日本酒で乾杯
代表取締役社長 大井建史
鳥海山の麓矢島の里は四月初めにはまだ雪が降りましたが、ここに来てやっと春らしくなってまいりました。4月13日には皆造(仕込んだお酒が全てしぼり終わる事)となり、火入れや片付けを急ピッチで進め25日には季節の蔵人は解散します。
今期は、酒造りが初めての新人蔵人を2人迎えてスタートしました。酒造りの勉強も含めて非常に熱心に勤めてくれ、素人新人から期待の新人?に成長してくれました。
今年も雪は多かったものの、寒波の切れ目があり雪害は比較的軽微でした。酒蔵はかまくら状態で蔵内の温度はほぼ安定し、酒造りは順調に推移したと言えます。今年も当然新しい話せば長い色々な試みがあり、また事件?も発生はしましたが、一つひとつ解決して参りました。出来たお酒につきましては乞うご期待!!と言うところです。
この後六月の中旬には重油タンクのメンテナンスで瓶詰が一時出来なくなります。皆様是非五月の中頃からは少し多めに買い置きして頂ければ大変有難く存じます。その他コンテナ冷蔵庫の移動並びにメンテナンス等々、大事が目白押しで頭の痛い昨今であります。
さて、先月は香港・今月は台湾と日本酒のフェアに参加して参りましたが、日本ではなぜ「日本酒で乾杯」なのかという話が皆さん随分興味深かったようなので、ここでも久々にお話をさせて頂きます。
なぜ日本では「さけ」と言うのでしょう?中国から呼名が来たというならば老酒(ラオチュウ)・白酒(パイチュウ)・焼酎(ショウチュウ)と言うように「チュウ」に成るはずです。これは日本には漢字伝来前から「さけ」という言葉があり、それに「酒」と言う漢字を当てはめたからと言われます。日本の古語には漢字を当てはめたためかえって意味が不明になったものが多くあるとの事です。
さけの「さ」は神様の事。坂(サカ)は[さ(神)]が降りてくるところ。境(サカイ)は[さ(神)]と人間の境界の事。その他にも関連では、さいわい=さに祝ってもらう・さち=さの神に千も集まってほしい・さつき=さの神に降りてほしい時・さなぶり=さぬぶり=さのぼり(神の帰るとき)・さおとめがさなえを植える。その他にも、さばき・さかずき・さかき・さとり・さかえる・さまよう・さみだれ等色々ありました。さらに、さくらはさの居るくら=神の座と言うところだそうで桜の花が咲くのを見てお酒を飲みたくなるのは日本人だけ(日本人の証拠?)。それはさけと言うのは神(さ)への一番のおみやげ(け)と言う意味だからとのことでした。だから日ノ本では神様へお願いするときには酒でなければいけないのです。
今年の春は遅く、秋田は連休に桜が咲きそうです。是非秋田に足を運んでください。
それでは皆様のご繁栄とご健康を祈念して、お酒(天寿・鳥海山)で乾杯!!
天寿の歴史
補遺―15
補遺―15
酒造稼年行事組合結成
六代目 大井永吉
明治十一年二月、矢島の酒造業者達が「酒造稼年行事組合」の届書を出している。”御説諭にもとづき“とあるので上からの指導があったと思われるが、当時としては画期的な酒造業組合としての発足である。
酒造稼年行事組合御届
今般御説諭ニ源キ協議之上、左之通、年行事組合相定候条、此段御届申上候 以上
第四大区三小区七日町村
年行事 武田佐喜蔵
同郡田中町
組合 土田 房治
田中町
同 須貝太郎蔵
由利郡館町
同 大井 清造
館町
同 大井 伝治
城内村
同 大井 永吉
「秋田県酒造史―本編」によると藩政時代の酒造行政は、勘定奉行の主管でこれに酒造方吟味役をおき、酒屋(専ら製造業)の営業者中「格年」と称し惣代のような格式の世話役をおき、暢申下達の事務を取り扱わせていた。明治となり、大蔵省の許に地方庁が主管し新規開業にはその地方における酒造業者五名以上の同意を得て新免許を申請することとなった。
明治時代における本県の酒造業は、その経営規模が小さく全国的にみて問題とするに足らぬ業者であった。当時の飲酒は濁酒から清酒への移行が容易に進まず、濁酒のみの醸造家が多く、また自家用濁酒醸造の制度も存続していたことが清酒製造業の発達を遅延させた一因とも考えられる。更に濁酒製造業は大方が小規模で酒造家としての経営ならびに技術の改良進歩のあとが見られなかった。しかし明治初期においても任意の団体を組織し、業者相互の協力を図ったことが、明治十一年、第七大区一小区から出された「酒造家規則確定届」により知られる。
この届出は当時の雄勝郡の八面村、川連村、三梨村、稲庭村、田子内村の十酒造家が組合をつくり、その規則の外に事務担当者を併せて届出たものである。
酒造家組合行事役役書
並ニ規則確定御届
第七大区一小区
一、今般御説諭之趣ニ相基キ当区内酒家拾戸協議之末行事役本年沓澤源助江依頼仕猶左之通組合規則相定営業之事務但理謹業セシムル事
第一条
一、行事役年限ハ一ヶ年或ハニヶ年トスルモ年々一月中、組合協議之上相定ムル事
以下、第十条まで費用の拠出割合、各酒相場は組合ニ於協議之上相定、酒造増減願出、営業興廃届、鑑札税並ニ醸造石税の期限内の納付等、第十条まで定めている。…とある。
矢島の組合の規則は残念ながら資料として残っていないが、大同小異のものであったと推定される。矢島の酒造家が五軒のみで県内でも先端を切って組合を結成したことは、お互い協調心に富み先進的考えを持っていたからであろう。大先輩達に衷心より敬意を表する次第である。