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蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

実りの秋
2008-11-01

実りの秋

代表取締役社長 大井建史

秋も深まり紅葉も終盤、酒蔵では135回目の酒造りが始まりました。今年は十月二十日から蔵人が入蔵し、作業が始まりました。台風が一度も来ない今年の米は、かなりの豊作に成るようです。世界的に農作物も不足気味で価格上昇していますが、日本の米は余り続け生産農家は低価格に喘いでいます。農協は米価の値上げに必死なのですが、豊作でどうなるかは判りません。

実はこの夏、仕込み蔵の壁がだめになり、土と綿の断熱材を全て取り除き、柱も全て取り替えました。船場の壁・蔵人風呂場も蟻にやられ、予想外の大工事になってしまいました。また、杜氏との懸案であった洗米と脱水・米の移動等の改善の設備投資や修繕など、今年も向上の為の変更点が色々とあり、嬉しくもせつない私であります。

話は変わりますが、先日郡山で農業のあり方の理想に近い方とお会いし大変感銘を受けてきました。鈴木農場の鈴木光一さん(農大精神ここにありと農家でなくても興奮してしまうご講演でした)とけるぷ農場の佐藤喜一さん、そして精神的支柱になられているタウン誌こおりやまの編集長伊藤和さん。農協に頼らず、地元での消費だけを考え東京(大消費地)を向かない農業。自らその圧倒的な品質と種類で販売ルートを確立した、すさまじくたくましい実践活動に、日本の農業の希望を見た思いで、私は大変感動いたしました。

日本で捨てられる食料の量で貧しい国の人々がどの位飢えをしのぐ事ができるか良く報道されますが、それがどれ程異様な事なのかさえ良く判らなくなった日本人。少し曲がった野菜は店頭に並べない日本の流通。自給率の向上や食料の安全を標榜しながら、何が地元で・国内で出来るかも知らず、シロアリのように刹那的に価格や見た目に走ったが為に、大事な地元の産物や生産者を如何に無くしてしまった事か。自然の摂理に従い、暑いときには体温を下げてくれる夏野菜を食べ、寒いときには体を温めてくれる根野菜を食す。

食物を育て収穫し料理し今いただくことが出来る幸せ。「いただきます」と心から言う人は何パーセントいるのかを考えさせられ、また、深く反省させられました。

政治も経済もバタバタとしております。凡人になかなか心頭滅却など出来ませんが、子供たちの世代を考えると「地球人としての思考」が如何に大切か本当は皆が判っている事なのですよね。「貧すれば鈍する」等と、言い訳している場合ではありませんね。

天寿の歴史

(六)ー11

杜氏の系譜(7)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

杜氏ではないが、このシリーズに是非記しておきたいことがあった。

この度、蔵人の大先輩木村佐吉さんが目出度く百歳を迎えられ、先日親族の祝賀の席に招かれた。一斗の菰樽を進呈、本人と私で鏡開きとなり、大変和やかな雰囲気の中で楽しいひと時を過ごさせて頂いた。

足が弱り家の中でも歩行に杖が必要になっているそうだが、話すことはしっかりしていて昔の記憶も確かだった。話しによると佐吉さんは昭和十三年、三十歳(私の小学校入学の年)からの勤めだそうだが、最初は外回りの仕事だった。その当時は米を蒸すにも、火入れをするにも、湯を沸かすにも、すべて大きな和釜で、竈の燃料は薪であった。大量の薪を必要としたために会社でも雑木山を持ち毎年切り出していた。彼の生家は持ち山の近くだったためか、その薪運搬から縁ができた由。当時の杜氏渡辺さんが、一服しているところへ来て労をねぎらってくれたことも記憶にあるとの事、佐吉さんは渡辺杜氏に仕えたことはなかったが、私の回りでは渡辺杜氏と関わりのある現存唯一の人である。

蔵に入ってから様々な仕事をしたが、「蒸かし堀り」(甑の中に入って蒸米を運搬用の小桶に移す)だけは強度の近視で、眼鏡を外すと見えなくて駄目だったと言っていた。戦中戦後の困難な時期、大半は酒造りで最も大切な「製麹」を担当し、真面目で実直な性格は信望も厚く、終わり頃は頭(かしら)を務め、昭和四十八年、三十五年間の大きな功績を残して勇退された。

