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蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

天寿の杜氏Ⅲ
2024-05-01

天寿の杜氏Ⅲ

代表取締役社長 七代目 大井永吉

「やらかす(失敗する)と社長が必ず通る」と試験の見てもらいたくない状態の時に、毎日の酒造りの進行具合を見廻る私に必ず見つかる事を嘆いていた。当然私に叱責をあびますからね。

その頃から日本酒のコンテストが、国内・国外共に増え始め、海外への輸出も始めた事から、海外では受賞歴が商品説明より有力なところがあり、その受賞は大いに役立った。

十年間で全国新酒鑑評会金賞四回・銀賞二回をはじめ、全米日本酒歓評会・IWC・ISC・ワイングラス・燗酒コンクール等で金賞等数多くの受賞をしている。

蔵内でも杜氏は中堅程度であり、次代には十年以上の余裕が有ると考えていた為、社内でも次の杜氏はまだ養成途中であり、社外の杜氏への要請も考えたが、ギリギリの選択の中で入社八年の一関陽介に白羽の矢を立てた。

これまでの酒造り改善の努力が良い形で残るかどうかの土壇場で、正直冷や汗の流れる選択であった。

一関杜氏は東京農大花酵母の父である中田久保教授に次の杜氏を目指せる者をとお願いし紹介いただき入社した。前杜氏は腰が軽い軽快タイプとすると、一関は若いのに蔵内を走る事が少なく、のっそりタイプに思えた。その頃はまだまだ新人蔵人感があり、教授の紹介とは言え次の杜氏の覚悟もまだまだ持ちようがなく、佐藤の様に杜氏養成の為の研修・蔵見学等は行ってこなかった。そのような環境下での突然の杜氏指名は大変な事で緊張や恐怖さえあったのだろうと思う。

初年度はこれまで通りの酒造りを徹底的に行う事。二~三年の間手法を変えずに杜氏の役職に慣れる事と、今の酒造りが何故そうなったのかを検証する事を命じた。

杜氏だけでなく私も緊張し、毎日蔵に行き各工程の様子を細かく見ながら杜氏の横に立っていた。

先代から「造り中の蔵は毎日歩け」と言われていた。出張なども多く毎日とはいかなかったが、この年程緊張感をもちながら頻度も多かった年はなかった。

それまでの様々な試験のデータを探させ何故行い結果がどうだったのかを伝えたが、そのデータの少ないことに驚き、結局は私の記憶しか蔵に残っていないことに驚くと共に、その残念さと怖さに愕然としたものだ。

その一関も最初は秋田県最年少杜氏から始まり、十年を超え県内でも中堅となったが、私の念願であった生酛造りを復活し、蔵マスターの生酛部門日本一となったのは大きな成果であった。また歴代で最も受賞数が多く全国新酒鑑評会金賞五回・銀賞三回・秋田県清酒鑑評会知事賞四回(内首席一回)・2023山内杜氏自醸酒鑑評会首席・2019ワイングラスでおいしい日本酒アワードで四部門最高金賞受賞・IWC秋田トロフィー受賞等輝かしい受賞歴が有る。

全国新酒鑑評会の金賞受賞が四回で連続が途切れた時、県内の大杜氏が「そろそろそう言う頃だものな」と一言。杜氏とは難しいものだと思った。アスリートの様に何かが違ったのかもしれないが、それが何かというのは本人には難しい事だろうと思う。

もちろん、私もいるし頭(かしら)以下蔵人達もいる。たゆまぬ努力と言うが、皆と力を合わせて更に高いレベルの酒造りに邁進したい。

当たり前

杜氏 一関 陽介

今日は四月二十四日。数年前まではこの文章を書いているまさに今頃に近隣の桜が満開を迎えていたような気がするのですが、早かった昨年にも増して開花が早く、すっかり葉桜になってしまいました。通勤途中にも桜の木が沢山あるのですが、酒造りが終わるこの頃に咲き始めてくれるともう少し花見気分も味わえるのでしょうが、五月の連休まで続く酒造りに頭がいっぱいでそれどころではありませんでした。皆様に読んでいただいている今頃には酒造りも終わり、きっと私にも遅い春がきていることでしょう。

