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蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

「運・鈍・根」の酒造り
2007-11-01

「運・鈍・根」の酒造り

代表取締役社長 大井建史

枯葉も舞い始め、冬へと向う季節ですが、今年も天寿の酒造りは元気に始まりました。契約栽培グループである天寿酒米研究会の米も次々と入荷し、順調に精米が進行しております。作柄は平年作でしたがやはり心配された高温障害の傾向は出ており、心白または腹白の発現がやや多めで、精米での割れは丁寧に仕上げる事で防げますが、洗米時の胴割れの比率は残念ながら高いようです。今年も「米屋」「釜屋」の苦心の年になるようです

我が社の場所は、ご存知のように秋田・山形の県境にある「鳥海山」の北側斜面の麓にあります。長年全国で一人当たりの日本酒消費量の最も多い地区なのですが、そんな土地柄だったにも関わらず、いよいよ消費量が焼酎に逆転されようとしています。全国的には既成の事実であり予想は出来ましたが、まさか秋田でそれも由利本荘で逆転の危機になるとは、地元での売り上げ実績にも現れてはいますが、実際にそうなり肌身に感じるのはとてもショックを受けました。

しかし一方で、全国的にお酒を楽しむイベントは沢山あり、その回数は大変なものになっております。何処のお酒が美味しいかもさることながら、ほとんどのイベントで、日本酒の良さ・旨さの引き出し方・料理とのマッチング・日本の食の文化と正しい知識の普及等の啓蒙活動が中心となる素晴しい会が多いのですが、現在の所ほとんどの日本酒の蔵が売り上げ不振に頭を抱えているのが現状です 愚痴ではありません。あくまで現状の話を申し上げました。この様な中での今年の酒造りですが、名門酒会の「米から育てた純米酒」の季節商品(夏の生酒・秋の冷やおろし)は利き酒会ではトップクラスの評価を頂き、分母は非常に小さいのですが300%を超える人気商品となった事は、この十二年「品質の基礎は原料処理」の考えの下、杜氏を中心に基本に立ち返り、細やかな改善や機械の加工等試行錯誤を続け、蒸米の目標水分のブレを1%以下にする等の精度や体制が出来た成果だと嬉しく思います。

そうは感じながらも、酒造りの設計は難しいものだとつくづく思います。料理でもありますよね、簡単レシピでもたまらなく美味しいもの・・・。もちろん天寿の蔵は天才型ではありません。自分の信じる物をこつこつと手をかけて、その手間が味に感じられる様なお酒を造りたいと思います。

先代の五代目永吉は私が子供の頃に「運・鈍・根」だぞと良く言い聞かせてくれました。鈍感なくらいに愚直に、根気よく頑張っていれば運はめぐってくると。時代がかった言葉ではありますが、一つの指針であると私は思っています。

今年の酒造りも「運・鈍・根」で勧めて参りたいと思います。

天寿の歴史

(六)ー5

天寿の歴史6―5

杜氏の系譜―(1)

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

秋田の酒造業は、地主階級が小作米をそのまま販売するよりも酒に加工して出荷するのが得策であるとの考えから酒造りを始め、地主自身は蔵には入らず付近の村落の小作農民の冬季出稼ぎとして雇った者達に任せていたとする考え方が一般的で、県酒造史にもそのように紹介されているが、それらを裏付ける具体的な文献等は見当らない。福島県会津酒造の歴史等の文献から推して、秋田の醸造業者についても①郷村の村役、大農家の醸造者と②商人による醸造者の二類型と考えるのが相当と思われる。(*1・秋田の醸造研究会「秋田の杜氏」)

矢島藩では天保期に入ると武田屋、大井屋、酒田屋という三酒屋の名前が出てきており、そのまま明治の代に受け継がれている。(矢島町史)この大井屋は本家のことで大地主で藩の御用酒屋であった。当家は通信第24号の創成期の記事で述べたとおり、文政十三年(天保一年1830)に大井屋から初代永吉が分家して麹と濁酒を営み、明治七年(1874)二代目永吉が免許を得て清酒醸造の創業となったのであるから、その分類によれば②の商人による醸造者である。

