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蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

限界は自分の心の中にある
2011-11-01

限界は自分の心の中にある

代表取締役社長 大井建史

地元の稲刈りも終了し、138回目の酒造りが始まりました。今年は蔵に地元農家後継者の若手二人を迎え、新たな挑戦の始まりです。

米の作柄は平年並みと予測されていましたが、地元の状態は少し収量が落ち、米の状態も必ずしも良くないようですが、精米も開始し慎重に状態を見ているところです。

秋田県は今年の震災による原発事故の為、県全域で農産物の放射能検査を行い、安全宣言を致しました。米の方も収穫米の全域検査を行っており、心配な状況は出ておりません。仕込み水についても、「鳥海山自然水」も販売しておりますので自主検査いたしましたが、検出されておりませんのでご安心頂きたいと存じます。

昨年は米の高温障害の影響で原料処理には大変苦労致しましたが、その甲斐あってか賞には大変恵まれました。全国新酒鑑評会金賞受賞に始まり、世界的に権威のあるIWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)でも純米吟醸鳥海山が金賞を受賞し、現在11の在外日本大使館からご注文を頂いております。在外公館でご使用いただく事を想像すると、何だかとても誇らしく思います。

九月初旬、出張で移動中に友人からの電話で「今ミヤネ屋見てる?凄いね新首相が天寿飲んでるんだぁ。」何の事かと確認したらテレビで新首相の特集をして、地元で良く行く秋田料理の「かまくら」さんで、天寿本醸造を来られる度に四合以上飲んで頂いている酒豪との報道だったとの事。

苦節12年の社長業ですが、「これで天寿も伸び始めるか!?」と思ってしまうほど、恵まれてきたと勘違いしたくなるようなサプライズが続きました。

4年におよぶ改善と設備投資により、杜氏も製造環境がかなり整い現況では納得の様子です。後は目指す方向がぶれない事と油断無く目標品質をキチンとクリアし続けること。だからと言って今の環境や酒質に満足はしておりませんが、今掴みかけている一つ上の品質が少し見え始めた気がしております。「これ以上は」とか「これで良し」と思った途端に自分の限界を作ってしまいますよね。

ある番組でもう駄目だと言ったとき、「それはあなたの心の中にあることでしょう」と言われ勇気を持ったというお話がありました。

50才を過ぎると30才の頃には予想しなかった色々な事が起きますね。又、びっくりする位に体力が落ち、中々疲れが取れなくなります。しかし、まだまだ日本酒業界は底が見えない状態ですし、弊社ももちろん道半ば。前に進み続けなければなりません。

ただ、自分は一人でやっているわけではありません。共に挑戦する社員と我社を支えて頂いている皆様と共に進んでいると考えると、勇気が湧いてまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

天寿の歴史

補遺―12

補遺―12

麹室営業申請

六代目 大井永吉

創業三年目の酒造を百石の見込みから、途中で約六十石にまで減石してはいるが、事業がどうやら軌道に乗ったと判断した二代目永吉は、明治九年八月「醔麹営業願」、「麹室営業願」など次々に申請し、何れも「書面願之趣聞届候事」で通っている。醔麹営業の税金は七拾銭で鑑札を得られたし、麹室営業には税金参拾銭を県税の係へ納めて鑑札を得たようだ。そして明治九年の酒造見込石は慎重に漸増策をとって八拾石としている。

醔 麹 営 業 願

是迄私儀 醔麹営業罷在候処、今般第弐百九拾弐番御触示ニ拠リ、一郡免許税金七拾銭即時上納仕候間、御許可之上営業鑑札御下渡被下度、此段奉願候  以上

第四大区三小区由利郡城内村

弐百拾弐番地

大 井 永 吉 ㊞

明治九年八月廿三日

秋田県権令 石 田 英 吉 殿

前書之通相違無之、仍而奥印仕候

戸長 竹 村 秀 高 ㊞

(朱書)

書面願之趣聞届候事、

但、税金七拾銭県税係へ相納、鑑札受取方税則係へ可申出候事

明治九年九月五日

秋田県権令 石 田 英 吉 ㊞

麹 室 営 業 願

私儀麹室営業罷在候処、今般弐百九拾弐番御触示ニ拠リ、営業税金参拾銭即時上納、室税之儀御規則之通年々八月中収納仕候間、連年営業許可之上鑑札御下渡被下度、依之坪数、器械員数調書相添此段奉願候        以上