さて、今年の酒造りを振り返るといろいろなことがありましたが、昨年秋の仕込み開始早々にもろみの冷却機の基板がダメになり、それに続けて濾過機の不調で濾過ができないという立て続けに長年使用している道具が使えない状況に陥り肝を冷やしたことが一番の出来事だったでしょうか。蔵人メンバーのカバーと、日頃お世話になっている業者様の素早い対応により助けていただき、有難いことに品質には影響なく済んだことは感謝以外にありませんでした。機械や道具は突然壊れるものだと思えばそれまでですが、メンテナンスが行き届いていなかったことはもちろん、どこかで「いつも動いて当たり前」という自分の甘い気持ちが招いた結果だろうと深く反省をしました。

私達は普段から様々な機械や道具を使います。人間がやるよりも衛生的で効率的、且つ人間の五感で判断するべきこと以外であれば、機械に頼って良い部分が多くあると思っています。ただし、人と同じ、若しくはそれ以上に働いてくれるわけですから上手に使うことが求められると思います。今回壊れた機械よりも長く使用している物も今まで以上に手入れをしっかりすることで、できるだけ長く活躍してもらえるように人と同じように感謝の意を込めて接したいと改めて思った次第です。

そんなことがあった今季の酒造りも今日現在残り七本搾れば皆造を迎えるところまで来ております。前号でも触れましたが、今年は過去例を見ない程の原料米の溶けが悪い年で非常に粕歩合が高くなり、酒質への影響が心配されておりました。それでも対策を考え蔵人全員が真摯に向き合って造ったお酒の品質は納得できる仕上がりであったと思います。

まだ四月だというのにすでに気温が二十度近い日が続いており、今年も昨年のような夏の異常な高温多雨になり、原料米の質に影響を及ぼすのではないかと早くも心配しています。もっと言えばそれが当たり前の気候になるのであれば、米作り・酒造りの当たり前まで変えてしまう可能性まであると思うのです。全く良い話だとは思いませんが、今季の酒造りがもしかしたら来季以降の酒造りのベースにもなり得るし、活かせる重要な事柄がそこにはあると思います。まずしっかりと今年の反省をすること、そして機械の話もそうですが、今日の当たり前が明日には当たり前ではなくなるかもしれないという恐怖心を持つ大切さを忘れずに酒造りに励んでいきたいと思います。

天寿の杜氏Ⅱ
2024-03-14

天寿の杜氏Ⅱ

代表取締役社長 七代目 大井永吉

私に社長を交代する事を先代から一年前に言われていた。四十歳で就任し意外に早いと思った記憶が有る。日本酒の需要が急激に落ち始め毎年5%以上の売り上げの減少、すでにピークからは三十%減少しており、グループ会社であった大井製材所を廃業し、その負債も抱えてのスタートであった。

農大醸造学科卒業後寶酒造で営業職を三年務めて帰った。戦後高度成長期が有り、田舎としてはそれなりの規模としばらくの安定期が有った為か、バブルが崩壊しても社内に危機感が無く、今やっていることをそのまま続ける前例踏襲型でかたまっており改革・改善の声にも中々反応が鈍かった。

町内の三百人規模の弱電会社が百名リストラし、役場にも対策本部が出来、いよいよバブル崩壊の危機が地元でも目に見えてきたころに新体制での改革を宣言し、事業目標・組織改編・給与体系・評価基準等も発表して、必死にその推進を図った。

田舎あるあるで、事業規模の縮小により人員も余剰となったが、断腸の思いで定年退職を半年後にひかえたお一人だけ半年の早期退職を願ったとたん「天寿もリストラした」と大騒ぎになり、以降定年退職待ちの自然減をじっと待ち、ワークシェア状態の為新規採用の出来ない時期が暫く続く事となった。

そのような環境ではあったが、「酒蔵が出来る事は良い酒を造る事」「この地で出来る最高の酒を造る」と言う目標を掲げ、酒造りの工程全てを見直し、昔から良いと言われている作業を何故良いのか検証し、良い事は現在の技術で更に伸ばす為の機械改善費の五万円・十万円に爪をたてながらも一つ一つ無い予算に脂汗を流しながら実施、自社で出来る事は出来るだけ自分たちや地元の機械屋で改造しながら改善を行った。この時の同志で右腕であったのが私が指名した佐藤俊二杜氏であった。

彼は事故で亡くなった私の同級生の弟で、「兄が亡くなったので弟を家に戻す事にした。ついては天寿で雇ってくれないか」とお母さんから談判があった。農大卒だが果樹園芸科、事情もよく判ってはいたが人手が十分の頃で「次代の杜氏を目指すつもりが有るなら採用する」と条件をつけた。

