年齢確認

このサイトはお酒に関する内容が含まれています。
20歳未満の方への酒類の販売は行っておりません。

あなたは20歳以上ですか?

蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

一三九回目の酒造り
2012-11-01

一三九回目の酒造り

代表取締役社長 大井建史

地元の八朔祭りが終わっても暑い日が続き、秋が中々来ないと思っておりましたが、一関新杜氏と酒造計画の話をしていたら、あっという間に稲刈りが終わり天寿一三九回目の酒造りが始まりました。

私が社長になって14年目。来年の九月には創業百四十周年を迎えます。

毎年酒質の向上を図って来た事は、これまで何度もお話をさせて頂きました。契約栽培した酒造好適米、全ての商品の造りを見直し、必要な物はビン燗火入れ・冷蔵ビン貯蔵を行い、丁寧な精米、正確な手洗い洗米、目標水分との誤差が0・01%以下の蒸米等間違いの無い正確な原料処理を行うことにより、地元で最もご愛飲頂いている「精撰」も値上げの出来ない市況の中で、糖類不使用など完全に一皮向けた上質化を成し遂げました。

お陰様で今年も純米大吟醸鳥海山は「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」最高金賞・「全米日本酒歓評会」金賞・「IWC」銀賞。大吟醸鳥海は「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」金賞。天寿燗上がり純米酒は「燗酒コンテスト」ぬる燗部門最高金賞など沢山の賞を頂く事が出来、大変嬉しく思っています。

さて、今年の県産米は残念ながら期待ほど収量は無く、出穂後の積算温度が一〇〇〇度を遥かに超え、心配された高温障害も出て割れやすく味が乗り辛い米です。

その様な状況ではありますが、10月15日から蔵人が入り始め、22日には全員入蔵し全力の清掃に入り、26日には予定通り初蒸しを行いました。

百四十周年を迎える酒が初挑戦の新人杜氏ですが、根を詰めて計画を練り、詳細まで詰めて蔵人達と実行に移るにつれて、表情に厳しさが出てまいりました。どちらかと言うとややゆっくり型なのですが、この所反応も早く機敏になって来ました。弟や子供の挑戦を見守る兄や親の様な心配をしている私ですが、同時に一関陽介杜氏と彼を支える蔵人達が、どんな酒を造ってくれるかとてもワクワクしている自分がいます。

今日はまだ始まったばかりで量も少なく、高温障害の影響でやや割れは多いのですが、サバケの良い蒸米が出てきました。皆様乞うご期待です。

天寿の歴史

補遺―18

補遺―18

明治十二年―其の一

六代目 大井永吉

明治も十二年になると諸々の制度も簡素化されたもののようで、各届け出書類の宛先から秋田権令の文字が消えて「検査願」などは由利郡役処、出張官御中で済んだようだし「御請書」なども、等外三等出仕、井上金吾殿だけで結構だったようだ。三月の「清酒掛槽明細御届」は秋田県令石田英吉宛となっているが、権令とは書かれていない。四月には出張官が更迭した模様で、「御請書」の宛名は秋田県出張官、林金吾となっている。六月の「地方税之内営業願」の差出宛名に初めて郡長の名が見える。御代信成という人だが、初代の由利郡長で十二年の年に拝命している。

新 酒 醸 成 石 御 検 査 願

一新酒十三石三斗

外滓引弐斗五升

右、醸成石御検査被成下度候也

由利郡城内村

大井永吉㊞

明治十二年一月十八日

由利郡役処

出張官 御中

御 請 書

一新酒拾三石四升二合

右之通御検査相成候処相相違無

之、拠而此段御請申上候、 以上

由利郡城内村

大井永吉㊞

明治十二年一月廿一日

等外三等出仕

井上金吾殿

御 請 書

搾器機御封印   三ヶ処 ㊞

(朱書)