又(*1)によれば秋田の醸造法の原点は①生活の知恵というか、長い間の暮らしの中からできた「どぶろく」造りの技。②他の地域との交流、例えば秋田城が天平五年(733)雄勝城は宝亨三年(759)にできており、この役人や後三年の役の源氏の武士に従ってきた人達から、上方の酒造り、麹とかモトの造り方を知ったのでは?③南部から長享二年(1488)増田町に転入した通覚寺が、開拓、開田、酒造の役割を与えられていたといい、神社仏閣にどぶろく製造法が伝承され、その影響を受け少しづつ進歩してきたのではないかとも考えられるという。

藩政時代に入って諸家の文献に先進地の視察、杜氏の招聘等の記録が見られるようになる。その視察先、招聘先は、伊丹、大阪、明石などが多かった。先進地から腕の良い杜氏を招聘して技を習い、また蔵元の主人または子弟等が出かけて学び、帰郷後造りの指揮をしたものと思われる。これが本県酒造技術の流れであり、技術改良の本流が関西にあるといわれる所以である。

このように明治、大正の頃の酒造従業者は、蔵元の主人、子弟が杜氏役を務め、蔵における労務の配分等は「代官」と称する年配者に任せ、蔵人は近くの農家の人々が雇われる形態のものが多かった。

当家の場合は清酒創業の二代目、三代目の技術の習得先は恐らく初代の濁酒造りと、藩の御用酒屋である本家の蔵であったと思われる。四代目亀太郎は、若い時から技術の研鑽を積んだ。十七歳の頃から、先進地羽前大山村(現鶴岡市)の三つの蔵に修行に行っている。几帳面な性格で、取得した技術を、手製の和紙綴じ帳面に「秘書」「改良実施酒造秘書」等として残している。

「夏越えの・・・」
2007-09-01

「夏越えの・・・」

代表取締役社長 大井建史

まだまだ暑い日が続いておりますが、矢島の里はお盆頃の猛暑とは違う秋の気配が感じられるようになりました。

八月後半の大雨には私もいささか驚きました。軒の樋が雨水を飲み込めず溢れかえる状態に「おぉ、すごいなぁ」と見ていても中々その状態が終わってくれないのです。一晩も経った頃にはさすがに「これは拙くないか」と思っていると、増水により町の中を流れる荒沢川の護岸が崩れ140世帯に避難勧告が出たということで、全国版のニュースにもなりました。結局水は溢れず大きな災害にはなりませんでしたが、中小の被害はかなりの数になったようです。お陰様で弊社にはなんの被害もなくホッとした所でした。

8月28日に仙台の鑑定官や県醸造試験場の先生をお迎えし、呑み切りを行いました。60点を越える夏越えの酒をきき酒し、その順調な熟成を確認いたしました。先生方からも欠点の指摘はなく、貯蔵に一切炭素の使用が無い事を何度も確認され、そのキレイさに感心されました。もともとやわらかで軽快なタイプの蔵ではありますが、杜氏とは「もう少し押し味を出す為にはどうするか?タイプ別のメリハリを更に明確にするには?」という話題で話し合ったところです。

その後に県内の地酒小売店の方々や、弊社の蔵人そして夏休みで帰っていた私の長女も勉強の為に参加させ呑み切りの酒の確認を行いました。今回は初めて新購入の小仕込みタンクで一石仕込を行い、その酒が通常仕込みに負けない醸造が出来る事を確認できたのは、大きな成果でした。

その一つ一つの出来に一喜一憂し、比較試験(美山錦vs酒こまち・酵母の違い・麹の違い・蒸の違い等々)に緊張し、悔しがり、満足します。何の為にその仕込みの試験を行ったのか、弊社内の仕込みの常識を疑いながら、様々な試みを行うわけですが、この時期には反省が多々出てきます。あれほど理解しあっていると、目標は明確だと思っていても、目指していたもの・思っていた事のブレが呑み切りの時にはっきりと出てしまいます。判った積もり・言った積もり・行った積もり・出来た積もり。

目的の明確化・情報の共通化・同じ思いを抱いた全社一丸体制etc。わずか三十名弱の会社で、なぜこう道が遠いのかと反省しきりであります。

天寿の歴史

(六)ー4

新商品開発- 〔鳥海山自然水〕Ⅱ

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

農水省の品質表示ガイドラインによれば、ナチュラルウォーター、ナチュラルミネラルウォーター、ミネラルウォーター、ボトルドウォーターに分類され、「鳥海山自然水」はナチュラルウォーターの分類に入る。