第四大区三小区由利郡城内村

弐百拾弐番地

大 井 永 吉 ㊞

明治九年八月廿三日

秋田県権令 石 田 英 吉 殿

前書之通相違無之、仍而奥印仕候

戸長 竹 村 秀 高 ㊞

(朱書)

書面願之趣聞届候事

但、税金三拾銭県税係江相納、鑑札請取方税則係江可申出候事

明治九年九月七日

秋田県権令 石 田 英 吉 ㊞

製 酒 見 込 石 御 届

一清酒  八十石

但、新酒、夏酒共

右者当十月ヨリ来明治十年九月マテ一期間醸造製酒見込石数ニ御座候間、此段御届申上候   以上

第四大区三小区由利郡城内村

弐百五番地

営業人 大 井 永 吉 ㊞

明治九年十月廿六日

秋田県権令 石田英吉 殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候

戸長 竹 村 秀 高 ㊞

(朱書)

書面之趣聞置候条、来十一月廿日迄槽掛日限見込可申出候事

明治九年十月廿日

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県七等出仕 白 根 専 一 ㊞

2011-09-01

代表取締役社長 大井建史

東日本大震災以来、日本全国で「絆」という言葉が多く語られるようになりました。被災規模に対して十分かどうか等は別にして、有志の皆さんのご活躍や想いを見るにつけ目頭が熱くなります。30代だった阪神大震災のときと比べ、自分の腰の重さも大いに感じました。性善説を信じたくなる話が多く報道されましたが、一部にはやはり性悪説的事件の発生に心を痛める話も多々あったようです。

世界中の支援を頂きながらも、予想された大変厳しい経済状況の中で、我々東北はもちろん日本全体に更なる追い討ちをかけるような国内政治の混迷や、アメリカ国債の格付け下落に伴う極端な円高・株安の中で、生き残りをかけた活動が必要となりました。

弊社は今年お陰様で百三十八年目の酒造りを行う事になります。当たり前のように毎年の事として行われてきましたが、私が帰ってからの二十六年間でさえ、考えてみれば自分にとっての予想外・驚天動地・心臓が止まるような思いがあった事を思いだします。そして、その心臓が止まるかの様な感覚は、思い返すと絆が切られたときに感じるのではないでしょうか。

特にこの十数年で販売数量は激減し、全国的な日本酒の動向も似たようなものですが、良くもこの縮小に耐えられたものだと思います。

社内の製造も営業も詰口も全て自分の仕事として向かえるように社員の多能工化を目指し、全社一丸体制を目指してまいりました。ワークシェアリング的な考え方と、能力給的な考えを併用して考え、何とか均衡縮小を図ってきたつもりです。

『俺が俺がの「が」を捨てて、お陰お陰の「げ」で生きよ』や『次工程はお客様。仕事は「はい、喜んで」と受けましょう』という心のあり方を標榜しますが、常にその心を持ち続けるのは大変です。

会社での仕事は、社会人としての人生を最低でも三分の一懸けるわけですから、それぞれの人生の中でその内容や質は大変重要な問題です。何より当然自分の生活の為の給料が絡むわけですから、会社の業績や昇給はある意味最も大切な事です。

会社のすべての事についての最終責任は社長にあります。社員20数名の会社であってももちろんそれは変わりません。

何とかやって来れたのも、一緒に頑張ってくれる社員がいるからです。解雇等をせず自然減(定年退職)を待てたのも社員の理解と協力のお陰です。

これも、絆と呼べるものだと思います。

天寿酒造ではさらに皆様との絆を大切に、品質の更なる向上を目指しながら、頑張ってまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

天寿の歴史

補遺―11

補遺―11

創業時の提出書類(三)

六代目 大井永吉

酒 造 桶 書 上

一酒造桶  五本

第四大区三小区由利郡城内村

稼人 大井永吉

千印二

口径 五尺八寸

桶    底径 五尺三寸五分

深サ 五尺五分

鶴印壱

口径 五尺八寸四分

桶    底径 五尺三寸八分

深サ 五尺一寸七分

年印

口径 5尺八寸

桶    底径 5尺三寸五分

深サ 5尺五寸一分

無番 当夏新ニ出来候得共未タ

醸造セス

口径 五尺八寸四分

桶    底径 五尺三寸五分

深サ 五尺八分

無番

口径 四尺九寸

桶    底径 四尺五寸

深サ 四尺一寸六分

右之通、奉書上ケ候処相違無御座候、以上

第四大区三小区

由利郡城内村

明治八年      大井永吉

秋田県権令  石田英吉殿

先号に記述した、明治九年の醸造元石を百石に増やす申告に従い、その仕込みのために桶を五本新調したようである。その他不足の設備を整えつつ、明治八年の末から造りに入ったが、準備に大きな見込み違いが生じたようである。