「十二年三月十七日開封印」

右之通本日御封印相請候ニ相違無御座候、依而此段御請仕候也、

羽後国由利郡城内村百七番地

大井永吉㊞

明治十二年一月廿二日

由利郡出張官

秋田県等外三等出仕

井上金吾殿

御 検 査 御 請 書

明治十一年十月二日御届高

一玄米 百石

此清酒 百石

玄米拾壱石三斗一升八合

此清酒拾三石三斗壱升八合

十二月六日御検査済

玄米拾四石八斗六升弐合

此清酒拾三石四升弐合

一月二日御検査済

玄米拾三石六斗壱升弐合

此清酒拾二石三斗九升弐合

三月廿六日御検査済

右之通御検査済相違無御座候也、

羽後国由利郡城内村百七番地

明治十二年二月  大井永吉㊞

由利郡出張官

秋田県等外三等出仕

井上金吾殿

搾 器 械 御 解 緘 願

一搾器械壱個滴石

四石一斗弐升五合

但、枠掛ナシ二日間、

三掛毎ニ一日槽洗ニ付

休日三日

此諸味四拾石三斗

此滴石参拾弐石四斗七升五合

右、本月十七日ヨリ来ル四月四日迄十九日間、夏酒搾石支度候間御解緘被成下度候也

由利郡城内村

明治十二年三月十六日大井永吉㊞

由利郡出張官

秋田県等外出仕 井上金吾殿

残暑お見舞い申し上げます
2012-09-01

残暑お見舞い申し上げます

代表取締役社長 大井建史

本当に暑い日が続いております。皆様お見舞い申し上げます。

ロンドンオリッピックの興奮もやっと落ち着いてきた感がありますが、皆様はいかがでしたでしょうか?多くの感動的な場面に、私の涙腺は全く弱くなり、我が祖国日本がこんなに誇らしく・いとおしく思う瞬間はオリンピックが最高ですね。国民不在の国政の無様さの中で、すばらしい清涼効果を発揮してくれました。結果的に一番ではなくても、心の持ち様で豊かな気持ちには十分になれます。プライドや品格もその人間の持つ香りの様なものなのですね。良いものを見せて頂きました。

8月に入ってからの秋田の暑さは異様でした。秋田県の原料米対策委員長と言う事で、県内の圃場視察に行って参りましたが、一昨年の最悪の高温障害を越える事態になるかもしれないと、農業試験場の先生が心配されていました。圃場の水管理によりますが、この日照り続きでその水もほとんどが不足している状態です。

ぶどうの出来で味が決まるワインと違い、米の出来だけで清酒の味は決まりませんが、米の出来が良いに越した事はなく、一昨年は米の状況を掴むまで大変苦労致しました。そろそろ雨や涼風が欲しいのですが、予報では当分無理なようです。

さて、今年の造りから杜氏が交代することになりました。

この度、弊社杜氏佐藤俊二が一身上の都合により退職する事になりました。

佐藤は最初から弊社の社員として入社し、私の代の杜氏と成る事を目標とし、杜氏就任の二年前から私と共に原料処理の改善を目標に定め、毎年売り上げが減少する中、弊社としては多額の設備投資を行い、数々の試験・試行錯誤を繰り返し、ベテランの蔵人に支援され一丸となって、特に精米・洗米・浸漬・蒸米の改善を行って参りました。また、花酵母仕込みの研究等で全体の評価が出てきたところでございました。

やっとここまでと思えた時に杜氏の退社希望は、私にとって正に青天の霹靂であり、慰留に努めましたが、本人の意志は固く、9月25日に退社する事となりました。

これまでの改革・改善の内容は蔵人全員が良く理解しておりますので、簡単にぶれることは無いと承知しております。又、これまで農大短期大学部醸造学科を卒業後、10年近く杜氏の下で勤めて参りました一関陽介を杜氏として進めて行く事に決定し、ベテラン蔵人達も了解しております。

この体制で、これまで通り蒸米の目標水分は0・01%以下の誤差で原料処理のクオリティーは保たれます。会社は人が動かしますし、会社の財産はこれまで積み重ねた技術と誠意を持った人材に尽きます。

一関の杜氏としての匙加減は初めての事とはなりますが、その若い感性に是非ご期待頂きたいと思います。

今後ともご指導・ご鞭撻賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

天寿の歴史

補遺―17

補遺―17

明治十一年ー其の三

六代目 大井永吉

六月に上酒相場書上を差出し、引き続き七月に「酒価書上御引換願」という文書が出ているが、これは四・五・六、の三ヶ月分の酒価相場書上げが、全くの心得違いから計算を間違えたので、改めて届書を出すから先の御届書と引き換えてもらいたいというもの。その後、五月一ヶ月の日々の上酒売出石代届というものを出している。小売平均一石五円二拾五銭三厘とある。