“この酒で百歳まで”のキャッチフレーズで「長寿の酒」を謳い文句にしている天寿酒造にとって、天寿を醸し天寿を飲んで百歳まで生きられた木村佐吉さんは、将に天寿の「生きた看板」であり、「生き証人」である。心から祝福し、更なる長寿をお祈り申し上げたい。


「スポーツは素晴らしい」
2008-09-01

「スポーツは素晴らしい」

代表取締役社長 大井建史

今年は大変暑い夏でした。甲子園秋田県大会で我が母校本荘高校の優勝。なんと昨年秋には歴代で最弱チームとも言われていた様ですが、ピッチャーの池田君は芯がとても強く清々しく潔い、お父さんが羨ましい。

地元矢島中学校野球部も創部以来初めての県大会決勝進出で大変盛り上がり、応援に駆り出された吹奏楽部の末っ子三女は、連日炎天下で一生懸命トロンボーンを吹き、休み無い演奏と少し腫れた唇を見ながら「ピッチャーの次に疲れるのはラッパ吹きかな?」等と密かに思った父。本荘高校二年で五番、決勝でホームランを打った次男を持ち、一昨年と今年で兄弟とも甲子園児の父となった社員の土田勝郎君の寄付集めに気持ち良く応援。矢島中二年で決勝の先発投手を息子に持つ社員の小番敏君と共に、母校の快進撃に出張をキャンセルし、雨の決勝戦の応援に駆けつけたのであった。

そして始まった北京オリンピック。民族紛争や中国の国家体制なども大変な問題ではあるが、選手達には関係ない事として今は気にせず、ひたすら素晴らしい選手たちに注目しました。

金メダルをついに取ったソフトボール。何百球になろうと黙々と投げる上野投手。解説の宇津木元監督の絶叫。水泳北島・柔道男子内柴、女子谷本、上野・女子レスリングの連覇物語。5大会連続メダルの谷亮子。(なぜ柔道はレスリングの様にならなければいけないのか?)美しい体操・四強入りの女子サッカー・メダル死守したシンクロ・トラック初メダルの男子四百メートルリレー。初メダルのフェンシング。ランキング一位を破ったバドミントン。

ただひたすらに頑張る姿は本当に素晴らしく美しい。私の涙腺のスイッチは入りっぱなしで、しまりの無い状態になってしまいました。

人間は動物なんですね。体を動かさないのは大変不健全だと言う事を急に強く感じてしまいました。50歳まであと一年。PTA行事の登山もカナリ危ない状態です。今週末の弊社イベント水源探索も、毎年勿論歩いていますが、誰よりも早く汗をかき、参加者の皆様に足元の注意を促しながら自分で滑っている私です。何かスッキリしない。気合がスッと通らない。コレは肥育されている家畜のような生活が原因だと、当たり前の事を今更実感している。十年やった剣道もやらなくなって三十年。家に帰ったときに買って三度しか使っていない防具を付けるのも、最早年寄の冷や水かと思い悩む今日この頃です。

天寿の歴史

(六)ー10

杜氏の系譜(6)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

東北における清酒品評会は、明治三十九年、東北五県連合物産共進会(宮城県不参加)の一部門として催されたのが最初であり、その後引き続き開催され、明治四十一年の奥羽六県連合物産共進会において秋田県は他県を抜き多数入賞し、秋田酒の名声を博した。

大正三年酒造組合連合会主催により、第一回奥羽連合清酒醤油品評会が開催され以後、原則として全国品評会の翌年ごと開催され、全国品評会とともに年ごとに盛況を見、本県酒は六県中にあって毎回抜群の好成績をおさめた。

(秋田県酒造史)

天寿は昭和八年第五回東北清酒醤油品評会で特選賞に入賞しているが、昭和十年第六回品評会に念願の優等賞を受賞している。その勢いが昭和十一年の全国優等賞につながったものだろう。

技を競い、研さんの場である鑑評会、品評会は、優等賞受賞による市場での大きな宣伝効果を持つために、県の段階でも東北、全国の前哨戦的意義もあって各蔵は熱心に出品した。

明治四十年十月日本醸造協会主催による第一回全国清酒品評会が開催され、同年十一月には、秋田県酒造組合連合会が設立されてその事業の一つとして清酒品評会がとりあげられた。翌四十一年三月、第一回秋田県清酒品評会が開催され、以後明治四十五年及び大正三年、四年第一次世界大戦により中止されたが以後毎年開催された。