市販の水は多種多様で、今日ではデパート、スーパーやコンビニでも水のボトルの売り場スペースは広がって、どこでも3種類や4種類の水が並んでいる。国産だけでなくアメリカ産、ヨーロッパ産等、世界各国のミネラルウォーターが味わえるようになった。

人の顔が一人一人違うように、ミネラルウォーターもそれぞれ味も香りも風味も違うのである。フランスなどヨーロッパからの輸入品は、カルシウム、マグネシウムの含有率が高い硬水タイプが多く、ミネラル補給のためのストレート飲用に向いている。逆に日本の水は軟水タイプで、飲用は勿論のこと緑茶、紅茶、コーヒーや料理にも向いている。

「鳥海山自然水」はみちのくの霊峰鳥海山の高山植物やブナの原生林豊かな大自然に降り積もった万年雪が溶けて湧き出た地下水。硬度22㎎/㍑の軟水で、PH6,2の微酸性、適度のミネラルをバランスよく含み、安全で、おいしい水の要素を備えている。今では水を買って飲むことは、日本の一般家庭でもあたり前になっているが、当社が売り出した昭和五十六年頃は、まだ買って飲む人は少なく、大都市等、大量に動くところでないと商売にならないというのが実情だったが、矢島町の観光宣伝と造り酒屋の夏の仕事にしたく商品化したのだった。

時代とともに理解も広がって、秋田の【きりたんぽ】の老舗が鍋セット用袋詰を凍らせて保冷材として組み入れ、水そのものと、秋田名物の宣伝にも一役買ったり、手軽な500mlと、大容量の2㍑ペットボトルの商品も発売してお客さんの要望に応えている。

現在全国的にミネラルウォーター市場は伸長を続けている。好調の要因としては、飲料シーンの拡大や健康指向の高まりとともに、水そのものに価値を見出した結果、市場の裾野が広がった為と考えられる。

サントリーの調査では、日本の国民一人当たりの年間消費量は、二〇〇五年の14.4㍑から二〇〇六年の18.4㍑へと一年で4㍑も増加した。今後更に拡大し、現在の二倍程度の消費量まで伸びると推定している。

「鳥海山自然水」も販売力では大手に比すべくもないが、鳥海山という大自然の大きな恵みを受け、それを生かしながら地場産品として着実に伸ばしていきたいものである。

「雑 感」
2007-07-01

「雑 感」

代表取締役社長 大井建史

秋田も入梅はしましたが良い天気が続き、緑濃くきれいで生きいきとした季節を迎えています。天寿の無農薬田圃にも矢島小学校三年生により合鴨の雛が放たれ、元気に泳ぎまわっています。小砂川では岩牡蠣が捕れ始め、子吉川の鮎は7月1日から解禁となります。

最近のニュースとしては、全国新酒鑑評会は銀賞に終わり、東京プリンスホテル「和食 清水」でのお酒とお料理を楽しむ会「酒楽活菜」は88回を数え、盛会裏に終えることが出来ました。毎月開催で8年目に入ったという事で、酒楽の会構成6社(天寿・喜楽長・宝寿・八咫烏・八鹿・笹の川)とも大変感慨深いものがありました。来年の6月で100回開催となります。通常の月は2社づつ当番制で、私も三ヶ月に一回は担当しております。皆様も機会が有りましたら是非一度ご参加ください。

