天寿の杜氏Ⅲ
代表取締役社長 七代目 大井永吉
「やらかす(失敗する)と社長が必ず通る」と試験の見てもらいたくない状態の時に、毎日の酒造りの進行具合を見廻る私に必ず見つかる事を嘆いていた。当然私に叱責をあびますからね。
その頃から日本酒のコンテストが、国内・国外共に増え始め、海外への輸出も始めた事から、海外では受賞歴が商品説明より有力なところがあり、その受賞は大いに役立った。
十年間で全国新酒鑑評会金賞四回・銀賞二回をはじめ、全米日本酒歓評会・IWC・ISC・ワイングラス・燗酒コンクール等で金賞等数多くの受賞をしている。
蔵内でも杜氏は中堅程度であり、次代には十年以上の余裕が有ると考えていた為、社内でも次の杜氏はまだ養成途中であり、社外の杜氏への要請も考えたが、ギリギリの選択の中で入社八年の一関陽介に白羽の矢を立てた。
これまでの酒造り改善の努力が良い形で残るかどうかの土壇場で、正直冷や汗の流れる選択であった。
一関杜氏は東京農大花酵母の父である中田久保教授に次の杜氏を目指せる者をとお願いし紹介いただき入社した。前杜氏は腰が軽い軽快タイプとすると、一関は若いのに蔵内を走る事が少なく、のっそりタイプに思えた。その頃はまだまだ新人蔵人感があり、教授の紹介とは言え次の杜氏の覚悟もまだまだ持ちようがなく、佐藤の様に杜氏養成の為の研修・蔵見学等は行ってこなかった。そのような環境下での突然の杜氏指名は大変な事で緊張や恐怖さえあったのだろうと思う。
初年度はこれまで通りの酒造りを徹底的に行う事。二~三年の間手法を変えずに杜氏の役職に慣れる事と、今の酒造りが何故そうなったのかを検証する事を命じた。
杜氏だけでなく私も緊張し、毎日蔵に行き各工程の様子を細かく見ながら杜氏の横に立っていた。
先代から「造り中の蔵は毎日歩け」と言われていた。出張なども多く毎日とはいかなかったが、この年程緊張感をもちながら頻度も多かった年はなかった。
それまでの様々な試験のデータを探させ何故行い結果がどうだったのかを伝えたが、そのデータの少ないことに驚き、結局は私の記憶しか蔵に残っていないことに驚くと共に、その残念さと怖さに愕然としたものだ。
その一関も最初は秋田県最年少杜氏から始まり、十年を超え県内でも中堅となったが、私の念願であった生酛造りを復活し、蔵マスターの生酛部門日本一となったのは大きな成果であった。また歴代で最も受賞数が多く全国新酒鑑評会金賞五回・銀賞三回・秋田県清酒鑑評会知事賞四回(内首席一回)・2023山内杜氏自醸酒鑑評会首席・2019ワイングラスでおいしい日本酒アワードで四部門最高金賞受賞・IWC秋田トロフィー受賞等輝かしい受賞歴が有る。
全国新酒鑑評会の金賞受賞が四回で連続が途切れた時、県内の大杜氏が「そろそろそう言う頃だものな」と一言。杜氏とは難しいものだと思った。アスリートの様に何かが違ったのかもしれないが、それが何かというのは本人には難しい事だろうと思う。
もちろん、私もいるし頭(かしら)以下蔵人達もいる。たゆまぬ努力と言うが、皆と力を合わせて更に高いレベルの酒造りに邁進したい。
当たり前
杜氏 一関 陽介
今日は四月二十四日。数年前まではこの文章を書いているまさに今頃に近隣の桜が満開を迎えていたような気がするのですが、早かった昨年にも増して開花が早く、すっかり葉桜になってしまいました。通勤途中にも桜の木が沢山あるのですが、酒造りが終わるこの頃に咲き始めてくれるともう少し花見気分も味わえるのでしょうが、五月の連休まで続く酒造りに頭がいっぱいでそれどころではありませんでした。皆様に読んでいただいている今頃には酒造りも終わり、きっと私にも遅い春がきていることでしょう。
さて、今年の酒造りを振り返るといろいろなことがありましたが、昨年秋の仕込み開始早々にもろみの冷却機の基板がダメになり、それに続けて濾過機の不調で濾過ができないという立て続けに長年使用している道具が使えない状況に陥り肝を冷やしたことが一番の出来事だったでしょうか。蔵人メンバーのカバーと、日頃お世話になっている業者様の素早い対応により助けていただき、有難いことに品質には影響なく済んだことは感謝以外にありませんでした。機械や道具は突然壊れるものだと思えばそれまでですが、メンテナンスが行き届いていなかったことはもちろん、どこかで「いつも動いて当たり前」という自分の甘い気持ちが招いた結果だろうと深く反省をしました。
私達は普段から様々な機械や道具を使います。人間がやるよりも衛生的で効率的、且つ人間の五感で判断するべきこと以外であれば、機械に頼って良い部分が多くあると思っています。ただし、人と同じ、若しくはそれ以上に働いてくれるわけですから上手に使うことが求められると思います。今回壊れた機械よりも長く使用している物も今まで以上に手入れをしっかりすることで、できるだけ長く活躍してもらえるように人と同じように感謝の意を込めて接したいと改めて思った次第です。
そんなことがあった今季の酒造りも今日現在残り七本搾れば皆造を迎えるところまで来ております。前号でも触れましたが、今年は過去例を見ない程の原料米の溶けが悪い年で非常に粕歩合が高くなり、酒質への影響が心配されておりました。それでも対策を考え蔵人全員が真摯に向き合って造ったお酒の品質は納得できる仕上がりであったと思います。
まだ四月だというのにすでに気温が二十度近い日が続いており、今年も昨年のような夏の異常な高温多雨になり、原料米の質に影響を及ぼすのではないかと早くも心配しています。もっと言えばそれが当たり前の気候になるのであれば、米作り・酒造りの当たり前まで変えてしまう可能性まであると思うのです。全く良い話だとは思いませんが、今季の酒造りがもしかしたら来季以降の酒造りのベースにもなり得るし、活かせる重要な事柄がそこにはあると思います。まずしっかりと今年の反省をすること、そして機械の話もそうですが、今日の当たり前が明日には当たり前ではなくなるかもしれないという恐怖心を持つ大切さを忘れずに酒造りに励んでいきたいと思います。