お陰さまで有難うございます
代表取締役社長 大井建史
やはり、気象は異常ですね。14日の蔵開放前夜三時の気温はなんと十四度!!寒仕込みの重要な時期に雨が降り続き、驚いた事に田圃に雪がなくなりました。頑張って施した雪室の彫刻も誠に残念な…担当者が可哀相な状態でした。ところが、翌日の晩から一転して大雪です。爆弾低気圧?本当にいい加減にして欲しいですね。
蔵開放当日の天気予報は「雨」「波浪警報」。準備をしながら戦々恐々としておりました。スタートの状況は想像通り例年より低調。秋田県は地元企業の倒産も多く景気は最悪、天気も最悪…と勝手な思い込みはいけません。本当に有難うございました。私共の蔵開放を中心に、市・観光協会・商工会等の皆さんに色々イベントを共催して頂いた相乗効果か、千六百人を超えるお客様にお越し頂き、これまでの最高記録となりました。
イベント開催中、各担当が対応に困った時の指針となるのは「如何にお客様に喜んで頂くか」でありました。トラブル・クレーム0を目指しておりますが、新幹線の遅れでホテルのバスに乗れなかったお客様、靴を間違えられたお客様等々ご迷惑をお掛けしてしまいました。事後に知り、お会い出来ませんでした私からも心からお詫び申し上げますと共に、担当者の努力に免じ、御寛容頂きました事に心から感謝申し上げます。
スタッフの半分以上がボランティアとして参加して頂いた皆様です。初めて参加された岩田幸子様からこんなメールを頂きました。
「東京より参加し、前日から当日朝にかけて緊張していたのですが、最初のお客様を迎えてからは時が過ぎるのも忘れるほど楽しい一日でした。
私は、「朝しぼり」の販売を担当しましたが、(新企画の為)今年の売れ行き次第で来年への存続が決まると思い、一生懸命に売り上げ貢献に努めたつもりです。出来るだけお客様に話しかけ、笑顔で接しました。中には笑顔で返してくれる方もいて、そんな時は、至上の喜びでした。特に嬉しかったのが、「蔵のお酒を全て飲んだけど、朝しぼりが一番美味しかったので戻ってきました!」と買ってくれた時は、造りに携わっていない私ですが、とても嬉しく、晴れやかな気持ちになりました。
こんな素敵な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。消費者から少しだけ造りの側に近づけた気がしました。今は、あの体験を周りの人へ説明し、自慢しているところです。」(抜粋)
ありがたいかぎりです。この方々がいらっしゃらなければ到底成り立たありがたいかぎりです。この方々がいらっしゃらなければ到底成り立た
昨今の健康志向も勿論理解できます。しかし、子供達を眺めながらの晩酌・友との語らいの酒・寒さの中の燗酒は何物にも変えがたい。
今の厳しい時期に豪華な旅行や買い物は我慢の時でしょうし、カロリーコントロールや翌朝の残存アルコール濃度の心配も重要でしょうが、この時代の今だからこそ「一杯の酒」のくつろぎが大事なのではないでしょうか。
天寿の歴史
(六)ー13
杜氏の系譜 (9)
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
『大正十一年湯沢町に県内酒造業者の出資により秋田銘醸株式会社が創立されるに当り、秋田県酒造組合連合会は秋田県技師花岡正庸と謀り、業者の子弟および従業員に対して新醸造技術を習得させて後継者の技術向上養成を図るため、同社が酒造に着手するにあたり同社を県内酒造家の技術研修の場として実地酒造講習会を開催することとした。本講習会に対する業者の関心は高く参加希望者が多く、県内酒造家の推せんによる酒造家の子弟および従業員の中から十二名を選び、大正十一年第一回講習会を開催した。講師として花岡正庸をはじめ、仙台税務監督局技手、池見元一・・・中略・講習終了後受講生は各々の酒造場に戻り講習により習得した新技術により酒造に励んだ。・中略・本講習会は他県に例を見ない極めて意義のあるものとし業界においても高く評価されて受講生の酒造技術の向上にともなう秋田酒の品質向上による業界発展に多大の成果をみた。』(秋田県酒造史・本編
広作さんは昭和七年第十一回杜氏養成講習会に参加している。大正六〜七年ごろから県内各地で酒造従事者への短期夏季講習会は毎年開催されていたが、この講習は実際の造りで、ある程度の期間偉い先生達から指導を受けられたので、受講生は秋田流新技術を習得して各蔵元へ帰り秋田酒のレベルを上げ、〝酒の秋田〞と称される業界発展の基盤を築いたのである。
広作さんの受講記念写真には前列中央に花岡先生の姿があるが、先生には後年試験場長退官後十年間の長きに亘り当社のご指導を頂き、彼も先生の薫陶を受け更に腕を磨くことになるのだが、それは十年も後のことになる〔(四)―3に先述〕
彼は昭和十三年三十五才の若さで杜氏に昇格した。入社後十九年の経験と技術練磨の後であった。当社では初の地元杜彼は昭和十三年三十五才の若さで杜氏に昇格した。入社後十九年の経験と技術練磨の後であった。当社では初の地元杜