酒楽の会は十数年前に、地元を主市場とする小さい酒蔵の跡継ぎが集まり、計画・運営・企画とも会社に担当部署が有る訳も無く、自分の頭で全部やっているのなら、6人集まったら何か出来るのではないかと立ち上げた研究会でした。各社とも毎月東京に集まるのは大変な負担でしたが、不思議とこんなに長く続いた会なのです。「よくもまあ」とこれまた感慨深いのですが、先日滋賀で行った会での移動時の会話はこんな感じでした。「この辺は滋賀の穀倉地帯で、田圃が広いでしょ」「はぁ?すぐそこに家が見えるのに?穀倉地帯の割にはインフラに随分金が掛かってますね。合併前の人口が45000人の駅前じゃないね」「秋田は人口少ないからね」「本荘も合併前は45000人ですけど」「八日市は良い企業の工場が複数あるから内情が良かったんだよ」「… …。大体、関空作って神戸空港作って、伊丹空港も現役っておかしいを通り越してるよね。そんなに金使えるなら元々2500m滑走路で敷地の余裕もある秋田空港を拡幅して、シャトル便飛ばして国際空港にしてしまえば良かったのに。成田も未だに反対運動だし、雪は降るけどそんな空港世界中にあるし…。」「で、そっちの地元の小・中学校何クラスある?」「もうすぐ全部一クラス。大問題だよね。地方の崩壊だ。」「地方行政の予算じゃ人口減ったらおしまいだね。故郷納税の制度が良いかどうかは別にして、このままじゃ地方分権じゃなくて地方切捨てだ。」「その通り。地方でお金と情熱をかけて育てたのに、結果的に全部都会に貢いでいるようなもんだ。育てて出してくれたお礼と、国土保全や食料確保安心料は地方に払わなければいけない。」「しかし、年金問題は頭に来るな。団塊後の俺らが一番損か」「社会保険庁って何あれ。どうすりゃあそこまで腐れるんだ?」「腹を切れ腹を」「腐るといえばミート何とかってなんだありゃ。この時代に食料業界の国賊だ!!お客様をなんだと思って…思って無いか」「何か慎ましく、いじらしく、健気だよね我々は…」 (途中から会話を離れて私の主観に変わった様な… )たった一社の行いが、今までずっと真面目に真剣に丁寧に仕事を続けてきた人達の思いを踏みにじりました。給食にも使われたかもしれない?我が子に毒を盛られた気分になります。広義の食と考えれば私も同業界。日本の食の安全神話がまたも崩れる音に鳥肌を立てています。

天寿の歴史

(六)ー3

新商品開発- 〔鳥海山自然水〕- Ⅰ

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

矢島の郷は鳥海山が北東に雄大な裾野を広げ子吉川が東西に貫流する盆地、鳥海山に降る雨は豊かな森林を育み、降り積もった雪は万年雪となり、永い年月を経て大地に濾過され裾野に湧き出る。

清酒の醸造においては、良質且つ豊富な水をしかも容易に得られることが必須条件である。その条件に恵まれた矢島は古くから酒造りの盛んな郷であった。

世界中には数限りないほど多くの民族がいるが、水の味を「甘い」とか「丸い」とかと賞味する民族は日本人だけかも知れないと東京農大の小泉教授は言っている。それは日本が世界の中で最も質の良い水を持つ国であり、この水が日本の様々な文化を創っている根源となっているからだろうと・・・。清酒も日本の優れた文化の一つなのである。

「名酒は良水から」というのは日本ばかりではなく万国共通のようであるが、外国は「水のタイプ、すなわち酒のタイプ」というように、はっきりした形で現れることが多いようだ。日本酒ではそれほどの切実さはない。水質のうちの硬度をとり上げてみても、一番高いとされる灘の宮水でも八〜九に過ぎないが、外国の三十〜七十とかの激しい値から見れば物の数ではない。また、日本の酒造りは、西洋のそれと違って大変複雑で、糖化と発酵が同じタンクの中で同時に進行する並行複発酵という世界でも珍しい醸造方法であるため、水質の影響が端的に現れにくいとも言われている。しかし、灘の男酒、秋田の女酒とも言われるように、硬水の宮水を使う灘は辛口で骨格のしっかりした酒質となり、軟水の多い秋田はやわらかできめ細かい酒質が特徴となっている。

では、良水とはいったいどんな水だろうか。日本酒にとってはまず鉄分が少ないことが一大要件であるが、一般に銘醸地と言われるところの水はカリ分の多いことが特徴である。そのほかの成分も酒の原料に占める成分量は微量である。しかし、酒質に大きな影響をもつ事は長い酒造りの経験から確かなことである。微量分析の進んだ今日でも良水の成分はまだ明確でない。名水にはまだまだ説明し尽くされない何かが残されているのである。ここに水の不思議さがあり、酒造りにおける永遠のテーマでもあろう。

人類は生活が便利になり、文化が発達すると同時にあまりにもたくさんの水を使うようになり、その水を汚し続けるようになった。そして自分たちの汚した水を「浄化」と称して塩素を入れて消毒し、「不自然」な水をつくり出してしまったのである。 日本は水の環境に恵まれていることから「水はタダ」の意識が根強く、ヨーロッパなどに比べ「買う」という感覚は薄かったが、大都市圏の水道水は水源の汚染、自然環境の悪化などで「不味い」「臭い」などから消費者が水に関心を持ち始めグルメブームや健康志向、自然志向なども追い風となって、家庭浄水器の普及と共に飲料用の水の需要が急速に高まった。