製酒醸造見込石減石ニ付御届

一醸造石 百石 明治八年十月中見込醸造石

御届高

拾三石弐斗   新酒醸造高

四拾四石    夏酒醸造高

小以五拾七石弐斗

残  四拾弐石八斗 減石高

右之通、醸造石百石製酒仕候見込ヲ以明治八年十月中御届申上置候処、器械不取揃ニ付前書之通醸造高減石仕候ニ付、此段御届申上候、以上

第四大区三小区由利郡城内村

大井永吉㊞

明治九年二月十四日

秋田県権令 石田英吉殿

これは前年の十月、醸造石百石製酒の見込みで届け出はしたけれども、器械が揃わないので予定どおり醸造することができないから醸造高を減石するという届けである。

二月半ばの届け出だが、既に限界まで造ってしまったのでないか、何が原因で間に合わなかったのかは明らかでないが、同じ日付で槽入石併ニ員数書上という酒槽(さかふね-醪を搾る器械)の寸法と入石の申告がなされており、更に二月中に三本の酒造桶新調書上が出されているので、その辺が問題であったように思われる。何れにせよ大きな誤算であったに違いない。

船頭多くして船山に登る
2011-07-01

船頭多くして船山に登る

代表取締役社長 大井建史

震災から三ヶ月が経ち、未だに癒えぬ傷跡や全く見通しのつかない原発の被害を受けている皆様には慰めの言葉もありません。どんな安全基準で原子力発電を実施したのでしょう。事故があると制御不可能で、後遺症が土地にも人間にも残り治癒出来ない。被爆国でありながら、よくパンドラの箱と言われる原子力を安全と言い切ったものだと思います。

6月24日に今度は矢島町の降雨量が観測史上最大を記録し全国ニュースに成りました。夜中も寝れない程の雨音で「これは尋常ではない」と感じましたが、案の定一本しか通っていない国道の南は土砂崩れ、北は冠水で鳥海山麓線・JRとも止まり一時陸の孤島となりました。現在これも矢島町観測史上最深だった雪による被害をあちらこちらと修繕中で、予想外の雨漏り等が発生し、てんやわんやの状態でした。

この所各地の同業者から「東北だから売り上げ良いでしょ」とよく言われます。全国の皆様のご支援により直接被害を受けた県のお酒は随分と販売出来た蔵もあるようですが、二次被害は別にして、揺れによる直接被害が少ない秋田や山形は太平洋側とはハッキリと区別されてしまった様です。震災後、地元消費が異様に厳しい東北の蔵としてはうらやましくもありますが、東北だからと日本海側まで羨ましがられるのは困ったものです。

しかし、嬉しい話もあります。この所弊社は受賞ラッシュ??の感があります。今年初めて行われた「ワイングラスで美味しい日本酒アワード」で天寿米から育てた純米酒が720ml1300円以下の部で最高金賞・それ以上の部で純米吟醸鳥海山が金賞を受賞。次にインターナショナル・ワイン・チャレンジ2011(於ロンドン)純米吟醸鳥海山金賞受賞・大吟醸「鳥海」銀賞・天寿米から育てた純米酒銀賞・天寿古酒大吟醸銅賞と出品酒全品入賞。全国新酒鑑評会金賞受賞、インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション(於ロサンゼルス)純米吟醸鳥海山金賞受賞など目白押しです。

外国でのコンテスト受賞が多い中、原発事故により海外での和食・日本酒の販売が厳しい時期なのが大変残念です。世界中何処の国でも世界中の料理が食べられるのに、風評被害とは言え今和食を食べに行こうという人は激減しています。その様な中、レディー・ガガのファッション等は私には難解ですが、長期滞在してその安全性をアピールしてくれる日本への愛情には心から感謝を覚えました。震災以来私の涙腺は壊れておりますが、まだまだ治りそうもありません。