酒 価 書 上 御 引 換 願

酒価相場書上之儀、過般第百九拾五番ヲ以御達ニ付、本年四・五・六、三ヶ月分取調書上仕候処、最前月々取調書上候相場ニ引合不申ニ付、尚清算仕候処、其節全心得違之計算ヲ以書上仕候ニ相違無之、依而今更奉願候者甚恐入候得共別紙取調奉書上候間、何卒相成儀ニ御座候ハヽ、前御届書御引換被成下度此段奉懇願候  以上

第四大区小三区由利郡城内村

明治十一年七月一七日

大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県少書記官  白根専一殿

明治十一年五月上酒売出石代御届

卸 売     小 売

一日 売出ナシ  金五円五銭六厘

~  〃       〃

六日  同上   金五円廿四銭

~  〃       〃

十一日 同上    金五円拾壱銭

~  〃       〃

十六日 同上  金五円廿銭壱厘

  〃       〃

廿一日 同上 金五円四十四銭壱厘

~  〃       〃

三十一日 同上     同上

合 計    金百六十弐円八十四銭

平 均    三十一日割

壱石代金五円廿五銭三厘

小売平均 壱石代金五円廿五銭三厘

右之通相違無御座候 以上

明治十一年七月

第四大区小三区城内村

醸造人 大井永吉㊞

商売が繁盛に向い販路拡大のためと思われるが、八月に酒類行商御鑑札下付の申請をしている。当時の行商とはどんな形で行ったのか分からないが、三代目当時下口と言った旧由利町方面さらには本荘まで「こだし」(あけびの蔓などで編んだ腰に着ける篭)に見本酒を入れて営業に歩いた話を父から聞いたことがある。十月には醸造見込石を百石に増して届出している。

酒類行商御鑑札御下付願

私儀

予テ清酒醸造営業罷在候ニ付、行商兼業仕度奉存候間、行商鑑札弐枚御下付被成下度、依之、御鑑札料金廿銭相添此段奉願候  以上

秋田県第四大区三小区

由利郡城内村 大井永吉㊞

明治十一年八月廿八日

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県小書記官  白根専一殿

清酒醸造見込石御届

玄米    百石

此醸造石  百石

内     新酒二十五石

夏酒七十五石

右者、本年十月ヨリ明治十二年九月迄一期造高見込石御申上候 以上

第四大区三小区城内村

明治十一年十月

大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候也

戸長 石田勝良

朱書

書面之趣聞置候事

明治十一年十月七日

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県大書記官  白根専一㊞

日本酒で乾杯
2012-07-01

日本酒で乾杯

代表取締役社長 大井建史

鳥海山の麓矢島の里は四月初めにはまだ雪が降りましたが、ここに来てやっと春らしくなってまいりました。4月13日には皆造(仕込んだお酒が全てしぼり終わる事)となり、火入れや片付けを急ピッチで進め25日には季節の蔵人は解散します。

今期は、酒造りが初めての新人蔵人を2人迎えてスタートしました。酒造りの勉強も含めて非常に熱心に勤めてくれ、素人新人から期待の新人?に成長してくれました。

今年も雪は多かったものの、寒波の切れ目があり雪害は比較的軽微でした。酒蔵はかまくら状態で蔵内の温度はほぼ安定し、酒造りは順調に推移したと言えます。今年も当然新しい話せば長い色々な試みがあり、また事件?も発生はしましたが、一つひとつ解決して参りました。出来たお酒につきましては乞うご期待!!と言うところです。

この後六月の中旬には重油タンクのメンテナンスで瓶詰が一時出来なくなります。皆様是非五月の中頃からは少し多めに買い置きして頂ければ大変有難く存じます。その他コンテナ冷蔵庫の移動並びにメンテナンス等々、大事が目白押しで頭の痛い昨今であります。