日本は水の環境に恵まれていることから「水はタダ」の意識が根強く、ヨーロッパなどに比べ「買う」という感覚は薄かったが、大都市圏の水道水は水源の汚染、自然環境の悪化などで「不味い」「臭い」などから消費者が水に関心を持ち始めグルメブームや健康志向、自然志向なども追い風となって、家庭浄水器の普及と共に飲料用の水の需要が急速に高まった。

昭和六十三年、当社では「天寿」の仕込み水ともなる鳥海山の伏流水を「鳥海山自然水」の商品名で飲料用として一リットルペット容器詰めで発売した。飲料水の商品化は秋田県では最初だったと思う。

基 準
2007-05-01

基 準

代表取締役社長 大井建史

四月も終わりに近づいた今、矢島の里にもようやく桜が咲き始めました。四月二十日には蔵人も家路につき、酒蔵の中は静寂に包まれ熟成の時を刻んでいます。

今年の冬は前年と正反対の暖冬で一月・二月に全く雪がない異常な冬でしたが、もちろんしっかりとした対応をし、万全の体制で色々な取り組みも成果を上げて無事終了致しました。

今期を最後に二人の蔵人が退職致しました。今が蔵の最高の状態と自負しているだけに、誠に残念でありますが、若い年代への技術の伝承・世代交代を考えますと必要な事だと自分に言い聞かせるしかありません。

物事を集団で進める時に「当然」とか「当たり前」「常識」と言う言葉がその集団内で交わされ、それが異なる又は通じない人間がいると混乱が起きます。その言葉を言い換えると「基準」となるのだと思います。

そう思って気を付けて見ると「常識」と言う言葉には本当に色々な基準があるものだなと思いますし、自分たちの思い込みも恥ずかしくなるほどあると痛感してしまいます。

お酒の表示を見ましても新しいものが増えています。「ビン火入れ」「ビン貯蔵」等はある程度のクラスになれば言わば「常識」と思い込み、「自家精米」も品質保持の為に行う秋田の造り酒屋の常識であると思っておりましたが、ある酒販店から「なんで表示しないの?表示しないと判らないでしょ。」と言われるまで、他社の表示を見ても「当然努力する事なのに、ここまで書くか?」位で新奇な表示と軽く考えておりました。その割には、この通信で品質向上のための試みや設備投資の事をご理解頂きたくて執拗に書いておりましたのに…。

「当然」「常識」と考えるものには「思い込み」と言う危険分子も含めて考えなければいけない事を、今更ではありますが実感し、「基準」として洗いなおさなければいけないと思っている所です。そうしませんと、弊社が60%純米吟醸まで「ビン火入れ」冷蔵「ビン貯蔵」している品質が目で見てはご理解頂けない事に成るのです。(飲めば判って頂けるとの思いに頼りすぎ、ある意味逆に傲慢だったのかもしれません)しかし、全体のデザインのバランスもありますので、徐々にではありますが、出来るだけ早く表示をしていきたいと思います。

天寿の歴史

(六)ー2

新商品開発- 〔ミルシュ〕- 2

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

『草原を思わせる、透き通った淡いエメラルドグリーンに微炭酸。さわやかなイメージのアルコール飲料が酒の本場・秋田に新登場―。名前は「ミルシュ」。由来は至って単純で、ミルクが原料の酒。なあんだ、ええっ?そう、想像つきにくいでしょうが、牛乳から酒ができたんです。秋田県矢島町と地元の酒造会社が試行錯誤の末、開発に成功しました。

緑色は牛乳に含まれるビタミン。ほんのりヨーグルト風味で、甘くなくすっきりした飲み口、だそうです。というのも発売一ヶ月で売り切れ状態。十二月初めの第二回発売まで、待たなければならないので・・・』

平成九年十一月七日の河北新報のコラム《みちのく》に掲載された記事だが、発売当初の状況がよくまとめられてある。NHKの取材でテレビの東北版にも紹介され注目された。

十一月、秋田県、県物産振興協会、発明協会県支部主催の平成九年度第十七回《県特産品開発コンクール》に出品、最優秀賞 新開発商品部門(知事賞)を受賞。

このコンクールは新商品の開発を促進し、県特産品への関心を高めようと毎年実施され、この年は一年間に商品化された工芸品や食料品、菓子など百九点が六十三企業から出品された。品質、デザイン、話題性、価格などを基準に審査され、受賞したのであった。