と同時に日本という国は情けない限りです。山に登ってしまった日本丸は危機的状況です。我々が選んでしまった政治家は、国とは何か・リーダーシップとは何かを何処に忘れて来たのでしょう。今のままでは首相が変わったところで期待も出来ません。批判・評論で済む話ではありませんが・・・。

天寿の歴史

補遺―10

補遺―10

創業時の提出書類(二)

六代目 大井永吉

明治七年分酒造税納付

一清酒元石二十七石

此生酒二十六石六斗六合

但壱石ニ付七斗五升三合六タリ

此代金弐百四十九円五厘六毛

但一石ニ付九円三十五銭九厘

此五分税十弐円四十五銭三毛

内金五円五十銭

四月廿四日 上納

さし引越

金六円九五銭三毛

八月廿五日 上納

右之通相違無之候也

明治八年乙亥八月廿日

補遺―8で記した最初の造りの酒造税納付である。前に述べているように、当時の酒税は造石税で、造られた生酒の量に課税される制度で、味も良くアルコール濃度も高い、良く割水の効く酒を造れば量を増やせるので儲かる仕組みになっていた。

但し売れなくても造った分の税金は納めなくてはならないので辛い面はあったが、届けにあるように四月と八月に分納が可能だったようだ。

示達で示される生酒一石の代金に対して税率は五分税(5%)である。代金とは基準価格なのか又、その額が年前の示達と変わっているが理由は不明である。

現行の税制では一石に付二万一千円となる。ただし移出課税制度なので、出荷した(売れた)量に課税される。(酒税・清酒―アルコール22度未満で1klあたり12万円。以前はアルコール分1度ごとに酒税率が上下していたが2006年より酒税率の均一化が施行された。)

納税はその月の出荷量に応じた税額を申告し、翌々月末までに納付する制度になっている。

清酒醸造元石御届書

明治九年分

一元石百石

右之通、醸造仕度此段御届申上候、 以上

秋田県第四大区三小区羽後国由利郡城内村二百五番屋敷居住

稼人 大井永吉㊞

明治八年十月二十八日

秋田県権令  石田英吉殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候

副戸長 土屋貞蔵㊞

翌年の製造計画の申告である。売れ行きがよかったのか一挙に三倍の増量になっている。醸造高申告には酒税徴収のためか戸長の証明が必要だったようだ。

【戸長】こ-ちょう

明治前期、地方行政区画の区や町村の行政事務をつかさどった役人。明治5年(1872)の大区・小区制下では小区の長として置かれ、従来の庄屋・名手などから選ばれた。同22年町村制施行により廃止。今の町・村長にあたる。

酒に十の徳あり
2011-05-01

酒に十の徳あり

代表取締役社長 大井建史

このたびの東日本大震災により、亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆さまに謹んでお見舞いを申し上げます。

今年の酒造りは、高温障害の原料米に悩み、観測史上最深の降雪による雪害の対応に追われながらも、やっと雪が一息ついた所に今回の大震災が襲いかかりました。

弊社は8本入りP箱三段積みのお陰か破損も無く、お陰様で揺れによる被害はございませんでした。しかし地震直後の停電で、暖房の止まった麹室では杜氏が発芽の熱をうまく誘導し必死の麹づくりを続け、なんとか出麹まで持って行けました。また、上槽中の酒を救う為に古い発電機と格闘するうちに夜が明け、幸運にも翌日のお昼前には電気が復旧し何とか事なきを得ました。

震災翌日から物流が止まり何とも身動きがとれなくなりました。(重大被害地に燃料が運ばれていく映像は見れますが我が地元にはさっぱり参りませんでした。

在庫の重油を酒仕込みだけに集中させ、通勤のガソリンも次に何時給油できるか分からないので、蔵人と管理職以外は自宅待機をさせておりました。

市の救援物資として弊社製品の「鳥海山自然水」(仕込み水)を詰める為に少量の重油が入ったのが一週間後、仕込みの為の重油が入ったのは二週間後でした。

この間、物流も止まり売り上げは落ち込み、卒業の謝恩会等の歓送迎会系は全て中止で飲食店も大変な状態です。

震災の応援は市の救援物資として出された残りの資材(ペットボトル)の在庫全て(資材もなかなか入ってきません。その時は500ml1000本弱)を寄付させて頂きましたが、その後は会社の緊急事態対応で中々動けません。皆造(お酒を全てしぼり終わる事)は4月9日に迎えました。火入れも遅れ気味ですがこれから全力で行います。瓶火入れの瓶確保が少し心配ですが…)