(秋田県酒造史)

天寿の成績はやはり東北、全国と同じく昭和十年代になって良くなり、昭和十三年第二十六回、十四年第二十七回と連続優等賞を受賞している。

ところが戦時体制になったために全国品評会が昭和十三年の第十六回をもって中止となり、日本醸造協会東北支部主催の東北品評会もまた昭和十二年第七回を以って中止となった。(戦後、経済情勢の復興と共に東北は昭和二十五年全国は二十七年それぞれ第一回として復活する)

このように蔵の実力も充実し渡辺杜氏の技も丁度油が乗ってきて、品評会での成績も毎年のように受賞するレベルになったが、残念なことに渡辺杜氏は昭和十三年十一月、十五年間の永年勤続表彰を受けた翌十四年七月、新屋の酒造の煙突工事を手伝いに行き事故死されたという。五十三歳だったので杜氏としての腕の見せどころはこれからという時で、まことに惜しみて余りあることであった。

東京の試験場で学んだ五代目と力を合わせ、酒質を全国の優等賞を受賞のレベルまで引き上げた功績は、我社の歴史にも大書されるものである。

「 平成の名水百選 」
2008-07-01

「 平成の名水百選 」

代表取締役社長 大井建史

環境省は6月4日に「平成の名水百選」を発表しました。秋田県で選ばれたのは、弊社が水源探索イベントでいつもご案内している鳥海山の「獅子ケ鼻湿原の出壺」と「元滝伏流水」。

出壺は獅子ケ鼻湿原の一角にあるブナ林に囲まれた湧水地。毎分七トンの水が湧き出す場所から突然川が始まる感動の湧水量。元滝は緑と水のマイナスイオンがタップリの夏でも涼しいキレイな場所。滝の上には川がなく全て伏流水が流れ出て滝を作っている。どちらも鳥海山が水の山で、麓の里に大きな恩恵をもたらす母なる山である事を実感させてくれる場所なのです。

お酒は良い水が有って初めて醸すことが出来ます。天寿は百三十余年にわたって鳥海山の恩恵を受けてきましたが、天寿を愛して頂いているお客様と共に、その素晴しい環境を体感する「水源探索」の第10回目となるイベントを8月30日・31日に開催いたします。

出壺の方はゆっくり歩いて二時間強ですが、これまでの参加者の最高齢は八十歳。ふうふう言っております私は完全に脱帽でした。ハイヒールやサンダルではさすがに無理です。スニーカーかトレッキングシューズでのご参加をお願い致します。

ダブル銀賞受賞

5月20日に全国新酒鑑評会とインターナショナル・ワイン・チャレンジ(I W C )の二つの発表が有りました。結果はどちらも銀賞でしたが感慨は全く別。 I W Cはロンドンで開催される世界最大規模のワイン品評会で、日本酒は今年三百十三銘柄が出品されました。日本酒部門には五つのカテゴリーがあり、天寿は今年初めての出品でしたが、純米吟醸の部で純米吟醸鳥海山が銀賞、吟醸の部で鳥海の雫が銅賞を受賞しました。全国新酒鑑評会の様に出品用の酒ではなく市販酒(出品酒としての準備もないので、特別な物を出す事は不可能)を出品した弊社でしたが、純米吟醸鳥海山(精米歩合50 % )が受賞したことに感動を覚えました。

昨今、日本酒のイベントは盛況を見せ、レベルも高く開催数も多いが、酒蔵からの持ち出しが多く、その負担が大きな問題となっています。その割には販売促進につながっていないのが現状なのです。I W Cの受賞が販売の一助になれば大変ありがたいことだと思っています。

一方全国新酒鑑評会については、秋田県は史上三番目の金賞受賞数16個でした。しかし、弊社は銀賞に留まった。これは秋田県で17番目以降ということになる?受賞傾向よりグルコースを抑えた造りであるとは言え「そんなことは無い!」と言う自意識と、現実には銀賞と言う狭間で苦悶している私であります。

話は変わりますが、「岩手・宮城内陸地震」につきましては、お陰様で被害は無く過ごすことが出来ました。久々の大きな揺れに大変緊張しましたが、杜氏と蔵を回りながらホッと胸をなでおろしました。ご心配を頂きました皆様に心からお礼を申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

