絆
代表取締役社長 大井建史
東日本大震災以来、日本全国で「絆」という言葉が多く語られるようになりました。被災規模に対して十分かどうか等は別にして、有志の皆さんのご活躍や想いを見るにつけ目頭が熱くなります。30代だった阪神大震災のときと比べ、自分の腰の重さも大いに感じました。性善説を信じたくなる話が多く報道されましたが、一部にはやはり性悪説的事件の発生に心を痛める話も多々あったようです。
世界中の支援を頂きながらも、予想された大変厳しい経済状況の中で、我々東北はもちろん日本全体に更なる追い討ちをかけるような国内政治の混迷や、アメリカ国債の格付け下落に伴う極端な円高・株安の中で、生き残りをかけた活動が必要となりました。
弊社は今年お陰様で百三十八年目の酒造りを行う事になります。当たり前のように毎年の事として行われてきましたが、私が帰ってからの二十六年間でさえ、考えてみれば自分にとっての予想外・驚天動地・心臓が止まるような思いがあった事を思いだします。そして、その心臓が止まるかの様な感覚は、思い返すと絆が切られたときに感じるのではないでしょうか。
特にこの十数年で販売数量は激減し、全国的な日本酒の動向も似たようなものですが、良くもこの縮小に耐えられたものだと思います。
社内の製造も営業も詰口も全て自分の仕事として向かえるように社員の多能工化を目指し、全社一丸体制を目指してまいりました。ワークシェアリング的な考え方と、能力給的な考えを併用して考え、何とか均衡縮小を図ってきたつもりです。
『俺が俺がの「が」を捨てて、お陰お陰の「げ」で生きよ』や『次工程はお客様。仕事は「はい、喜んで」と受けましょう』という心のあり方を標榜しますが、常にその心を持ち続けるのは大変です。
会社での仕事は、社会人としての人生を最低でも三分の一懸けるわけですから、それぞれの人生の中でその内容や質は大変重要な問題です。何より当然自分の生活の為の給料が絡むわけですから、会社の業績や昇給はある意味最も大切な事です。
会社のすべての事についての最終責任は社長にあります。社員20数名の会社であってももちろんそれは変わりません。
何とかやって来れたのも、一緒に頑張ってくれる社員がいるからです。解雇等をせず自然減(定年退職)を待てたのも社員の理解と協力のお陰です。
これも、絆と呼べるものだと思います。
天寿酒造ではさらに皆様との絆を大切に、品質の更なる向上を目指しながら、頑張ってまいります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
天寿の歴史
補遺―11
補遺―11
創業時の提出書類(三)
六代目 大井永吉
酒 造 桶 書 上
一酒造桶 五本
第四大区三小区由利郡城内村
稼人 大井永吉
内
千印二
口径 五尺八寸
桶 底径 五尺三寸五分
深サ 五尺五分
鶴印壱
口径 五尺八寸四分
桶 底径 五尺三寸八分
深サ 五尺一寸七分
年印
口径 5尺八寸
桶 底径 5尺三寸五分
深サ 5尺五寸一分
無番 当夏新ニ出来候得共未タ
醸造セス
口径 五尺八寸四分
桶 底径 五尺三寸五分
深サ 五尺八分
無番
口径 四尺九寸
桶 底径 四尺五寸
深サ 四尺一寸六分
右之通、奉書上ケ候処相違無御座候、以上
第四大区三小区
由利郡城内村
明治八年 大井永吉
秋田県権令 石田英吉殿
先号に記述した、明治九年の醸造元石を百石に増やす申告に従い、その仕込みのために桶を五本新調したようである。その他不足の設備を整えつつ、明治八年の末から造りに入ったが、準備に大きな見込み違いが生じたようである。
製酒醸造見込石減石ニ付御届
一醸造石 百石 明治八年十月中見込醸造石
御届高
内
拾三石弐斗 新酒醸造高
四拾四石 夏酒醸造高
小以五拾七石弐斗
残 四拾弐石八斗 減石高
右之通、醸造石百石製酒仕候見込ヲ以明治八年十月中御届申上置候処、器械不取揃ニ付前書之通醸造高減石仕候ニ付、此段御届申上候、以上
第四大区三小区由利郡城内村
大井永吉㊞
明治九年二月十四日
秋田県権令 石田英吉殿
これは前年の十月、醸造石百石製酒の見込みで届け出はしたけれども、器械が揃わないので予定どおり醸造することができないから醸造高を減石するという届けである。
二月半ばの届け出だが、既に限界まで造ってしまったのでないか、何が原因で間に合わなかったのかは明らかでないが、同じ日付で槽入石併ニ員数書上という酒槽(さかふね-醪を搾る器械)の寸法と入石の申告がなされており、更に二月中に三本の酒造桶新調書上が出されているので、その辺が問題であったように思われる。何れにせよ大きな誤算であったに違いない。