バイクやカートで遊ぶのが大好きな若者であったが、東京滝野川の醸造試験場に一年研修に出したり、蔵見学や勉強会に数多く出し研修に当て育成した。

酒造りでは私の方針の元で、蒸米の水分精度を向上させ、原料米自動計量器や洗米脱水吸引機等を開発し洗米や浸漬の精度を非常に高いレベルへ上げた。花酵母研究会初期の事務局も務め、共に「純米大吟醸鳥海山」や縦鳥海山シリーズ等の商品の開発を次々に行った。

春隣

杜氏 一関 陽介

年明けから積雪量の少ない日が続き三月を迎えたところで少しまとまった雪が降り、この文章を書いている今も窓の外は雪景色です。逆に、先日は二月なのに十五度を超える日もあるなど、今年は日によって寒暖の差が大きいように感じます。夏の高温や豪雨などの異常気象も含めて自然環境は年々変わりつつあるようです。近年の酒造りは空調・冷水設備が整っていることで外気温から受ける影響は年々少なくなってきているように思いますが、特にもろみや搾った後のお酒の品質管理を考えると、もう少し低温で安定してくれと毎日願っているというのが本当のところです。 

さて、二月二十三日に酒蔵開放を無事開催することができました。沢山のご来場、お礼申し上げます。当日私は例年通り蔵見学の担当をいたしました。蔵人の解説付きでしっかり蔵の中を見ていただくことを目的とし、昨年度から事前予約有料制とさせていただいておりますが、沢山のご予約をいただき、ほぼ終日満員でご案内させていただけたことは有難く、嬉しい限りです。私の担当したプレミアムプランは、蔵内の見学を四十分、お酒とおつまみをお楽しみいただきながら私の酒造りの話を一時間聴いていただくコースでした。私は自称「何事も事前に考え込んでしまうタイプ」なので、できるだけ分かりやすくしたい・昨年とは違う話を少しでも入れたい等々、前日まで悩みました。一時間はあっという間で自分で考えていたことの全てをお伝えすることはできませんでしたが、参加されたお客様の「参加して良かった」「楽しかった」という言葉・笑顔をいただけたことで、私としてもお客様と密に繋がれるこのような機会は大変貴重で大切な事だと改めて感じさせていただける大満足の一日となりました。同じ形式かどうかは分かりませんが、また来年も開催出来たら良いなと思います。

私にとって毎年二月は酒蔵開放や立春朝搾りといった、仕込み開始時点でもろみを搾る日が決まっていて、さらに搾るところから瓶に詰めて出荷するまでをその一日で行うイベントが二度もあり、またそのイベントの合間に鑑評会出品酒の大吟醸を搾るという大変胃の痛くなる月なのです。お正月がついこの前のように感じるほど二ヶ月があっという間に過ぎてしまい、気づけば今年の酒造りも終盤を迎えています。

前号でも書きましたが、昨夏の気温が異常に高温だったことが原料米の品質に大きな影響を与え、その溶解し難い性質によって、搾った後に出る粕の割合が非常に高くなっています。ただし、そこだけを見て無理矢理に操作し米を溶かそうとして酒質バランスが崩れる心配をするよりは、今年はそういう質なのだと割り切っていつもの自分達の目指すところに向かってベストを尽くそう、それが良酒の道と信じて昨秋から取り組んでまいりました。

また原料米の質に加えて前出の通り暖冬傾向と妙な寒暖差に品質管理が翻弄される酒造りになっています。「ああしたら、こうしたら・・・」と技術的にいろいろ思うところはありますが、自然に対抗しようとあまり思わず、上手に付き合う(自分達がやるべきことは徹底的にやる)ことが今季の最善と考えます。仕込みも残り一か月。悔いのない春を迎えられるように頑張ります。


謹賀新年
2024-01-01

謹賀新年

代表取締役社長 七代目 大井永吉

明けましておめでとうございます。

今年の秋は暖冬で、今の所非常に雪は少ないです。

心配された猛暑による米の発育不良につきましても、杜氏になり十一造で中堅の安定感を発揮し始めた一関陽介杜氏が、1本目の酒粕の多さにはギョッとしてはいましたが、いち早く米室の特徴をつかみ対応したため、皆様にすでにお届けした「純米吟醸初槽」や「天寿霞純米」等の絞り立て新酒が順調に醸造されたことをご理解いただけたと思います。

スパークリングの中では価格が安いのですが賞をよく頂いている「スパークリング鳥海山」をクリスマス前に発売する為、新発売当時より10月から酒造りを始めました。杜氏をはじめ蔵人には難儀をかけておりますが、今回はこれまで最高のガス圧になり、酸味と甘みのバランスも良くキレが良い最高の仕上がりとなりました。