某社から私の所へ、ユーチューブで訴えかけた蔵元の酒で応援キャンペーンを行う事についての意見を求められ「その蔵元は東北の食材や酒を飲む事を呼びかけたはずだ。自社の事ではなく地域の経済の為に頑張って発信していたのだ」と申し上げました。直接被害を受け壊滅的な地域と比べたら弊社は大変幸運です。しかし、東北の日本海側にも経済活動の停止・停滞と言う深刻な二次被害が起こっているのです。

自粛自粛の国内ですが、それでも時は過ぎ春は訪れ酒は熟すのです。酒は人の燃料です。エネルギーの充填が必要なのは車だけではありません。何も浮かれ踊ろうと言うのではありません。今最も大切なのは、今頑張っている人のエネルギーの補給・充填ではないでしょうか?

原子力発電所の事故はまだまだ深刻な状態ではあります。しかし、被災地を始め色々な方々の発信で自粛の悪影響の声が出て参りました。

一番ありがたいのは東北の食品やお酒を買って頂ける事です。ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

天寿の歴史

補遺―9

補遺―9 創業時の提出書類

六代目 大井永吉

先号(補遺―8)記載の清酒製造に使用した容器(仕込桶)についての書き上げである。

酒造桶書上

第四大区三小区由利郡城内村

稼人 大井永吉

一酒造桶四本

壱番 口径 五尺八寸四分

桶 底経 五尺三寸八分

深サ 五尺一寸七分

弐番 口径 五尺八寸

桶 底経 五尺三寸五分

深サ 五尺五分

参番 口径 五尺八分

桶 底経 五尺三寸五分

深サ 五尺一寸

四番 口径 四尺九寸

桶 底経 四尺五寸

深サ 四尺一寸六分

右之通、奉書上ケ候処相違無御座候、  以上

第四大区三小区

由利郡城内村 大井永吉㊞

明治八年七月廿日

秋田県権令 石田英吉殿

桶材は鳥海山麓の秋田杉、一番から三番桶は十一石(2100L)入り、太い”たが“(竹を割ってたがねた輪。桶・樽その他の器具にはめて、外側を堅く締め固めるのに用いる。)のかかった通称六尺桶といわれた大桶、四番桶が八石(1600L)入り。十一石はその頃の地元の桶屋(矢島では”たが屋“または”たんが“と言った)の技術で出来る最大のものだったろう。当時、酒造の器具・道具類はほとんど木と竹で出来ていたので、蔵にはそれぞれ出入りの桶屋がいて細工場も用意してあった。大桶の場合は”たが“を締めるのに外の広場に足場を組んで大槌を振り下ろしていたことが子供のころの記憶に残っている。現在の容器は金属製のホーローやグラスライニングタンク或いはステンレスタンクになって、大きさは二百石、三百石のものもあるが、十一石桶は今の我が社では吟醸酒用七五〇㎏仕込用の小型タンクにあたる。

清酒は政府にとって大切な税財源であったので、製造数量、在庫数量は税務署の厳しい管理下にあった。その容器についても同様で、検尺(満杯の線からの空き寸を計測すること)で内容量を測定できる表、「桶帳」を全ての容器について備えて置くことが義務つけられた。それは現在も「酒類・酒母・もろみ製造設備(異動)申告書」、「同付表(容器の容量の測定事績の明細)」として申告・整備義務が継続されているのである。

自然の猛威
2011-03-01

自然の猛威

代表取締役社長 大井建史

大変な雪害です。前号では穏やかな天気のお正月でとお伝えしましたが、何と一月六日以来一ヶ月以上も一日も休む事無く雪が降り続け、遂に矢島も180cmを越える観測史上最深の積雪を記録してしまいました。自然の猛威の恐ろしさを痛切に体験させられました。曲がるはずの無い鉄製折板の軒先が折れ、それでも落ちない屋根の氷の粘りに呆然とし、氷柱が巻いて壁に突き刺さり外壁が割れ、雪の重みで槽場の鉄の梁がバキッという音と共に折れ曲がり壁も歪みました。蔵の雪下ろしに人手を要し、中々築百八十年の自宅の座敷まで手が回らず、屋根の雪の重みで家中の戸がほとんど動かなくなり、私も何年ぶりかで雪下ろしをしたら翌日から腰の湿布。まさに被害甚大です。