秋田さきがけ新聞でも同賞受賞を記事として取り上げて頂き、『女性向けに開発した。低カロリー、低アルコール(7%以下)、豊富なビタミンB2が売り物だ。黄緑色がかった透明で、発泡酒というよりもシャンパンのイメージに近く、ライト感覚で楽しめる。先月、本荘由利地区で市販したが人気を呼び品薄状態、二回目の仕込み中で、来月から県内各地へ出荷する予定』と紹介され、生産が追い着かないほどに人気を博した。

また、平成13年度には農林水産省と財団法人食品産業センター共催の優良ふるさと食品中央コンクールに於いて農林水産大臣賞を受賞し、平成十四年三月十二日、幕張メッセで開催された「FOODEX JAPAN2002」内で開催された第十七回「ふるさと食品全国フェア」にて授賞式が行われた。

地域と共にの社是のもと、地元の素材を活かした商品開発に成功し、この様に数々の栄誉にも恵まれたのである。

吟醸搾り真っ盛り
2007-03-01

吟醸搾り真っ盛り

代表取締役社長 大井建史

蔵内で大注目の大吟醸の搾りが(2月26日)始まりました。当然もろみの状態に合わせて予定を決めます。弊蔵では今年のもろみ日数が例年より長めに推移しておりましたが、搾り始めたら連続になりそうで、杜氏を初め蔵人は慌しく作業に追われています。

今年は常勤社員を技術継承のため、三名酒造りの工程に参加させております。この頃、杜氏やベテラン蔵人からも「顔つきが変わってきた」と言う言葉が聞かれるようになり、嬉しい事だと思っています。「常に自らの責任でより上を目指す」雰囲気と、個人の作業責任が大きい環境の中で、学習と自身の責任の重さに毎日疲れきっていたようですが、ここに来て意欲とある程度の自信が付いてきたのでしょう。もちろん、これからが修行の始まりなのですが、前向きな姿勢に育ててくれた事を蔵人の皆に感謝したいと思います。

異常気象

大雪の昨年とは正反対のこの冬、一月・二月とも雪が全く有りませんでした。75歳の会長ももちろん初めての経験でした。今から今夏の水不足の心配がされており、大雪に不作なしと言われておりますが、今年の稲作はどうなるのかとの不安もあるわけです。

酒蔵開放(二月十日)はお蔭様で1540名の受付を頂き、大変盛況に終わる事ができました。ご来場頂きました皆様に心からお礼申し上げますと共に、ボランティアスタッフとして運営にご参加頂いた皆様にも重ねて御礼申し上げます。(ボランティアの皆様のお力が無ければ、酒蔵開放は成立しないのです)このイベントで雪室封印を行います。例年ですと蔵の軒の雪で間に合うのですが、今年は純米生酒のタンクを雪で覆うのに、ダンプのレンタカーを借りて二十台分の雪を山から運び、断熱材で外側を最初から厳重に覆いました。もちろん初めてのことですが、四月末の封印開封まで先が思いやられます。蔵内も雪に覆われたかまくら状になっていない為、激しい温度変化に酒造りも息を抜けない状態です。

地方格差

平成の大合併から二年が経とうとしております。一市七町の合併で全国で11番秋田では一番広い市(神奈川県の半分の面積)となりましたが、人口分布・教育・経済等が激変期に入ってきた事を体感しております。市部への一極集中は極端に進む気配があり、エリアの小中学校の三割近くが複式学級(一学級に複数の学年が同居)が必要に成りつつあり、近年中に更にその数が増えるのが目に見えている状態です。我が矢島地区もその例外ではなく、最大規模の工場が旧本荘市の工業団地に集約されるとの噂があり、現実になれば人口激減の危機となります。(それが無くてもこの五年間人口五千の地区で毎年百人の減少が続いていました)次代を担う若者達がどんどん地元を離れていく中、スーパーの進出に地元商店や飲食店は減少の一途をたどっており、農家の後継者が何割くらいいるのかは恐ろしくてとても聞けないような現状です。

ここまで来ると全国的な均衡ある発展等は寝言であり、現実的な地方の有り方・農業の保全・子供達の教育機会、環境の均等などを早急に明確化しないと、荒廃した地方と、勘違いした驕りに満ちた都市だけの国になってしまうのではないでしょうか・・・。