今年の天寿にも是非ご期待ください。

コロナ禍以降厳しい環境の中、何とか(何もない)ではなく、少しでも可能な限りみなさまとの交流と、お酒を軸とした楽しさ・豊さを共有しようと、ドライブスルーや規模を縮小した可能な限りの蔵開放を開催してまいりました。今年も5類とはなりましても感染予防の観点から蔵案内は予約・人数限定方式ですが、試飲やグッズ販売、食べ物の販売は以前のように開催致します。

これまでと全く同じにとはできず、会場の関係で猿倉人形は出来ません。また、瓶詰工場も洗瓶機や充填機・ジュール熱殺菌機等のセイン説により、試飲の会場もかなり狭くなります。スタッフも5年の間に入れ替わり不慣れな者も多いのですが、一生懸命頑張りますので、ご理解を賜ります様、よろしくお願い申し上げます。

世の中は大変な人手不足ではありますが、今回もボランティアスタッフ大募集です。打ち上げの懇親会でご一緒に充実感に浸りましょう(笑)

昨年11月10日に7代目永吉襲名披露宴を開催させて頂きました。文政13年以来大井家の当主になり次第永吉の名を継いで参りました。

明治以降は先代が亡くなってからとなりましたので、社長になって25年目の襲名であります。あと数年で創業200年を迎える天寿酒造の新たな覚悟をと考えました。しかし、7代目として襲名しての1番の感慨は家を継ぐという事でした。

都会とは違い相続した土地と山林はたいした財産にはなりません。コロナ禍に過疎化はさらに加速度的に進み始めましたが、首都圏のみの発展で地方の発展をなくして、日本は成立しないと思います。急に声高になった食料安全保障も既に農家に後継ぎは無く、一度途切れた農家や農地は蘇らないというすぐそこにある危機に気が付いていない感じです。

襲名披露で8代目・9代目と共に皆様にまみえることが出来ましたのは、誠に有り難く皆様のお陰と心から感謝申し上げます。

この様な時代であるからこそ、200年の信用と伝統を背に、足元を見つめ今できることをしっかりと固め、「この地で出来る最高の酒」を醸し、和食と共に広く社会を見つめながら、「世界に通用する酒蔵」を目指してまいります。今年もよろしくお願い申し上げます。

一意専心

杜氏 一関 陽介

あけましておめでとうございます。今年も皆様方より沢山の「美味い!」がいただけますように製造メンバー一丸で良酒を醸す所存ですので、是非ご期待いただければと思います。

今期の酒造りも予定しているもろみ本数の4割が終わろうとしており、早いもので中盤~後半戦に入ろうとしているところです。今年の酒造りのトピックスとしてはやはり前号でも記しましたが、秋田県産の原料米が災害級の天候不良によって収量が悪いこと、加えて夏の猛暑によって顕著な不溶性障害が出ていることでしょうか。搾られてくる新酒の傾向としてはその不溶性によって粕歩合が予想通り全体的に高いですが、上品でキレイな酒質に仕上がっていると思います。

年末ギリギリまで机の前では最終的な原料米の数量確保に頭を悩ませ、現場に出れば米と向き合いどういう原料処理をすれば自分達の酒のベストを出せるのか考える毎日でした。

「量が足りない」「質が良くない」という「ない」という言葉はマイナスの意味に捉えてしまいがちです。しかし、都合の良い考え方かもしれませんが、「来年はもっと沢山造ることができる」「自分達のスキルを存分出すことができるJという「できる」という言葉に変換することで、私は自分のモチベーションを上げることにしています。

絶対的に起こらない方が良いのですが、近年は毎年のように全国どこかで異常気象による自然災害が起きているように思います。災害とまではいかなくても、豪雨や酷暑による雨など原料米の栽培にとって厳しい気象条件が今後当たり前になっていくのだとしたら、当然原材料の品質も厳しいものになり、酒造りにおいてもその品質に合わせた造り方がめられていくのは必然でしょう。未来の事など、あくまで予測に過ぎません。ただ今確実に出来ることは目の前の酒造りに取り組み、その時怒ったことを記録し記憶することを怠らないようにすること。きっとその中に未来役に立つことがあると信じて取り組むことだと思います。

さて、少し話は逸れますが、昨年末毎年恒例ではありますが、私の後輩にあたる東京農業大学の学生3名が遠路遥々、醸造実習に来てくれました。毎年この期間は自分が実習で天寿に来た時のことを思い出しますが、約20年前の自分は、今の自分の姿を想像できていなかったと思います。未来のことを考えて毎日生きることはなかなかできることでは無いと思います。だからこそ今を精一杯に生きることが未来の自分のために大事だと思います。