天寿ではその猛威の中で、夏の高温障害で非常に難しい品質になった酒米をどう使いこなすか勝負をかけながらも、雪と戦い続け何とか生き残った感じのする昨今です。最初の仕込を終えて早々杜氏曰く「見かけはたいした違いが無くとも、酒になる部分が非常に少ない感じ。分析上良さそうに見えてもすぐへたる感じ。」ではどうする?日々戦いの連続です。

今造りでは名門酒会の「立春朝しぼり」(二月四日)に初めて参加し、しぼる日を指定される難しさに杜氏も悩みながらも、全国放送のニュース番組FNNスピークの取材も受け、気合の入った会にすることが出来ました。

また、翌週の二月十二日には恒例の「天寿酒蔵開放」を実施し、今年も1700名を越えるお客様をお迎えし、大盛況に終えることが出来ました。ご来場頂きました皆様、ありがとうございました。

そして、何より当日ご協力頂いた34名のボランティアスタッフのご活躍のお陰で、我々社員は心置きなく沢山のお客様をお迎えする事ができました。このイベントを続けられますのはボランティアの皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。

この翌週二月十六日には名門酒会の酒蔵見学会並びに技術交流会があり、全国の加盟小売店様とそれを超える全国の酒蔵のオーナーと杜氏が来社され、それだけの方々が天寿までわざわざお越し下さった事を誇らしく思いました。

また、岡永社長の飯田永介氏の「天寿の昨今の人気の高い品質が、長い品質向上の努力の上に出来ている事を納得できた」との言葉を頂戴し大変ありがたく思いましたが、まだまだ道半ばである事を逆に強く感じた瞬間でもありました。

今後ともご指導ご鞭撻の程お願い

天寿の歴史

補遺―8

補遺―8

創業時の醸造

六代目 大井永吉

明治八年の届け出書類に現在の製造事績、酒税納付届、製造計画にあたるものがあった。そろそろ新政府の基盤整備も出来上がったことが窺える。

甲戌清酒醸造調べ

元石   三十石

内三石     搗減

醸造石     弐拾七石

壱斗弐升     醔麹

拾七石八升   掛米

八石壱斗弐升  糀米

諸味三十五石三斗弐升

但掛米壱石ニ付

水壱石壱斗入

此生酒弐拾六石六斗六合

但諸味壱石ニ付

八斗壱升五合タリ

六石五斗二升  売捌高

残弐拾石八斗六合

当時有高

千印

八石弐斗壱升五合  正ミ

右者、乙亥清酒造石今般御調査ニ付罷出拝見仕候処、前書之通相違無御座候、但、御改方之儀ニ付御非文之儀無御座候、以上

秋田県平民

第四大区三小区

羽後国由利郡城内村

弐百五番屋敷居住

大井永吉㊞

明治八年五月十二日

秋田県権令  国司仙吉殿

免許を得て最初の酒造りの実績報告である。これを現在の数字に換え考察を加えてみる。(左表)

精白度(精米歩合)については、明治以前の記録には一割以上減の米を上々白と称しているが、明治七・八年ころの一割減は下白のようである。精米が人力や水車によって行なわれた時代は長く、明治三十年あたりには、ボイラーの利用者も見えてきているが、秋田県ではもっと後年になる(秋田県酒造史・技術編)。精白度、麹歩合、汲水歩合等から推して濃く甘く、酸の多い今の料理酒のような酒ではなかったかと想像される。

感謝
2011-01-01

感謝

代表取締役社長 大井建史

明けましておめでとうございます。

創業以来一三七回目の酒造りに邁進しております。

お陰様で矢島の里は大荒れの天気予報が外れ、おだやかな気候の正月でした。

我々が住むこの地の悠久の時の流れにまた新たな一年が加わりました。祖先が守り開拓し広げてきた誇り高く懐かしきこの地で、今も酒造りが出来ます事に心から感謝しております。

本年も社員一丸となり、天寿一本一本に誠意を込め造り出して参ります。変わらぬご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

年末年始のテレビで戦後日本の歴史が放送されておりました。私が生まれる前年に出来た東京タワーを始め五十年前後のものが多いようで、自分ではあっという間のつもりでも、歴史として語られると結構長い時間である事を感じてしまいます。一九六八年に東北地方をバイクで旅したフランスの方が「当時の日本を見たいなら今のミャンマーを見なさい」と言っておりました。昔に戻れという話ではありません。しかし、この前まで行ったり有ったりした事(物)を最近の日本人は、随分都合良く忘れてしまっているのではないでしょうか?