天寿の歴史

(六)ー1

新商品開発‐〔ミルシュ〕‐1

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

昭和三十三年、時の町長佐藤直太郎氏の政策により、鳥海高原の矢島町花立地域が北部鳥海山麓集約酪農地域に指定され、オーストラリアからジャージー種乳牛を導入したのは同三十四年。三十八年には農業構造改善事業により花立畜産センターを設置、牧場としての機能も整備され町の産業として発展を見た。続く茂木、宮塚、佐藤の歴代町長も花立地区を酪農振興の拠点として拡大充実を図り、同時に観光の面でも相乗効果を考えた開発に努めスキー場、キャンプ場の整備を始め、現在第三セクター(株)鳥海高原ユースパークが経営にあたっているコテージ、山荘、レストラン、ラグビー場、宿泊施設ユースプラトー、ゴーカート、パークゴルフ場などが次々にスポーツ・レジャー施設として開設整備された。平成十三年四月には牛乳加工施設ミルジーも導入され、飲料ジャージー牛乳の処理のほかヨーグルト、ソフトクリームの製造販売も行うようになった。花立地域はこのように半世紀に近い開発の継続で町の観光産業の重要な拠点として位置づけられるに至ったが、今後も広く〝面〞としての鳥海山観光の重要な地域として発展することを期待したい。

ジャージー種の牛乳はホルスタイン種に比べて栄養価が高く、コクのある味わいが特徴とされる。牛乳そのものに町の特産品としての価値があっても更に付加価値を高めようと考えるのは当然のこと、特産品開発に力を入れていた宮塚町長は矢島高校に酪農科があった昭和三十五年頃、二種類の乳酸飲料が開発されていた事を引き出し、平成元年その製造特許について県の総合食品研究所・醸造試験場と協議し、試験場で試みに発酵させたところワインか発泡酒になりそうとの感触を得、平成二年から三年間酒類化について研究を依頼した。

平成四年、天寿酒造では商品化について町から依頼があったのを受けて、佐藤俊二(現杜氏)が担当、試験場の基礎研究資料を基に、酒造期を除く日常業務の合間に三年間の苦労の試験醸造を重ね、平成七年十二月に数種類の試作品を完成した。製法は牛乳から乳脂肪成分を分離除去しワイン酵母を加えて発酵させるもので、原乳に含まれるビタミンやミネラルなどはそのまま残され、透き通った淡い黄緑色でヨーグルトのような香りを持つシャンパン風の美容や健康に良い女性や若者向きの酒に仕上がった。町の各層から試飲チームを募り試飲を繰り返して品質を決定、同八年八月発泡性乳酒飲料の製造方法特許申請、同九年一月に酒類製造免許を申請、七月には認可を得て本格的な醸造を開始した。

平成九年十月、着想から七年を費やし遂に発泡酒「ミルシュ」は完成した。ネーミングはすでに八年四月に町が公募決定して商標登録し、ラベルデザインも決定されていたので、直ちに矢島町特産品〝ジャージー牛乳から生まれたヘルシーな発泡酒「ミルシュ」〞のキャッチフレーズで売り出した。

平成九年には県特産品開発コンクール最優秀賞、平成十三年には優良ふるさと食品中央コンクールの国産畜水産品利用部門において農林水産大臣賞を受賞した。

新年おめでとうございます
2007-01-01

新年おめでとうございます

代表取締役社長 大井建史

昨年とは打って変わり、今年の正月は雪も殆んど無く、静かで穏やかな正月を迎えました。昨年中は皆様には大変お世話になり、心より御礼申し上げます。

酒蔵の作業は、暖冬の高温と例年より割れて溶けやすい米ではありますが、その対策も順調に推移しており6日からは出品酒の仕込が始まります。杜氏が見学のお客様に「かえって闘志が湧きます」とお答えしているのを聞いて、苦笑したしだいです。

この酒蔵通信をスタートしたのが 年でしたので、今年で9年目になります。社長になる寸前に所信のつもりで「思い」と言う文章を書き、創刊号の2ページ目に掲載いたしました。また、 年1月「新世紀・新創業の時」を読み返し思いが溢れ、社長になってからのこの8年を振り返り、初心を新たにしなければとしみじみと思う正月となりました。

今更であるのかもしれませんが、毎日のように唱える事によって、沁みてくる言葉と薄れていく言葉があることにも気が付く事が出来ました。

変革とそのスピードの維持を心掛けて参りました。確かに社長になる前の十数年とは比較にならないスピードで変わりましたが、私の非才故に、社会の変化はそれを上回っている事を認めざるを得ません。今の体制が三年前・五年前だったらと私が思ってしまうのですから。自分の尺度が、この間何センチ伸びただろうか、変革の能動者として十分に活動をしただろうかと、青年のように考え込む自分を発見してしまいました。