さて、先月は香港・今月は台湾と日本酒のフェアに参加して参りましたが、日本ではなぜ「日本酒で乾杯」なのかという話が皆さん随分興味深かったようなので、ここでも久々にお話をさせて頂きます。

なぜ日本では「さけ」と言うのでしょう?中国から呼名が来たというならば老酒(ラオチュウ)・白酒(パイチュウ)・焼酎(ショウチュウ)と言うように「チュウ」に成るはずです。これは日本には漢字伝来前から「さけ」という言葉があり、それに「酒」と言う漢字を当てはめたからと言われます。日本の古語には漢字を当てはめたためかえって意味が不明になったものが多くあるとの事です。

さけの「さ」は神様の事。坂(サカ)は[さ(神)]が降りてくるところ。境(サカイ)は[さ(神)]と人間の境界の事。その他にも関連では、さいわい=さに祝ってもらう・さち=さの神に千も集まってほしい・さつき=さの神に降りてほしい時・さなぶり=さぬぶり=さのぼり(神の帰るとき)・さおとめがさなえを植える。その他にも、さばき・さかずき・さかき・さとり・さかえる・さまよう・さみだれ等色々ありました。さらに、さくらはさの居るくら=神の座と言うところだそうで桜の花が咲くのを見てお酒を飲みたくなるのは日本人だけ(日本人の証拠?)。それはさけと言うのは神(さ)への一番のおみやげ(け)と言う意味だからとのことでした。だから日ノ本では神様へお願いするときには酒でなければいけないのです。

今年の春は遅く、秋田は連休に桜が咲きそうです。是非秋田に足を運んでください。

それでは皆様のご繁栄とご健康を祈念して、お酒(天寿・鳥海山)で乾杯!!

天寿の歴史

補遺―15

補遺―15

酒造稼年行事組合結成

六代目 大井永吉

明治十一年二月、矢島の酒造業者達が「酒造稼年行事組合」の届書を出している。”御説諭にもとづき“とあるので上からの指導があったと思われるが、当時としては画期的な酒造業組合としての発足である。

酒造稼年行事組合御届

今般御説諭ニ源キ協議之上、左之通、年行事組合相定候条、此段御届申上候 以上

第四大区三小区七日町村

年行事  武田佐喜蔵

同郡田中町

組合  土田 房治

田中町

同   須貝太郎蔵

由利郡館町

同   大井 清造

館町

同   大井 伝治

城内村

同   大井 永吉

「秋田県酒造史―本編」によると藩政時代の酒造行政は、勘定奉行の主管でこれに酒造方吟味役をおき、酒屋(専ら製造業)の営業者中「格年」と称し惣代のような格式の世話役をおき、暢申下達の事務を取り扱わせていた。明治となり、大蔵省の許に地方庁が主管し新規開業にはその地方における酒造業者五名以上の同意を得て新免許を申請することとなった。

明治時代における本県の酒造業は、その経営規模が小さく全国的にみて問題とするに足らぬ業者であった。当時の飲酒は濁酒から清酒への移行が容易に進まず、濁酒のみの醸造家が多く、また自家用濁酒醸造の制度も存続していたことが清酒製造業の発達を遅延させた一因とも考えられる。更に濁酒製造業は大方が小規模で酒造家としての経営ならびに技術の改良進歩のあとが見られなかった。しかし明治初期においても任意の団体を組織し、業者相互の協力を図ったことが、明治十一年、第七大区一小区から出された「酒造家規則確定届」により知られる。

この届出は当時の雄勝郡の八面村、川連村、三梨村、稲庭村、田子内村の十酒造家が組合をつくり、その規則の外に事務担当者を併せて届出たものである。

酒造家組合行事役役書

並ニ規則確定御届

第七大区一小区

一、今般御説諭之趣ニ相基キ当区内酒家拾戸協議之末行事役本年沓澤源助江依頼仕猶左之通組合規則相定営業之事務但理謹業セシムル事

第一条

一、行事役年限ハ一ヶ年或ハニヶ年トスルモ年々一月中、組合協議之上相定ムル事

以下、第十条まで費用の拠出割合、各酒相場は組合ニ於協議之上相定、酒造増減願出、営業興廃届、鑑札税並ニ醸造石税の期限内の納付等、第十条まで定めている。…とある。

矢島の組合の規則は残念ながら資料として残っていないが、大同小異のものであったと推定される。矢島の酒造家が五軒のみで県内でも先端を切って組合を結成したことは、お互い協調心に富み先進的考えを持っていたからであろう。大先輩達に衷心より敬意を表する次第である。