2週間ではありましたが、学生たちには「自分の未来のために今を精一杯に」という想いが伝わっていれば良いなと思うのと同時に、私もさらに日々研鑽を積むことで未来の自分のために立ち止まってはいられないという気持ちにさせられました。

酒造りは人生と同じなのかもしれない。きっと経験値が増えれば円熟味が出てくるのでしょう。杜氏12年目の酒造りも蔵人メンバーと共に最後まで事故なく怪我なく終えられるよう、「一意専心」春まで頑張ります。

天寿の杜氏
2023-11-01

天寿の杜氏

代表取締役社長 七代目 大井永吉

歴史を見ると明治大正の頃の酒造従業員は、蔵元の主人、子弟が杜氏役を務め、蔵における労務の配分等は「代官」と称する年配者に任せ、蔵人は近くの農家の人々が農閑期の現金収入を得る為の季節労務者の形態が殆どだった。

四代目永吉(亀太郎)は大山流と伊丹流の両方を学び「改良実施酒造秘書」等を残した几帳面な人であった。自社以外にも妻の実家「玉泉」叔父の婿入り先の「富士川」の面倒も見た為、無理がたたり、その技術を息子や後進に十分伝える間もなく三十六歳の若さで他界した。

五代目永吉(昌助)は、その時まだ十五歳であった。しっかり者だった母トミエと苦労しながら実家を護り、大正三年二十歳の時東京滝野川の醸造試験所で長期研修生として技術を研鑽、当時の最新技術を身に付けて帰郷。その後酒質は飛躍的に進歩し、販売増進の要因となった。天寿の杜氏は製造数量の増加に伴い五代目が雇った秋田市新屋の渡辺兼蔵杜氏に始まる。大正十一年に杜氏(新屋・浜田杜氏との記録)として採用され、五代目と共に精進し、昭和八年頃から頭角を現し昭和十年代に連続で全国優等賞に輝いた。

秋田県の山内杜氏の育成事業が起こり、秋田流低温長期醗酵の生みの親である花岡正庸先生のご指導の元、山内杜氏が誕生した。弊社では同じ町内の佐藤廣作氏がその指導下で杜氏となり戦中戦後の大変な混乱期を五代目と共に乗り越えてくださった。(昭和十三年~昭和三十七年)

私が入社時の杜氏は昭和三十七年入社。先代と同年で高度成長を共に築き上げた中野恭一杜氏(山内村出身)で、数件の酒蔵で修行後三十一歳の若手ながら杜氏として採用となった。その頃は天寿酒造最大の生産量九,八〇〇石・年商十億円を超えた。率先垂範型の方で「えず、えずせ!」(あれをあれしろ)との中野の指示が何の事が判らないと一人前の蔵人と見なされなかった。出品酒は山田錦四十%精米 協会十号酵母仕込みであった。第一次吟醸ブーム直前の頃で、私の意見(笑)でYK35へ変更して中野杜氏初の金賞受賞となった。(昭和六十二年秋田県金賞受賞三蔵のみ)

中野杜氏が(本人は当て馬に担がれて当選してしまったと不本意であったようだが)山内農協理事長就任により、平成二年高校卒業以来中野杜氏の下で修業し、酒を飲むのは歴代最強、高校からの相撲取りでアマチュア相撲ではあるが、青年団の全国大会二位の実績を誇る村上嘉夫杜氏就任。秋田流花酵母AK‐1が誕生し、県内でもこの酵母遣いがトップクラスで、十二年中三回の金賞六回の銀賞受賞と輝かしい受賞歴を誇ります。(次号へ続く)

新年度に寄せて

杜氏 一関 陽介

十月十日から令和五年度の酒造りが始まりました。昨年の仕込みが終わった段階から、今年の酒造りに向けてあれこれと考え続けて半年が経ちましたが、いざ始まってみると目の前のことに立ち向かうことで私個人は精一杯といったところです。蔵内の現況ですが、ほぼ例年通り九月中旬に酒米研究会メンバーの圃場の稲刈りは始まり、下旬には精米も開始しました。今年の原料米は雨が多かったことや出穂後の気温が非常に高かったことで、収量の確保と高温障害による品質低下が非常に心配されています。時間をかけ丁寧な精米を徹底するなど、次工程に良い状態で進むことができるように今できる細心の注意を払って作業をしていますが、私のピリついた心情を察したのか、久しぶりに使用する精米機も大きなトラブルもなく動いてくれて非常に助かっています笑。