今年は私も年男、息切れしない範囲で、猪っと猪突猛進してみようと思っております。

今期も12月に農大の研修生を受け入れました。そのレポートに我々の成果とも言える嬉しい事が書かれておりましたので抜粋いたします。

(この蔵は「和醸良酒」という言葉がとても似合う蔵だと思います。

杜氏さんが一人で蔵を引っ張っているのではなく、蔵人さんみんなでお互いを高め合っていて、いつもすごくいい雰囲気です。

この蔵のさらに尊敬するなと思ったことは、蔵人さんの半分以上が酒造検定1級を持っているということです。

みんなが酒造りを熟知しているからいいアイデアがたくさん出ます。

そして出たアイデアをこの蔵はすぐに実行できるところがまたすごいところだと思います。

実行するにはお金もかかるし、機械の改造なんかは逆に壊してしまうというリスクもあるのに、それを許可してくれるこの会社もすばらしいなと思います。

この2週間の実習でこの蔵の発明品をいろいろ教えてもらいましたが、僕が気づけなかった発明品がまだまだある気がします。

また何年たってから来るとさらに進化してそうで楽しみです。 この蔵で実習ができて本当によかったです。)

だから続けていけるのです。気付かせてくれるのは、何時も周りの皆様です。本当にありがたく思います。

今年も精進してまいります。品位を高めてまいります。この蔵人達の心栄えに、今年もご期待ください。

天寿の歴史

(五)ー7

製造場建物の変遷ーⅤ

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

壜詰工場火災の時、水利と延焼防止に大きな役割を果たした〝千砂利川〞は市街西北部を貫流し、当社敷地内も横切って流れる小河川で、普段は水量も少なく自然流水の穏やかな川だが、梅雨どきや雪消えのころ大雨が降るとよく洪水を起こし、酒蔵の中にまで水が入りこむことがあった。鳥海山の特殊気象地帯、豪雪地帯である矢島地区は豪雨になることが多く、毎年の降雪量も多い。開発が進むと河川が急速に出水し氾濫するようになるが、当時町の為政者は道路の整備と共に氾濫を繰り返す河川の改修にも力を注いだ。 昭和五十五年〝千砂利川〞の改修が始まった。川巾も広げ川底も舗装し流れをよくする公共工事だが、予想される最大流量に見合う巾と深さを確保しなければならないと言う。そのために当社は川岸ぎりぎりに立つ醸造棟部分の作業場の解体を余儀なくされ、土蔵の入り口前が狭くなって、タンクの出入りが不可能になる設計だった。

幸い昭和四十三年に百石タンクを並べられる貯蔵庫、四十五年には二百石タンクを収納できる貯蔵庫を新築、四十七年には精米所も新築し,すでに仕込蔵も改築してあったので、この際一番古い部分の近代化を図るべく、我が社の歴史を証明する創業時(明治七年)建築の一号蔵は残し、思いきって他の二つの土蔵は解体、木造作業場は移築することを決断、新たに一部二階、鉄骨造陸屋根の製品庫、連結して酒母室、原料処理場の建設に踏み切った。ところが一号蔵が工事中に段差のところから土台が崩れ、その影響で梁も大きくずれて壁も落ちてしまったので、止む無く入り口の観音開きと土戸、格子戸を残こすのみで本体は新しい材料での改築となった。

百年の歴史と伝統を感じさせる建物は住宅部分を除いて殆ど消失してしまうことは実に残念なことであった。人びとはそれを発展の証だと言うが、敷地に余裕があればそれを活かしながら新しい建物に調和さることも出来たと思うが、ぎりぎりの状態では如何ともし難かったのである。 天寿の歴史では未だかつてない大規模な新改築、それに伴う多額の投資であったが、完成後は一日の仕込み量も大きく、作業効率も数段良くなり酒質の向上にもつながり、またコストダウンにも大きく貢献したのである。

その後六十三年に低温貯蔵庫改築、平成一年上槽場改築、平成九年自動製麹棟新築、同十三年独立冷蔵倉庫新築と設備の充実を重ね現在の状態に至っている。改修後の〝千砂利川〞の洪水は一度も起きていない。

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