初 心
2012-05-01

初 心

代表取締役社長 大井建史

四月初めの大風害により、育苗のビニールハウスに被害を受けた影響で田植えは一週間ほど遅れましたが、その後晴れの続く過ごしやすい日々が続き、稲の生育も挽回したようです。

秋田では先日16年ぶりに清酒の売り上げが1.3%増で「落ちなかった」と言う記事がローカル紙の一面を飾りました。昨年の同じ月に秋田・山形は復興支援の影響が無いと私は寂しげに書いていましたが、県内消費が悪いなか平均でプラスになれたのは、やはり「がんばれ東北」のご支援の賜物と心から感謝申し上げます。

しかし業績については、残念ながら我社もご他聞に洩れず、県平均と不思議なほど同じような推移をたどっており、社長就任13年目で初めて4~3月で100%を金額で超え、思わず長かった冬がと思いかけましたが、決算期は10~9月ですので予断は許さないと気を引き締めているところです。

さて、近年IWCの金賞を初め数々の賞を頂きました「純米大吟醸鳥海山」ですが、今年もワイングラスでおいしい日本酒アワード最高金賞・IWC銀賞を受賞し、お陰様で大変ご好評を頂いております。

特に今年に入り輸出は順調で、円高やギリシャの状況を心配しながらもありがたく思っておりました。地元でも「純米大吟醸鳥海山」につきましてはご好評を頂き、この所急に出荷が増えて参りました。

今年の酒造りでも鳥海山は120%を超える強気の計画で醸造しておりましたが、私共の予想を超えるご拡売を頂き、急ぎ実績・在庫確認の結果、昨年の6月から12月の販売実績を在庫が割り込んでしまった事が判明しました。

何と言いましてもまだまだ元の数字が小さく、変化へ対応できる実力が伴いません。極力皆様にご迷惑をお掛けしないよう、6月から計画出荷をさせて頂く事に致しました。新酒は本年12月後半には出荷できるよう鋭意努力致しますので、事情ご賢察頂きご高配賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

初心に戻り気を引き締める為に、社長就任時の方針を読み直しました。2000年の所信からここに一節を引用させて頂きます。

世界に通用する名醸蔵を目指し、お客様は常に正しいと認識し、会社の、或いは自分の有るべき姿を求め、自信と誇りの持てる仕事をするために、現在の天寿の歴史を担う一人として「今」自分に何が出来るのか良く見つめてほしい。なぜなら「今」は、思いが問われる時代・本気が問われる時代だからだ。近所のいつものお客様に一から細やかにお応えし、喜んでいただける事を確認しながら、精度を上げてその環を広げて行こう。テクニックなどではない。喜んで頂けるお客様がいる事、それが有るべき姿である。広く浅くは我社の求める姿ではない。どこまでも深く濃い付き合いの出来る、信頼される酒蔵を目指す。

宜しくお願い申し上げます。

天寿の歴史

補遺―16

補遺―16

明治十一年其の二

六代目 大井永吉

西南戦争も一段落を遂げ世の中も落ち着きを見せてきて売上の見通しが上がったのか、この年の二月末に製造の増石願をだしている。すぐに聞き届けられ、そのための酒槽開封願、清酒醸造見込届、酒槽滴量取調書を提出、さらに酒相場書き上げ等、三月は酒造家にとって大変忙しい月であったことを物語っている。

製 酒 醸 造 増 石 願

一見込石   五石

右之通、増石醸造仕度奉願候間、御許容被成下度奉願上候 以上

明治十一年二月二十四日

第四大区三小区

城内村二百二十番地

大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県少書記官 白根専一殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候 以上

(朱書)