天寿の歴史

(六)ー9

杜氏の系譜ー(5)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

明治三八年、大蔵省醸造試験所が設立され、その事業要領には「酒類及ビ醸造物中特ニ清酒ノ品質及ビ其ノ醸造方法ヲ改良シ、酒蔵家ヲシテ其ノ実績ヲ挙ゲシムルヲ以テ目的トス」と記された。明治三九年、日本醸造協会を設立して大蔵省醸造試験所と全国清酒製造業者との事業の連携を保つ仲介役となることとした。翌四十年十月、日本醸造協会主催により第一回全国清酒品評会が開催され以後隔年開催された。

この品評会は名称を酒類品評会、酒類醤油品評会と隔年毎に変えて昭和十三年第十六回を以て中止された。

秋田県のように後進的中小企業の多い酒造県として、個々の銘柄の市場における認識高揚のための宣伝力を十分に持たぬ業者にとって、品評会における優等賞受賞は極めて有効な宣伝効果を持つものとして特に熱意をもって出品した。

大正二年、第四回品評会において「両関」が全国,二〇五四場、二八〇一点の出品酒中、八場八点の優等賞の中の一つとして、本県において初めて受賞し、それまで東北の一隅の田舎酒と思われていた秋田酒が、全国の脅威の的として初めて認められたのであった。

これを契機として本県酒造業は、こぞって酒造技術の改良と酒質の向上に愈々精励し、次々と優等賞を受賞するに至った。

大正時代に始まる銘醸地秋田の地位は全国品評会の成績とこれに伴う業者の益々の精励努力により確固たるものとなったとも言えよう。(秋田県酒造史)

このような大正時代の華々しい秋田酒の歴史の中で「天寿」の成績はどうだったのか・・・

先代が東京滝の川の醸造試験所で長期講習生として研鑽したのが大正三年、二十歳のときだから、すぐ帰って造りに励んだとしても若く経験不足もあり、すぐには優等賞には届かなかったようだ。しかし長い雌伏の後、昭和十一年第十五回品評会で遂に念願の優等賞を獲得したのである。

渡辺杜氏が蔵へ入ってからも十四年を経ているので、それまでの苦労とまた喜びが杜氏個人宛ての賞状から偲ばれるのである。

『 春 』
2008-05-01

『 春 』

代表取締役社長 大井建史

四月も後半になり、慌しく火入れや片付け作業に追われていた蔵人も、18日に家路に着きました。瓶詰め部門は昔と違い、瓶火入れ・瓶冷蔵貯蔵が増え、酒種も多く量も増えたため、冷蔵倉庫の借り上げも視野に入れた貯蔵管理計画に、社長・杜氏・詰口係長は眉間に皺を立てながらの検討となりましたが、前に思い切って建て増した大型冷蔵倉庫のお陰で、何とかなりそうな気配にホッと一安心です。

1日の今日は桜が満開の晴天で季節の変化を気持ち良く感じられる陽気です。三月後半から急速に春めき、平年より78日も開花が早く、連休には葉桜も過ぎているだろうとの事、角館等の観光名所は気の毒な事になりそうです。

こうやって季節を感じながら落ち着くと、長女に続いて次女も大学進学のため今春から家を離れ、子供部屋が二つ空いていることが思った以上に寂しく感じられ、一昨日の高校PTA総会での会長退任でその思いを強めたり、中学三年の末娘はまだ四年は家にいる事を家内と確認して慰められたりしています。

今年の大吟醸は全て年初に仕込んだ為、大吟醸しぼりたての発売が3月26日になってしまい、「搾りたてには遅い時期、盛り上がりにチト欠けるなぁ」と思い、ここで宣伝を(笑)

天寿では「地元で出来る最も良い酒」を目指して、全国でも最も早い時期から酒造好適米の契約栽培を開始し、天寿酒米研究会を立ち上げました。人も水も米も地元で最高の物で造りあげようと頑張っておりますが、そうであるからこそ、これまで最高の米と言われ続けた山田錦を社内の比較検討の為に7 5 0 kg仕込で何本か大吟醸を造り続けております。秋田の自慢の酒米「酒こまち」も出ましたが、鑑評会出品酒として考えると、社内では未だ山田錦の大吟醸を超えていないと判断しています。その山田錦大吟醸の澱絡みの生酒が『大吟醸「鳥海」しぼりたてにごり生酒』です。槽で搾った大吟醸の澱引きを致しますと、皆さんが想像する以上の澱が絡んだ酒が出ます。これが、しぼりたての生酒だと何ら遜色の無い酒質ですし、短時間で非常に柔らかな味になります。これが世に出ないのは何とも勿体無いと言うことで、価格を抑えて発売したのがこのお酒です。残り1 0 8本です。合わせまして、天寿酒米研究会で育てた酒造好適米美山錦で醸した『天寿大吟醸搾りたて生酒』も残り僅か74本となりました。「雪室氷点熟成純米生酒」と共に春の大吟醸の生酒を新緑を愛でながら、是非お楽しみください。