この原稿を書いている十月下旬でも最高気温が二十度近くまで上がる日もあるなど、まだまだ原料処理・品温管理には苦労しそうな日が続きそうですが、如何に早く自分達のペースに持っていけるかが杜氏の技量であり、プロの腕の見せ所だと思います。まだまだ未熟な杜氏ではありますが、気付けば十二年目。今年も頑張ります。

杜氏就任以来大切にしているのは、「お客様に届くまでが酒造り」という言葉。商品によって異なりますが、日本酒は搾った後濾過・殺菌などの工程を経て瓶詰め・貯蔵され、適熟を待って出荷します。実際、搾ってすぐ出荷するしぼりたて商品などの生酒を除けば、精米開始からお酒が搾られるまでの期間よりも、搾ってからお客様に届くまでの期間の方が弊社の場合は相当長いのです。

スペック(精米歩合、アルコール分、酵母種類など)は確かに重要ですが、私が酒質設計をする段階でまず考えるのは「いつ飲んでいただくのか」と「いつ造るのか」です。搾った後、出荷するタイミングまでの間の貯蔵管理によって味がどう変化するのか想像することから始めます。酒は生き物なので、搾った時の酒質と貯蔵を経た出荷時の酒質とではどうしても異なります。それを想像して造ることは非常に難しいことですが、それが自分の仕事であり、そこまで考えて納得した酒を世に送り出したいと思うのです。搾った時に自分達が美味しいと思える酒を造ることは当然であり、その後の管理を以てお客様にも納得して飲んでいただきたいのです。

それはこの仕事を続けていく上では永遠のテーマかな?と思いながら、今日も醸し続けます。今年度もよろしくお願いいたします。

目指すもの
2023-08-28

目指すもの

代表取締役社長 七代目 大井永吉

残暑お見舞い申し上げます。

全国的な猛暑・残暑・大雨と災害が多発、八月後半に最高温度を記録し、コロナが再度広がる中、米の高温障害を恐れ、体調と作業中の熱中症に気を付けながら過ごすこの頃です。

秋田の大雨災害の折にお見舞いいただいた皆様、心から感謝申し上げます。想像を絶する被害でしたが、お陰様で私共の地域では何事も無く過ごすことが出来ました。あと半日雨が続くと、一級河川の子吉川が氾濫しただろうとの事で、その重大さにぞっといたしました。

秋田は人口減少の最先端?を走っておりますが、それにまた拍車がかからないか…と心配しております。

農業環境の厳しさに親も農家を継ぐことを勧めず、先祖からの田畑を守る人が減った為、地元の人手不足はコロナ後一挙に進んでしまい、十年後の就農人口を考えると、非常に厳しい状況になってきました。

大井本家文書によると大井永吉家文政十三年(一八三〇年)八月十六日分家創業とあります。従いまして只今は百九十五年目に入り、あと一ヵ月でその酒造りが始まります。

初代永吉は何を想い始めたのか?それまで本家の酒造りの中心を担い、創業当初は麹・濁酒から始めたと記されてあります。

当時秋田県は大藩である秋田(佐竹)藩と小藩の亀田(岩城)藩・本荘(六郷)藩・矢島(生駒)藩からなっており、太平洋戦争前まで七軒の造り酒屋が有った矢島は秋田藩内でも矢島酒と呼ばれ売れていたと聞いております。

社長になった当初精米所の大改造・大吟醸仕込み蔵の移動・夜間蓄冷設備の導入と共に城新蔵の冷房・断熱工事及び小型貯蔵用タンクへ入れ替え・船舶用冷凍コンテナ十一基導入・一升瓶が二万本入る中型冷蔵庫五基建設・二〇一七年釜場並びに酒母室の改築・槽場の冷房設備導入・そしてコロナ禍により予定が四年遅れましたが、二〇二三年現在瓶詰工場の設備更新を行っております。

改革を進めてきた二十四年間、並べると設備面だけでもこれだけ色々ありますが、新しいものは必ず古くなります。自分にとってはあっという間でも、四半世紀は誰にとっても長い期間でしょう。でも、この数はたゆまなく進んできた証ではあります。

創業二百年まであと六年。七代目大井永吉を襲名し、皆様に歓んで頂ける「この地で出来る最高の酒を造る」事を目指し益々精進いたします。天寿百九十五年目の酒に乞うご期待です!!

