一三九回目の酒造り
代表取締役社長 大井建史
地元の八朔祭りが終わっても暑い日が続き、秋が中々来ないと思っておりましたが、一関新杜氏と酒造計画の話をしていたら、あっという間に稲刈りが終わり天寿一三九回目の酒造りが始まりました。
私が社長になって14年目。来年の九月には創業百四十周年を迎えます。
毎年酒質の向上を図って来た事は、これまで何度もお話をさせて頂きました。契約栽培した酒造好適米、全ての商品の造りを見直し、必要な物はビン燗火入れ・冷蔵ビン貯蔵を行い、丁寧な精米、正確な手洗い洗米、目標水分との誤差が0・01%以下の蒸米等間違いの無い正確な原料処理を行うことにより、地元で最もご愛飲頂いている「精撰」も値上げの出来ない市況の中で、糖類不使用など完全に一皮向けた上質化を成し遂げました。
お陰様で今年も純米大吟醸鳥海山は「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」最高金賞・「全米日本酒歓評会」金賞・「IWC」銀賞。大吟醸鳥海は「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」金賞。天寿燗上がり純米酒は「燗酒コンテスト」ぬる燗部門最高金賞など沢山の賞を頂く事が出来、大変嬉しく思っています。
さて、今年の県産米は残念ながら期待ほど収量は無く、出穂後の積算温度が一〇〇〇度を遥かに超え、心配された高温障害も出て割れやすく味が乗り辛い米です。
その様な状況ではありますが、10月15日から蔵人が入り始め、22日には全員入蔵し全力の清掃に入り、26日には予定通り初蒸しを行いました。
百四十周年を迎える酒が初挑戦の新人杜氏ですが、根を詰めて計画を練り、詳細まで詰めて蔵人達と実行に移るにつれて、表情に厳しさが出てまいりました。どちらかと言うとややゆっくり型なのですが、この所反応も早く機敏になって来ました。弟や子供の挑戦を見守る兄や親の様な心配をしている私ですが、同時に一関陽介杜氏と彼を支える蔵人達が、どんな酒を造ってくれるかとてもワクワクしている自分がいます。
今日はまだ始まったばかりで量も少なく、高温障害の影響でやや割れは多いのですが、サバケの良い蒸米が出てきました。皆様乞うご期待です。
天寿の歴史
補遺―18
補遺―18
明治十二年―其の一
六代目 大井永吉
明治も十二年になると諸々の制度も簡素化されたもののようで、各届け出書類の宛先から秋田権令の文字が消えて「検査願」などは由利郡役処、出張官御中で済んだようだし「御請書」なども、等外三等出仕、井上金吾殿だけで結構だったようだ。三月の「清酒掛槽明細御届」は秋田県令石田英吉宛となっているが、権令とは書かれていない。四月には出張官が更迭した模様で、「御請書」の宛名は秋田県出張官、林金吾となっている。六月の「地方税之内営業願」の差出宛名に初めて郡長の名が見える。御代信成という人だが、初代の由利郡長で十二年の年に拝命している。
新 酒 醸 成 石 御 検 査 願
一新酒十三石三斗
外滓引弐斗五升
右、醸成石御検査被成下度候也
由利郡城内村
大井永吉㊞
明治十二年一月十八日
由利郡役処
出張官 御中
御 請 書
一新酒拾三石四升二合
右之通御検査相成候処相相違無
之、拠而此段御請申上候、 以上
由利郡城内村
大井永吉㊞
明治十二年一月廿一日
等外三等出仕
井上金吾殿
御 請 書
搾器機御封印 三ヶ処 ㊞
(朱書)
「十二年三月十七日開封印」
右之通本日御封印相請候ニ相違無御座候、依而此段御請仕候也、
羽後国由利郡城内村百七番地
大井永吉㊞
明治十二年一月廿二日
由利郡出張官
秋田県等外三等出仕
井上金吾殿
御 検 査 御 請 書
明治十一年十月二日御届高
一玄米 百石
此清酒 百石
内
玄米拾壱石三斗一升八合
此清酒拾三石三斗壱升八合
十二月六日御検査済
玄米拾四石八斗六升弐合
此清酒拾三石四升弐合
一月二日御検査済
玄米拾三石六斗壱升弐合
此清酒拾二石三斗九升弐合
三月廿六日御検査済
右之通御検査済相違無御座候也、
羽後国由利郡城内村百七番地
明治十二年二月 大井永吉㊞
由利郡出張官
秋田県等外三等出仕
井上金吾殿
搾 器 械 御 解 緘 願
一搾器械壱個滴石
四石一斗弐升五合
但、枠掛ナシ二日間、
三掛毎ニ一日槽洗ニ付
休日三日
此諸味四拾石三斗
此滴石参拾弐石四斗七升五合
右、本月十七日ヨリ来ル四月四日迄十九日間、夏酒搾石支度候間御解緘被成下度候也
由利郡城内村
明治十二年三月十六日大井永吉㊞
由利郡出張官
秋田県等外出仕 井上金吾殿