『 春 』
代表取締役社長 大井建史
四月も後半になり、慌しく火入れや片付け作業に追われていた蔵人も、18日に家路に着きました。瓶詰め部門は昔と違い、瓶火入れ・瓶冷蔵貯蔵が増え、酒種も多く量も増えたため、冷蔵倉庫の借り上げも視野に入れた貯蔵管理計画に、社長・杜氏・詰口係長は眉間に皺を立てながらの検討となりましたが、前に思い切って建て増した大型冷蔵倉庫のお陰で、何とかなりそうな気配にホッと一安心です。
1日の今日は桜が満開の晴天で季節の変化を気持ち良く感じられる陽気です。三月後半から急速に春めき、平年より78日も開花が早く、連休には葉桜も過ぎているだろうとの事、角館等の観光名所は気の毒な事になりそうです。
こうやって季節を感じながら落ち着くと、長女に続いて次女も大学進学のため今春から家を離れ、子供部屋が二つ空いていることが思った以上に寂しく感じられ、一昨日の高校PTA総会での会長退任でその思いを強めたり、中学三年の末娘はまだ四年は家にいる事を家内と確認して慰められたりしています。
今年の大吟醸は全て年初に仕込んだ為、大吟醸しぼりたての発売が3月26日になってしまい、「搾りたてには遅い時期、盛り上がりにチト欠けるなぁ」と思い、ここで宣伝を(笑)
天寿では「地元で出来る最も良い酒」を目指して、全国でも最も早い時期から酒造好適米の契約栽培を開始し、天寿酒米研究会を立ち上げました。人も水も米も地元で最高の物で造りあげようと頑張っておりますが、そうであるからこそ、これまで最高の米と言われ続けた山田錦を社内の比較検討の為に7 5 0 kg仕込で何本か大吟醸を造り続けております。秋田の自慢の酒米「酒こまち」も出ましたが、鑑評会出品酒として考えると、社内では未だ山田錦の大吟醸を超えていないと判断しています。その山田錦大吟醸の澱絡みの生酒が『大吟醸「鳥海」しぼりたてにごり生酒』です。槽で搾った大吟醸の澱引きを致しますと、皆さんが想像する以上の澱が絡んだ酒が出ます。これが、しぼりたての生酒だと何ら遜色の無い酒質ですし、短時間で非常に柔らかな味になります。これが世に出ないのは何とも勿体無いと言うことで、価格を抑えて発売したのがこのお酒です。残り1 0 8本です。合わせまして、天寿酒米研究会で育てた酒造好適米美山錦で醸した『天寿大吟醸搾りたて生酒』も残り僅か74本となりました。「雪室氷点熟成純米生酒」と共に春の大吟醸の生酒を新緑を愛でながら、是非お楽しみください。
天寿の歴史
(六)ー8
杜氏の系譜ー(4)
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
前号で渡辺兼蔵杜氏については勤務歴不明と記したが、うれしいことに、以前から蔵元通信の読者でご注文も頂いている札幌市の光延沙苗さんが実は兼蔵さんのお孫さんで、現在秋田市新屋に在住の弟さんの渡辺一義さんに連絡、一義さんが当社に訪ねてこられ、兼蔵さんが大事にとっておいたと思われる賞状や表彰状、講習の習得証類、写真などを多く持参されたのである。
これらの品は、兼蔵さんの当社における足跡ばかりでなく、秋田県酒造史の一時代を窺がい知る貴重な資料でもある。よく保存されていたものと感心し、わざわざお届け頂いたご厚意に心より感謝申し上げたい。
渡辺兼蔵さんの当社での職歴は、大正十一年の酒造講習会受講証を始めとして、毎年のように受講証が残っているので、大正十一年からの蔵入りと思われる。蔵人と一緒の写真では地元以外は彼一人だけなので、当時新屋地区の蔵で浜田杜氏と呼ばれる人たちが育ったと文献にあることから、最初から杜氏としての採用だったと推察されるが、賞状の名前の肩書きに大井永吉酒造場方 杜氏渡辺兼蔵とあるのは大正十三年のものからで、この年からは杜氏として勤められたことは確実である。
明治・大正の頃の酒造従事者への酒造に対する理解、技術の習得は、中央における酒造講習会の修了者が手本になったと推察されるが、秋田酒の勃興期と言われる大正十年代には各地で酒造従業員に対する酒造講習会が始められている。
『1、秋田杜氏養成講習会
大正九年 秋田酒造組合
大正九年 秋田酒造組合
大正六年 雄平酒造組合
3、由利郡酒造講習会
大正九年 由利酒造組合
4、下三郡酒造講習会
北鹿、山本酒造組合』
(秋田の杜氏)
渡辺杜氏の受講証は主催が秋田酒造講習会、由利郡酒造講習会、秋田酒造杜氏養成講習会、とあるが、何れも「産業講習規定により終了したることを証す」として、時の県知事名で習得証を出している。県としても産業としての酒造業の育成に力を注いだ証左であろう。