備える

杜氏 一関 陽介

秋田県を中心とする七月十四日からの大雨により、被害に遭われました方々へお見舞いを申し上げます。また、秋田県に限らず、全国各地で発生した集中豪雨により被害に遭われ、未だ復旧の最中にある方々におかれましては、一日も早く平常へ戻られることをお祈り申し上げます。

今回の秋田県豪雨の際、私も一日だけではありますが、復旧ボランティアに参加させていただきました。洪水が残した爪痕からは被災された方々が到底太刀打ちのできない状況であり、想像できない程の恐怖であったのだろうと感じさせられました。見慣れた街の風景が喪失感で溢れているのを覚えています。

いつどこで何が起こるか分からない世の中です。「備えあれば憂いなし」は通用しないくらいの心持ちで、身の回りで起こり得ることに敏感でなければならないと勉強させられました。

この異常気象は雨に限らず、暑さも深刻です。日本酒の原料である米もこの酷暑によって品質に障害が出そうな状況で、出穂後の気温が原料米の溶け具合に最も影響を及ぼすと言われており、気温が高いと不溶傾向になります。弊社がある矢島町の今年八月一日から十四日までの二週間の日平均気温が二七・七度、昨年同時期で二五・七度ですので二度高い計算です。近年原料米が溶けづらかった令和元年で二六・八度。その時よりも高いということは・・・という想定で今期の仕込みに入ることになりそうです。

私は今、今期の製造計画立案の真っ最中です。昨年度の反省を基に何をどのくらい製造するのか日々考えているわけですが、時間がある時に稲刈りを前にした圃場を眺めていると、今年の酒はこんな感じに仕上がるかなと想像できるようになり、その対策まで頭に浮かんでくる自分がいます。気が付けば杜氏十二年目ですから。

もっと言えば、酒造りは私一人でなくチームで行うものですから、油断は禁物ですが自分達の技術には一定の自信があります。技術のことを考えながらも最近私が気になる事は、資材の高騰、一部報道でもあったように一升瓶が不足していることなど、搾った後の酒の貯蔵管理や流通の問題でしょうか。自分では変える事の出来ない問題にぶち当たった時、黙って見ているのではなくて、一度立ち止まって発想を変えてみたりすることで解決できることはないかと思ったりします。具体的な事はないのですが、私はとにかくお客様が飲んで喜んでもらえるものが造りたい。天寿スピリッツを兼ね備えた、お客様に求められる商品を造りたい。その一心です。

目まぐるしく変わる世の中で、変わらない天寿らしさを表現できるように、あと一カ月後に迫り来る酒造りに備えたい、そんな心境です。

天寿酒米研究会
2023-06-28

天寿酒米研究会

代表取締役社長 七代目 大井永吉

春先から不順な天気が続き、その後秋田も梅雨に入ったとの事ですが、空梅雨なのか違うのか…、中々判断が難しいようです。

そんな中でも田んぼの苗は力強さを増してきました。これまでの低温と風の影響で生育にやや遅れが出ているとの判断ですが、六月二十二日に行った天寿酒米研究会では、メンバーが稲株を持ち寄り、指導者で酒母の頭を務める佐藤博美氏はバラツキはあるものの全体として例年並みであると判断し、田の水の深さや中干にかかる日にちなどを明確に指示するなど、メンバー全員と真剣な討議を致しました。

天寿の酒造りの目標は「この地で出来る最高の酒を醸す事」これまで開発された酒米のうち最も私が注目している百田を若手社員が希望する禁断の精米歩合二十五%とし、今この地で出来る最高を目指してみました。「天寿 純米大吟醸 百田 スペシャル25」初孫の生まれた年の新たな挑戦です。

天寿酒米研究会は昭和五十八年(一九八三年)に六代目が「酒造りは米作りから」と矢島で農業を営む蔵人三名に美山錦の栽培を委託したことから始まります。翌年帰郷した私が二年目から担当し、社員やそのつてをたよりに米作りの腕前の評判なども聞きながら少しづつメンバーを増やしていきましたが、当時は食糧管理法の為大変苦労致しました。

食糧管理法とは、戦時下における食料供給の安定を目的に制定された法律。(廃止は一九九五年)、米を作ると全量国が買い上げてくれる時代でしたので、品質よりも少しでも収穫量を増やすことが主流でした。国民に米が足りない時代には大変重要な法律だったと思います。しかし、私が帰った頃には既に余剰米発生が続き、政争の具となっておりましたので、一人一人と「食管法は米が余っているのでそうは続かない。自由化になっても目の前にある酒蔵が酒造りが続く限り契約栽培米は全量買い取りますから」と説得を続けたのでした。