天寿の歴史

(六)ー8

杜氏の系譜ー(4)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

前号で渡辺兼蔵杜氏については勤務歴不明と記したが、うれしいことに、以前から蔵元通信の読者でご注文も頂いている札幌市の光延沙苗さんが実は兼蔵さんのお孫さんで、現在秋田市新屋に在住の弟さんの渡辺一義さんに連絡、一義さんが当社に訪ねてこられ、兼蔵さんが大事にとっておいたと思われる賞状や表彰状、講習の習得証類、写真などを多く持参されたのである。

これらの品は、兼蔵さんの当社における足跡ばかりでなく、秋田県酒造史の一時代を窺がい知る貴重な資料でもある。よく保存されていたものと感心し、わざわざお届け頂いたご厚意に心より感謝申し上げたい。

渡辺兼蔵さんの当社での職歴は、大正十一年の酒造講習会受講証を始めとして、毎年のように受講証が残っているので、大正十一年からの蔵入りと思われる。蔵人と一緒の写真では地元以外は彼一人だけなので、当時新屋地区の蔵で浜田杜氏と呼ばれる人たちが育ったと文献にあることから、最初から杜氏としての採用だったと推察されるが、賞状の名前の肩書きに大井永吉酒造場方 杜氏渡辺兼蔵とあるのは大正十三年のものからで、この年からは杜氏として勤められたことは確実である。

明治・大正の頃の酒造従事者への酒造に対する理解、技術の習得は、中央における酒造講習会の修了者が手本になったと推察されるが、秋田酒の勃興期と言われる大正十年代には各地で酒造従業員に対する酒造講習会が始められている。

『1、秋田杜氏養成講習会

大正九年 秋田酒造組合

大正九年 秋田酒造組合

大正六年 雄平酒造組合

3、由利郡酒造講習会

大正九年 由利酒造組合

4、下三郡酒造講習会

北鹿、山本酒造組合』

(秋田の杜氏)

渡辺杜氏の受講証は主催が秋田酒造講習会、由利郡酒造講習会、秋田酒造杜氏養成講習会、とあるが、何れも「産業講習規定により終了したることを証す」として、時の県知事名で習得証を出している。県としても産業としての酒造業の育成に力を注いだ証左であろう。

寒造り真っ只中
2008-03-01

寒造り真っ只中

代表取締役社長 大井建史

今冬の雪は三年ぶりに平年並みの量ですが、爆弾低気圧と呼ばれる寒波が何度も訪れ、やはり異常気象なのだと考えさせられます。

県内の育苗講習会で東北農業研究センターの長田先生から、「平均気温の変化は無いが、最高・最低の温度変化は大きくなり、農作物の管理もそれに伴って変えなければ成らない」とのお話を伺い、最近多い高温障害や胴割れ等の原因もはっきりし、衝撃を受けながらも納得してきた次第です。

この平均値でものを考えると言う事については、何に対しても同じ事が言えるなと変な納得も致しました。何となく安心感のある平均値でものを考えると大きく間違ってしまいます。本来は異常値にこそ注目しなければならないのに…。近年は経済はもちろん、環境・教育・行政等この異常値が非常に多いですよね!多すぎて「へぇ〜ホント?スゴイネ?ヤバクナイ?」だけで済ませてしまっていましたが、昨今は頭の中の予想や理解ではなく、その変化がむきだしの現実として津波のように押し寄せ、ほとんどが痛みを伴う体感をさせられている訳です。(こんな世の中でも唖然とする程危機感の無い集団も政治家や行政府には多々ある様ですが…)「お酒は安定してて良いね」等と言う事は遠い昔の話となりました。

