「 平成の名水百選 」
代表取締役社長 大井建史
環境省は6月4日に「平成の名水百選」を発表しました。秋田県で選ばれたのは、弊社が水源探索イベントでいつもご案内している鳥海山の「獅子ケ鼻湿原の出壺」と「元滝伏流水」。
出壺は獅子ケ鼻湿原の一角にあるブナ林に囲まれた湧水地。毎分七トンの水が湧き出す場所から突然川が始まる感動の湧水量。元滝は緑と水のマイナスイオンがタップリの夏でも涼しいキレイな場所。滝の上には川がなく全て伏流水が流れ出て滝を作っている。どちらも鳥海山が水の山で、麓の里に大きな恩恵をもたらす母なる山である事を実感させてくれる場所なのです。
お酒は良い水が有って初めて醸すことが出来ます。天寿は百三十余年にわたって鳥海山の恩恵を受けてきましたが、天寿を愛して頂いているお客様と共に、その素晴しい環境を体感する「水源探索」の第10回目となるイベントを8月30日・31日に開催いたします。
出壺の方はゆっくり歩いて二時間強ですが、これまでの参加者の最高齢は八十歳。ふうふう言っております私は完全に脱帽でした。ハイヒールやサンダルではさすがに無理です。スニーカーかトレッキングシューズでのご参加をお願い致します。
ダブル銀賞受賞
5月20日に全国新酒鑑評会とインターナショナル・ワイン・チャレンジ(I W C )の二つの発表が有りました。結果はどちらも銀賞でしたが感慨は全く別。 I W Cはロンドンで開催される世界最大規模のワイン品評会で、日本酒は今年三百十三銘柄が出品されました。日本酒部門には五つのカテゴリーがあり、天寿は今年初めての出品でしたが、純米吟醸の部で純米吟醸鳥海山が銀賞、吟醸の部で鳥海の雫が銅賞を受賞しました。全国新酒鑑評会の様に出品用の酒ではなく市販酒(出品酒としての準備もないので、特別な物を出す事は不可能)を出品した弊社でしたが、純米吟醸鳥海山(精米歩合50 % )が受賞したことに感動を覚えました。
昨今、日本酒のイベントは盛況を見せ、レベルも高く開催数も多いが、酒蔵からの持ち出しが多く、その負担が大きな問題となっています。その割には販売促進につながっていないのが現状なのです。I W Cの受賞が販売の一助になれば大変ありがたいことだと思っています。
一方全国新酒鑑評会については、秋田県は史上三番目の金賞受賞数16個でした。しかし、弊社は銀賞に留まった。これは秋田県で17番目以降ということになる?受賞傾向よりグルコースを抑えた造りであるとは言え「そんなことは無い!」と言う自意識と、現実には銀賞と言う狭間で苦悶している私であります。
話は変わりますが、「岩手・宮城内陸地震」につきましては、お陰様で被害は無く過ごすことが出来ました。久々の大きな揺れに大変緊張しましたが、杜氏と蔵を回りながらホッと胸をなでおろしました。ご心配を頂きました皆様に心からお礼を申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
天寿の歴史
(六)ー9
杜氏の系譜ー(5)
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
明治三八年、大蔵省醸造試験所が設立され、その事業要領には「酒類及ビ醸造物中特ニ清酒ノ品質及ビ其ノ醸造方法ヲ改良シ、酒蔵家ヲシテ其ノ実績ヲ挙ゲシムルヲ以テ目的トス」と記された。明治三九年、日本醸造協会を設立して大蔵省醸造試験所と全国清酒製造業者との事業の連携を保つ仲介役となることとした。翌四十年十月、日本醸造協会主催により第一回全国清酒品評会が開催され以後隔年開催された。
この品評会は名称を酒類品評会、酒類醤油品評会と隔年毎に変えて昭和十三年第十六回を以て中止された。
秋田県のように後進的中小企業の多い酒造県として、個々の銘柄の市場における認識高揚のための宣伝力を十分に持たぬ業者にとって、品評会における優等賞受賞は極めて有効な宣伝効果を持つものとして特に熱意をもって出品した。
大正二年、第四回品評会において「両関」が全国,二〇五四場、二八〇一点の出品酒中、八場八点の優等賞の中の一つとして、本県において初めて受賞し、それまで東北の一隅の田舎酒と思われていた秋田酒が、全国の脅威の的として初めて認められたのであった。
これを契機として本県酒造業は、こぞって酒造技術の改良と酒質の向上に愈々精励し、次々と優等賞を受賞するに至った。
大正時代に始まる銘醸地秋田の地位は全国品評会の成績とこれに伴う業者の益々の精励努力により確固たるものとなったとも言えよう。(秋田県酒造史)
このような大正時代の華々しい秋田酒の歴史の中で「天寿」の成績はどうだったのか・・・
先代が東京滝の川の醸造試験所で長期講習生として研鑽したのが大正三年、二十歳のときだから、すぐ帰って造りに励んだとしても若く経験不足もあり、すぐには優等賞には届かなかったようだ。しかし長い雌伏の後、昭和十一年第十五回品評会で遂に念願の優等賞を獲得したのである。
渡辺杜氏が蔵へ入ってからも十四年を経ているので、それまでの苦労とまた喜びが杜氏個人宛ての賞状から偲ばれるのである。