壱期分醸造見込石数前書之通相違無御座候、此段御届申上候以上
第四大区3小区
城内村弐百七番地
大井永吉㊞
明治十一年三月二十九日
秋田県権令 石田英吉殿
酒 槽 滴 量 取 調 書
巾 四尺九寸五分
酒槽壱個 長 二尺九寸
深 二尺七寸
此滴量 四石四斗
右之通、従来所持之分ニ而滴量書面之通相違無是候 以上
第四大区三小区城内村
大井永吉㊞
明治十一年三月
第四大区三小区城内村首部
事務処 御中
酒 相 場 書 上
明治十一年二月上酒酒相場書上
二月一日より廿八日迄
小売壱升ニ付 金五銭四厘
右、上酒貞価書面之通相違無御座候 以上
明治十三年三月
第四大区三小区城内村
大井永吉㊞
秋田県権令 石田英吉代理
秋田県少書記官 白根専一殿