酒米研究会の勉強会で「なんで酒屋の為にそんなに気を使った米を作らなきゃいけないんだ」と言われたこともありました。

今は酒造好適米の方が価格が高いのですが、当時は一般米の方が高く収穫量も多いため、メリットは中々理解しがたかったと思います。しかし、志高くメンバーになっていただいた方々には差額を奨励金として出したりして維持発展を図りましたが、自由化になり価格が逆転すると、今度はそれまでの苦労を知らない周りから、あきたこまちの作付割合を削減されたりなど、色々な歴史が有ります。

本当に良いメンバーに恵まれておりますが、ここに来て高齢化が心配の種です。

今回コロナやウクライナ戦争に端を発した諸物価の値上がりにより、弊社も値上げをさせて頂きましたが、日本酒が二十年値上げをせず何とかなったのは市況もありますが一番は米の値下がりです。食管法を突然廃止され農家は梯子を外されたようなもので、将来にわたる農業経営感覚を育てる必要がなかったほとんどの農家はいじめられすぎました。今日本の農家で跡継ぎのいる割合はどの位あるでしょう。我が町ではほとんどいません。十年後の日本の農業はどうなってしまうのだろうと心配しております。

若者が農業の跡継ぎになっても良いと思える日本農業に早くなってもらいたいと祈るばかりです。

令和五年度へ向けて

杜氏 一関 陽介

五月末に審査結果が発表になりました令和四酒造年度全国新酒鑑評会において金賞をいただくことができました。入賞に甘んじた昨年度の悔しさを晴らすことが出来たのと同時に、蔵人メンバーの努力が実る結果となり最高の気分です。また日頃からご愛飲いただいております皆様方のお力添えにより、日々の酒造りが出来ていることに改めて感謝を申し上げます。出品するからには絶対に金賞が欲しい一心で取り組んでまいりました。この結果を励みに来年度の酒造りに臨む所存です。是非ご期待ください。

先日、全国新酒鑑評会に全国の酒蔵から集まった出品酒を一度に利き酒できる製造技術研究会が開催され、広島県へ行ってまいりました。コロナによって研究会自体の開催が無い年があったことと、自主的な行動自粛もあって私自身四年振りの参加となりました。コロナ5類移行直後ということで参加者の人数制限もある程度あり、また感染症対策により利き酒方法が変わったことで、四年前に参加した時とは少し会場の雰囲気が変わった印象でした。それでも、肝心の弊社の出品酒の品質の確認と出品酒全体の中での自分達の現在地をしっかりと把握できたと思います。他メーカー様のお酒についても時間のある限り利き酒させていただき、良好なお酒、難点のあるお酒どちらについても、「なぜそうなったのか」を自分の中で原因を推考し勉強させていただきました。

四年という歳月は物事の基準が変わるのには十分すぎる時間です。本年度の出品酒全体の傾向をつかみ、自分達が金賞をいただけた理由を探ることが来年度以降に向けて大切なことであり、気になった事は今から頭に入れておくことが重要だと思っています。

また、以前は一年に一度この会場でお会いできていた県外メーカーの杜氏・技術者の方々にも久々に会うことが出来ました。人間関係は数年会わなくてもそう簡単に変わるものではなく、コロナ前に戻ったような少し懐かしくもあり、ホッとする時間にもなりました。

私自身久しぶりの県外出張ということもありましたが、広島市内もインバウンドが復活しつつあり、お好み焼き屋の店内も宿泊施設ですれ違う方も外国人旅行者ばかり。ずっと蔵に閉じこもっていると世の中の流れにおいて行かれてしまうのでは・・・と普段とのギャップに怖さを覚えました。また、鑑評会出品酒も大切ですが、もっと外へ出て美味しいものを食べながら、市場調査も兼ねてお酒を飲み、市販酒トレンドに敏感でいなければ・・・と焦りを感じました。

オンラインで会話し、SNSで情報を得て、通販で物を買う世の中。正直言えばコロナによって忘れかけていた肉眼で見て実際に触れて肌で感じることの大切さ。そこから生まれる発想力がものづくりには必ず活きる。そう思って広島から帰ってきました。

酒蔵にとって七月から新年度となります。令和五年度の酒造りはどんな一年になるのか、私もワクワクとドキドキが止まりませんが、少しでも私達造り手の想いの籠ったお酒をお届けできるよう取り組みますので、宜しくお願いいたします。

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