新年に入ってから中心商品の酒造りが佳境となり、現在は出品用の大吟醸をはじめ何時搾りに入るかの見極めに、佐藤杜氏も最高の緊張に目の色を変えております。昨年から挑戦を始めた「一石仕込み」も、通常仕込みに何ら劣る所が全く無いお酒が出来る事に自信を持ち、今年もフル稼働で(たった三本のタンクですが)蔵の中では出品酒に次ぐ注目の的です。ご理解・新年に入ってから中心商品の酒造りが佳境となり、現在は出品用の大吟醸をはじめ何時搾りに入るかの見極めに、佐藤杜氏も最高の緊張に目の色を変えております。昨年から挑戦を始めた「一石仕込み」も、通常仕込みに何ら劣る所が全く無いお酒が出来る事に自信を持ち、今年もフル稼働で(たった三本のタンクですが)蔵の中では出品酒に次ぐ注目の的です。ご理解・

今期は常勤組から酒造りのローテーションに五名を入れ、杜氏は教育に時間を割かれる事に困惑を表しながらも、技量を受け継がせるため大変頑張ってくれました。前から参加している三人はお客さん状態を脱しつつある様で、蔵の反省会(酒盛り)でも嬉しそうに語ってました。どうやら蔵人のスタートラインには立てた様です。ご苦労様。

天寿の歴史

六)ー7

杜氏の系譜

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

酒造法が科学的に解明されてきた今日でも酒造の各流派的色彩があるものであるが、専ら勘にのみ頼って造られていた時代には秘伝として各地に特色ある酒造法が採られていた。秋田で古くから言われている酒造の流派は、伊丹流とか灘流とか、大山流とかいわれるものである。明治から大正にかけての県内各蔵元が伝来の技法に灘流を加え、更に醸造試験所、日本醸造協会の酒造講習会を受講し、その得た技法を磨いて寒冷地の自分の蔵に適合するように工夫、改良して品評会で成績を上げ、秋田酒の名声を広く世間に知られるようになったのである。(池見元一メモ)

四代目亀太郎は大山流と伊丹流の両方を学び、矢島酒の改良に励んだが、自分の蔵のみならず、妻の実家の「玉泉」叔父の婿入り先の「冨士川」の造りも面倒見たために無理が祟ったのか、その技術を息子の昌助や後進に充分伝える間もなく三十六歳の若さで他界した。

五代目永吉(昌助)はその時まだ十五歳だった。しっかり者だった母トミエと苦労しながら家業を護り、大正三年二十歳の時東京滝の川の醸造試験所で長期講習生として技術を研鑽、矢部偵造、江田鎌治郎、鹿又親など偉大な先覚達の教えを受け、当時の最新技術を身に付けて帰郷、その後酒質は飛躍的に進歩し販売増進の原因となった。

明治、大正の頃の酒造従業員は、蔵元の主人、子弟が杜氏役を勤め、蔵における労務の配分等は「代官」と称する年配者に任せ、蔵人は近くの農家の人々が農閑期の現金収入を得るたの季節労務者の形態が殆んどだった。

造石高が増加するにつれ、所要の人数を住み込み様式で採用し、その勤務振りを見て、当人の希望を聞いた上で常用者として採用し、その内特に優秀な者を選んで杜氏とした。由利本荘の蔵元は殆んどこの形態だったが、県内他地域は杜氏が必要人数を集め、出稼ぎ集団で蔵に入る形態も多かった。また季節労務で杜氏一人とか、麹、酒母などの「役びと」のみの雇用契約もあり、最近はこの形態の方が多くなっている。

五代目永吉は昭和十年代に初めて杜氏を採用したが、秋田市新屋の人で「渡辺兼蔵」という名であること以外、一葉の写真が残っているだけで残念ながら勤務記録は残っていない。

人能く道を弘む
2008-01-01

人能く道を弘む

代表取締役社長 大井建史

あけましておめでとうございます。

去年の11月に早めの雪が降り始めた割には、たいした積雪も無い穏やかな正月を迎える事が出来ました。天寿の酒蔵では蔵人の新旧入れ替わりや新ローテーションの取り組みの中、順調に酒造りが進み大吟醸の仕込みの準備に気合を入れているところです。