この所の地元の大きな変化は、経済的な事は勿論それに伴う人口の急速な減少が、町の雰囲気に大きく現れてきたと感じさせる事です。

希望が失われると言うことは恐ろしい事です。そこまで悪くなくてもそう思わざるをえないような雰囲気―土地の価値が無くなる(過疎で売れない、田圃も減反政策で買う意味がない)・減反と米価下落で米を作っても食べていけない・後継者がいなくなる・残るための職場が無い・若者が少ない・子供がいない・子供の行く学校が無くなる…。

新年早々暗い話をしていても仕様がないのですが、日本がこれ程情けない国だと思わされたのも近年無かった事です。

過去の選挙の為のその場凌ぎの農業政策のお陰で日本の競争力は脆弱で、自由競争にさらされれば農家は壊滅的な被害を被ると言われています。それでも環太平洋パートナーシップ(TPP)は結ばないと日本の経済がもたないと言います。皆さんが食べたいのは価格が1/10ではなくて安全で美味しい米ではないのでしょうか?そうであるなら自動車産業などの輸出に携る関連の人間は徹底して『国産農産物を食べる運動』とかも起こしてくれないのでしょうかね?「俺は助からなければ日本が大変だから、お前は死んでも仕様がなかろ!!」なのでしょうか?経済戦争に万が一敗れたときに国内の「食」を支えられるかどうかは、日本の農業が生き残っているという大前提が必要でしょ?

もはや日本が一国だけで生きていく事は無理だと誰しも理解してはいますが、日本は何の一番に成りたいのでしょう。何となく何でも一番狙いに感じるのは私だけかな?子供の頃に良くある「俺学校で一番になりたい(なんでも良いけど)」では何の一番にも成れませんよね。

天寿の歴史

補遺―7

補遺―7

創業時の示達

六代目 大井永吉

明治七年十月八日、明治六年分酒造税率等示達―が公布された。清酒、生酒、濁酒、醤油などの税率も明示し、この布令を受けてから三日までの間に其区戸長が取りまとめ遅れないように上納しろとある。

明治六年分酒造税率等示達

明治六癸酉年分醸造相場左之通鑑定候条、右税金納方之儀者、清酒、銘酒者生酒代金の五分、但、百円ニ付五円、濁酒右同断之三分、但、百円ニ付三円、醤油右同断之五厘、但、百円ニ付五拾銭、兼而相達候規則之通通達心得、布令到達之日ヨリ数三日限リ其区戸長ニおゐて取纏、無遅々上納可致、此旨触示候事、

秋田県権令 国司仙吉代理

明治七年十月十八日

秋田県参事 加藤祖一

由利郡本荘町 由利郡一円に用

清酒壱石ニ付金六円拾九銭

銘酒壱石ニ付金弐拾弐円拾銭六厘

醤油壱石ニ付金九円

由利郡矢島町 由利郡一円に用

味淋壱石ニ付金二拾円、七日町村

濁酒壱石ニ付

金弐円八拾弐銭三厘 田中町

これによると本荘町及び由利郡一円に適用するものと、矢島町及び由利郡一円に適用するものと二種類あるが、味醂と濁酒は矢島でしか造っていなかったのか興味深い。

当時は造石税制度で、アルコール度数に関係なく製造量に課税された(現在はアルコール度数による出荷数量課税)。示達は清酒と銘酒に分かれ、共に生酒代金(製造原価?)の5%となっているが、税金から逆算すれば、清酒は一石百ニ十三円八〇銭、恐らく搗精歩合での分別と思われるが、銘酒は四百四十円三十二銭と高いものになり、その差の大きいのに驚く。

また課税は一石に付きだから、調査で原価の平均をとったのか、醸造相場鑑定候条とあるから、役所の見積もりであろう。

また納税の時期は予告してあったのか、不明の点は多いが、何れにしろ布令到達の日より三日以内に戸長が取り纏めの上遅れずに上納せよとは今では考えられないことで、新政府の徴税に対する厳しさを示す示達である。

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