自然の猛威
代表取締役社長 大井建史
大変な雪害です。前号では穏やかな天気のお正月でとお伝えしましたが、何と一月六日以来一ヶ月以上も一日も休む事無く雪が降り続け、遂に矢島も180cmを越える観測史上最深の積雪を記録してしまいました。自然の猛威の恐ろしさを痛切に体験させられました。曲がるはずの無い鉄製折板の軒先が折れ、それでも落ちない屋根の氷の粘りに呆然とし、氷柱が巻いて壁に突き刺さり外壁が割れ、雪の重みで槽場の鉄の梁がバキッという音と共に折れ曲がり壁も歪みました。蔵の雪下ろしに人手を要し、中々築百八十年の自宅の座敷まで手が回らず、屋根の雪の重みで家中の戸がほとんど動かなくなり、私も何年ぶりかで雪下ろしをしたら翌日から腰の湿布。まさに被害甚大です。
天寿ではその猛威の中で、夏の高温障害で非常に難しい品質になった酒米をどう使いこなすか勝負をかけながらも、雪と戦い続け何とか生き残った感じのする昨今です。最初の仕込を終えて早々杜氏曰く「見かけはたいした違いが無くとも、酒になる部分が非常に少ない感じ。分析上良さそうに見えてもすぐへたる感じ。」ではどうする?日々戦いの連続です。
今造りでは名門酒会の「立春朝しぼり」(二月四日)に初めて参加し、しぼる日を指定される難しさに杜氏も悩みながらも、全国放送のニュース番組FNNスピークの取材も受け、気合の入った会にすることが出来ました。
また、翌週の二月十二日には恒例の「天寿酒蔵開放」を実施し、今年も1700名を越えるお客様をお迎えし、大盛況に終えることが出来ました。ご来場頂きました皆様、ありがとうございました。
そして、何より当日ご協力頂いた34名のボランティアスタッフのご活躍のお陰で、我々社員は心置きなく沢山のお客様をお迎えする事ができました。このイベントを続けられますのはボランティアの皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。
この翌週二月十六日には名門酒会の酒蔵見学会並びに技術交流会があり、全国の加盟小売店様とそれを超える全国の酒蔵のオーナーと杜氏が来社され、それだけの方々が天寿までわざわざお越し下さった事を誇らしく思いました。
また、岡永社長の飯田永介氏の「天寿の昨今の人気の高い品質が、長い品質向上の努力の上に出来ている事を納得できた」との言葉を頂戴し大変ありがたく思いましたが、まだまだ道半ばである事を逆に強く感じた瞬間でもありました。
今後ともご指導ご鞭撻の程お願い
天寿の歴史
補遺―8
補遺―8
創業時の醸造
六代目 大井永吉
明治八年の届け出書類に現在の製造事績、酒税納付届、製造計画にあたるものがあった。そろそろ新政府の基盤整備も出来上がったことが窺える。
甲戌清酒醸造調べ
元石 三十石
内三石 搗減
醸造石 弐拾七石
内
壱斗弐升 醔麹
拾七石八升 掛米
八石壱斗弐升 糀米
諸味三十五石三斗弐升
但掛米壱石ニ付
水壱石壱斗入
此生酒弐拾六石六斗六合
但諸味壱石ニ付
八斗壱升五合タリ
内
六石五斗二升 売捌高
残弐拾石八斗六合
当時有高
千印
八石弐斗壱升五合 正ミ
右者、乙亥清酒造石今般御調査ニ付罷出拝見仕候処、前書之通相違無御座候、但、御改方之儀ニ付御非文之儀無御座候、以上
秋田県平民
第四大区三小区
羽後国由利郡城内村
弐百五番屋敷居住
大井永吉㊞
明治八年五月十二日
秋田県権令 国司仙吉殿
免許を得て最初の酒造りの実績報告である。これを現在の数字に換え考察を加えてみる。(左表)
精白度(精米歩合)については、明治以前の記録には一割以上減の米を上々白と称しているが、明治七・八年ころの一割減は下白のようである。精米が人力や水車によって行なわれた時代は長く、明治三十年あたりには、ボイラーの利用者も見えてきているが、秋田県ではもっと後年になる(秋田県酒造史・技術編)。精白度、麹歩合、汲水歩合等から推して濃く甘く、酸の多い今の料理酒のような酒ではなかったかと想像される。