書面願之趣聞届候事

明治十一年三月一日

秋田県権令 石田英吉

酒 槽 開 封 願

酒槽壱個四石四斗滴 但二日之間

此諸味  五石五斗

此滴石  六拾七石

右者、袋洗ニ付休日七日見込ニ而、本月十九日より四月二十四日迄三十七日間、夏酒槽掛仕候間開封被成下度候 以上

第四大区三小区城内村

大井永吉㊞

明治十一年三月十八日

第四大区三小区城内村首部

事務処 御中

清 酒 醸 造 見 込 御 届

一玄米   八拾石

此醸造石 八拾石

新酒   弐拾石

夏酒   六拾石

右者、明治十年より十一年九月迄壱期分醸造見込石数前書之通相違無御座候、此段御届申上候以上

第四大区3小区

城内村弐百七番地

大井永吉㊞

明治十一年三月二十九日

秋田県権令 石田英吉殿

酒 槽 滴 量 取 調 書

巾 四尺九寸五分

酒槽壱個 長 二尺九寸

深 二尺七寸

此滴量  四石四斗

右之通、従来所持之分ニ而滴量書面之通相違無是候 以上

第四大区三小区城内村

大井永吉㊞

明治十一年三月

第四大区三小区城内村首部

事務処 御中

酒 相 場 書 上

明治十一年二月上酒酒相場書上

二月一日より廿八日迄

小売壱升ニ付 金五銭四厘

右、上酒貞価書面之通相違無御座候 以上

明治十三年三月

第四大区三小区城内村

大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県少書記官 白根専一殿

光陰矢の如し
2012-03-01

光陰矢の如し

代表取締役社長 大井建史

酒蔵開放のイベントも終了し、酒蔵には緊張感のある静寂が戻ってきました。今年の蔵開放にも千五百人を越える沢山の方々にご来訪頂き、加えてボランティアスタッフとしてご参加頂いた皆様へも、心から感謝申し上げます。

当日限定酒や伝統芸能の猿倉人形芝居、無農薬田圃で活躍した天寿名物アイガモ鍋、百宅蕎麦のももやさんが急遽参加できなくなりましたが、まるごと市場の魚屋古田さんの本マグロの解体ショーや鮪丼。酒グッズ・麹・仕込み水で入れたコーヒーなど新しい試みも喜んで頂きました。

今回はお昼前後に特にお客様が集中し、ご不便をお掛けしてしまいお詫び申し上げます。次回は催しの実施時間を分散し、混雑の緩和に努めて参ります。ともあれ無事に終了できましたのは、社員数より多くのボランティアスタッフにご参加頂いたお陰でございます。2000年以来13回目の開催になりましたが、打ち上げの会で皆様とともに味わうお酒に勝るものは無く、心から御礼申し上げます。

今回雪室に入れられた純米生酒の開封イベントは4月28日に行います。是非ご期待ください。

今年の酒造りは大小ありますが90本の仕込み。うち純米吟醸37%・吟醸・純米・本醸造を合わせて特定名称酒が約60%になります。お陰様で特定名称酒の割合が随分増えました。27年前に私が帰った時には県内比率が99%で特定名称比率も15%位でしたが、販売量は四倍・年商も三倍近くありました。そんな中で、吟醸や純米、本醸造も含めて地元の方々に味わって頂きたいと思い、始めた企画が頒布会でした。

しぼりたて生酒を当時始まったばかりの宅急便を使い販売を開始した所、プレジデント誌でやまやの辛子明太子と一緒に取り上げられた事も有ったのですが…。

9割以上が旧二級酒の市場・しかも一人当たりの清酒消費量が日本一の地元で、如何に特定名称酒をご理解いただくか? 300mlの本生酒も秋田県で一番早く発売し、古酒大吟醸は昭和47年に発売されておりましたが、仙台局出品酒の純米吟醸を一級純米酒・さばけの良い地元米ヨネシロ65%純米を二級純米酒・昭和62年には特産米のあきたこまちで仕込んだ本醸造・「地元で出来る最高に良い酒」を標榜し契約栽培グループの天寿酒米研究会を最大25町歩まで強化育成し、地元の契約栽培米で大吟醸・純米大吟醸・純米・本醸造まで比較基準である山田錦の大吟醸鳥海以外はほとんど契約栽培米となりました。