私が入社してから二十年以上過ぎていますが、本当に大きく環境が変わったものだと思います。バブル崩壊後に帰郷した「失われた十年」と言われる期間は、第一次地酒ブームの新人蔵元として特定名称酒の商品開発、地元や名門酒会での販売等の仕事と共にJCや商工会青年部・消防団・祭典の若衆等を夢中でやりながらも、これまでの地盤や地域文化が崩れておらず、地方がここまで地盤沈下するとは予想できませんでした。

しかし、その後細川首相の行なった自由化がボディブローの様に地方の体力を失わせ、地方の文化や行事を無視した祝日の変更や市町村合併により、阪神淡路大震災で叫ばれたコミュニティーを大切にする方向とは真逆の方向に走り続け地方のコミュニティーの崩壊を促進し、無資源国では円安傾向は止めようも無く日本はどんどん貧乏になり、目先の対策しか行なわれない農業は梯子を外された状態で疲弊し続け、近い将来に見える食糧不足の時にはそのつけが跳ね返ってくる事が目に見える様です。

ここ十年の金融再生を中心とした中央経済復興中心の政策の結果、地方の変化は大変厳しいものがあり、人口の減少・財政の悪化は大変深刻な状態になりました。

その様な中、天寿酒米研究会との原料米契約栽培の強化、製造技術向上の為の精米所・醗酵タンク等の設備投資、蒸し米や麹の質向上の為の設備改善、ビン貯蔵のための冷蔵倉庫の建設、花酵母の研究を含む新商品開発、地域の人々と共に進むための各種イベントの開催、小人数体制への移行等弊社も必死に変革の努力を続けてまいりました。

しかし、国内における日本酒の消費量はピーク時の半数を割り、底無し沼のようにその先行きは見えません。ワインブームや第二・第三のビールそしてチューハイ・本格焼酎ブームと酒類業界内の変遷もありました。現在は人口の減少もありますが団塊ジュニア以降のアルコール飲料離れ、飲み会や車よりも携帯電話やインターネット・ゲームなどへ価値観の変化も大きな要因となっております。

何が正しいと言う事は無いと思います。ただ私は日本酒の美味しさをわかって頂きたい。和食の良さ、食べる事の喜び、そこに日本酒がある事の素晴らしさを多くの人と分かち合うために、今年も一生懸命頑張って行きたいと思います。

本年もご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。

天寿の歴史

(六)ー6

杜氏の系譜―(2)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

秋田県が酒質の向上を図るため兵庫県に杜氏推薦を要請し、明治二〇年に来県した鷲尾久八。彼は県内各地で技術指導をしたが、主に矢島地区で醸造法改良の傍ら授業を行い、明治三〇年代に矢島酒の名声を挙げたといわれている。

(秋田の杜氏)

一、真綿 二把

昨秋以来醸酒ノ改良ニ従事スルコト数ヶ月其間佶据勉励為メニ頗ル良結果ヲ呈セリ其功労寡カラス聊カ寸志ヲ表ワシテ之ヲ贈ル

明治二四年四月五日

秋田県羽後由利郡矢島町

矢島酒造組

大井清造

武田吉郎

須貝太郎蔵

大井与四郎

土田安吉

鷲 尾 久 八 殿

これは指導への感謝状であるが、その翌年も矢島に来て酒造技術を指導している。

兵庫県摂津国有馬郡母子村

鷲 尾 久 八 殿

当組合ノ嘱託ニ応シ改良酒醸造ニ従事シ全ク善良ノ功ヲ奏シタルハ当組合ノ甚タ満足スル所ニシテ深ク感謝ニ堪ヘス今般帰県ニ当リ其功ヲ賞シ併テ謝意ヲ表センカ為メ金五円ヲ贈与ス

明治二十五年三月二十五日

秋田県由利郡矢島酒造組合

(以上大井文書)

このように鷲尾の指導に対しその功績に対し深く感謝している。三代目永吉(与四郎)は酒造技術にさらに磨きをかけようと鷲尾久八に長男亀太郎をつけて技術を学ばせ、明治二四年に卒業免状を手にしている。矢島の各蔵元は科学的製造技術が進められた明治末期に先駆け灘の技法を導入実施したのである。

(三―1に前出)

亀太郎は自分の蔵のほか、妻の実家《玉泉》と弟の婿入り先《富士川》も指導しながら手伝い難儀をしている。夜の仕事が多い当時の酒造りで、酒蔵の中に布団を持ち込むほど真剣な人だったと伝えられている。

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20歳未満のアルコール類の購入や飲酒は法律で禁止されています。