社長となって13年。日本酒の激減期に交代しその厳しい環境にもがきながらも、能力給制度を導入し、社員の多機能力化を図り、ワークシェア的な均衡縮小をじっと耐えながらも一丸体制を目指しつつ、皆で頑張ってまいりました。これも地元に根付いた歴史と社員の忍耐のお陰です。

私が帰ってきたときの父の年にあと2年。三女が四月から大学生となり遂に子供のいない生活に入ります。当時と体重で20キロ、胴回りが20センチ増えました。体力もキレも落ちましたが、知恵と年輪?でこれからも誠実な花を咲かせて参りたいと思います。

今年最初の酒コンテスト「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」でも、幸先良く「純米吟醸 鳥海山」最高金賞受賞からのスタートです。今年の新酒にも是非ご期待ください。

天寿の歴史

補遺―14

補遺―14

酒相場書上

六代目 大井永吉

明治十年には、酒相場書上というものが出ている。第四大区小三区酒造営業惣代人須貝太郎蔵の名で出ているのは、地区内の蔵元が話し合いで相場を決め、代表の名で出したものと思われ、提出先が行政の事務処となっているので、指導があったものと考えられる。

酒 相 場 書 上

明治九年十月  小売拾円

卸売七円拾銭

一上酒壱石ニ付 代金七円八拾銭

同年十一月

一上酒壱石ニ付 代金同断

同季十二月

一上酒壱石ニ付 代金同断

明治十年一月

一上酒壱石ニ付 代金七円八拾銭

明治十年二月  小売七円

卸売五円六拾銭

一上酒壱石ニ付 代金五円六拾銭

明治十年三月

一上酒壱石ニ付 代金同断

同年四月

上酒壱国ニ付  代金同断

同年五月

一上酒壱石ニ付 代金同断

同年六月    小売八円

卸売五円九十銭

一上酒壱石ニ付  六円七十五銭

右之通相違無御座候 以上

第四大区三小区酒造営業惣代人

須貝太郎蔵

明治十年十月七日

第四大区三小区

事務処  御中

この届けから見ると、三~四か月毎に相場が動き、小売り値段と特に小売りマージンが25%~40%と大きく上下しているのは驚きである。

提出を義務づけられたのか、十一月と十二月に単独でだした相場書上があった。

明治十年十一月上酒相場書上

一卸売壱石ニ付 代金  六円

一小売一升ニ付  金  七銭

右之通、貞価書面之通相違無御座候、 以上

第四大区三小区城内村

明治十年十月    大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県少書記官 白根専一殿

酒 相 場 書 上

明治十年十二月上酒相場書上

十一月一日ヨリ三十一日迄

一卸売壱石ニ付   金六円

一小売一升ニ付   金七銭

右之通、貞価書面之通相違無御座

候 以上

第四大区三小区城内村

明治十年十二月   大井永吉㊞

秋田県権令 石田英吉代理

秋田県少書記官 白根専一殿

謹賀新年
2012-01-01

謹賀新年

代表取締役社長 大井建史

明けましておめでとうございます。

旧年中は格別のお引き立てを賜り心からお礼申し上げます。お陰さまで全国新酒鑑評会金賞受賞に始まり、世界的に権威あるインターナショナル・ワイン・チャレンジでも純米吟醸鳥海山が金賞を受賞し、現在14の在外日本大使館よりご注文を頂いております。

また、情報番組「ミヤネ屋」の特集で、野田首相が地元の秋田料理店「かまくら」に行かれる度に「天寿本醸造」を4合以上飲まれる酒豪との報道がなされ、秋田でもそれが新聞記事に取り上げられ、嬉しいトピックスにもなりました。他にもワイングラスでおいしい日本酒アワードで「天寿 米から育てた純米酒」が最高金賞を受賞、全米日本酒歓評会で「天寿 純米酒」が金賞を受賞するなど大変励みとなった1年でした。

さらに、香港・台湾・中国・アメリカに続き、韓国への輸出も新しくスタートいたしました。サカヤコリア(www.sakayakorea.com)と言う出来たばかりの日本酒専門の輸入販売会社ですが、元気一杯に活動されております

韓国のフュージョン系のレストランでは日本酒も置かれるようになってきました。旅先で天寿製品を見つけられましたら是非お試しください。

今期の酒造りも新米の入荷された10月末から始まりました。前期は高温障害によりこれまでに無い程難しい米で、しっかり対応出来るようになるのに相当の時間を要しました。今年の米もやや高温障害の傾向が見えますが、昨年よりはかなり良好で、これまでの経験もあり今のところ順調に推移しております。

年が明け本格的な吟醸の仕込み時期に入ります。雪もしっかりあり、仕込み蔵はかまくら状態で低温安定の条件も整いました。雪害の修繕が何とか終わった途端にまとまった雪が降り出しましたが、昨年と比べるとまだ大丈夫。寒暖差があり屋根の雪も落ちる暇があります。去年のように切れ目なく雪が降り続く事の無いよう祈るばかりです。

今年も様々な面で厳しい年ではあるでしょうが、社員一同一丸となり、さらなる品質の向上を目指して邁進して参ります。

本年も変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。

天寿の歴史

補遺―13

補遺―13

『穏便』に聞き届け候事

六代目 大井永吉

明治十年は新政府にとって試練の年であった。志を同じくして新政府造りに努力した西郷隆盛が野に下り、西南戦争にまで発展、世の中は騒然としていた。その影響でもないだろうがこの年の造りに手違いがおきている。「日限見込み違いをして槽掛けが遅れたので新酒の検査を延期して欲しい」と願い書を出している。現在は申告出荷課税だが、当時は調査課税で、税務署員が立ち会いで調査し課税したのである。願いに対する返事は、「願いの趣は不都合だが此度に限り聞き届候」とあった。

まことに穏便な計らいであった。

三月には四月に納付すべき半期の酒造税の納付期限厳守の示達が出ている。四月と八月が納期だったが、その頃納期に遅れる者がいたのか厳しいお達しである。各区戸長を通じて注意喚起しているが、区戸長の責任と権限が推察される。

年間の売上が伸びなかったのか、次年度の見通しについて例年十月に届ける醸造見込石数は前年と同石数の八十石で届出している。

新酒御検査延期願

本月一五日新酒御検査被成下度段、兼而御届申上置候処、日限見込違仕、未タ槽掛済ニ相成兼候ニ付、本年二月五日迄延期御猶予被成下度、此段奉願候、以上

秋田県第四大区三小区羽後国

由利郡城内村弐百拾弐番屋敷

大井 永吉㊞

明治十年一月

秋田県権参事 白根 専一殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候

竹村 秀高㊞

(朱書)

書面願之趣不都合ニ者候得共、此度限聞届候

明治十年一月三十一日

秋田県 ㊞

明治九年分酒造税納期厳守示達

乙第五拾弐番

各区 正副区長

明治九年分各酒醸造税、凡半期ハ来ル四月中上納之成期ニ付而ハ、各営業人共ヨリ成期通上納ハ勿論ニ候得共、万一心得違等ニヨリ失期候而ハ不都合ニ付、豫テ営業人共江申達置各小区纏メヲ以失期不致様上納方注意可致、此旨相達候事、

明治十年三月四日

秋田県権令  石田 英吉

製酒醸造見込石御届

一清酒八十石

但、新酒、夏酒共

右者、本年十月ヨリ明治十一年九月迄一期之間醸造見込石数ニ御座候間、此段御届申上候

明治十年十月

第4大区三小区由利郡城内村弐

百五番地

営業人 大井永吉㊞

秋田県権令 石田 英吉殿

前書之通相違無之、依而奥印仕候也

第四大区三小区城内村道部事務

戸長 石川 勝良㊞

(朱書)

書面届出之趣聞届候事

明治十年十一月廿七日

秋田県権令  石田英吉代理

秋田県小書記官 白根専一㊞

蔵元通信のバックナンバー(PDFファイル)をご覧になるためには、Adobe Acrobat Readerが必要です。
Acrobat Readerはこちらからダウンロードできます。

バックナンバー


お電話でのお問い合わせ

0184-55-3165

フリーダイヤル:0120-50-3165

平日8:00~17:00

20歳未満のアルコール類の購入や飲酒は法律で禁止されています。