132回目の酒造り
代表取締役社長 大井建史
まれに見る不作の昨年とは異なり、今年の米は順調で安心して造りに入りました。矢島の里は秋も深まり落葉が始まり、暖房の必要な気候となっております。
原料処理の改善は相変わらずに、最初から試行錯誤の上の実践に挑戦中です。今年は、60%精米以下のお酒の質的改善にご注目頂きたいと思います。これまで以上に理想給水歩合に持っていければどの様に酒質が向上できるか、私も楽しみにしている所です。
さて、話は変わりますが瀬戸内寂聴さんが、「人生は出会いである」「無常とは常なるものは無しと言うこと」と言うお話をしておりました。出会いとは言っても幅が広く、男女の出会いはもちろん・友との出会い・師との出会い・宗教・仕事・趣味・食べ物・そしてもちろん酒との出会いもあります。そして、それぞれとの感動・経験によって人生が構成されて行く。又、それは常成らざるものとして移り変わっていくと言う事でした。
まさにそのとおりとは思います。だからこそ人間は拠所を求めてもがくのだとも思います。
だからと言って日本の文化には、原理主義的な疑う事のない絶対正義・情状の余地のない絶対悪的な考え方は合いません。性悪説ではなく性善説に寄るのが日本ではないかと思っております。盗むなかれ、殺すなかれではなく、人間としての基本的な倫理に関しては、人の道として当然の事とする道徳感があり、徳を積み忠孝に励み道義を守るのが日本の理想だったのではないでしょうか?戦後の60年間で如何に多くの高邁な文化が失われたのか?日本に国籍を持つ一個人として、戦後60年の文化的荒廃と国家と国民としての尊厳が失われた事に、残念ではすまないものがあると考えております。
浅学な者が何を言い出したのかと失笑を買うような飛躍をしてしまったかもしれませんが、個人的には自分を右翼的だとはさらさら思っておりません。しかし、昨今の靖国神社参拝問題や歴史教科書問題、さらには改憲問題等聞くに耐えないような議論や報道(他国の利益代表のような政党や国会議員。どこの国の新聞か判らないような報道もありますね?)に国民の一人として大きな失望を味合わされているからです。敗戦や東京裁判の頚木からはなれ、堂々と歴史を紐解き、根本からの議論を展開してほしいものだと思います。
「昔は教育勅語なんていう変なものがあった」とは聞いておりましたが、その内容を実際に読んだのはつい最近で、現代語訳でしたが特に変なものとは思えず、戦後教育を受けた私には意外な感じがいたしました。教育の指針もゆとり教育などではなく、根本は国の方針の建て直しから始まるのではないでしょうか。
最近棘が刺さったように気になり、書いてしまいました。失礼いたしました。
130周年を迎える 天寿の歴史(五)ー2
六代目永吉 そのⅡ
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
五十年代〜六十年代日本は高度成長の下、農村から都市への出稼ぎが盛んで、地元からも毎年多くの農家が出稼ぎに出たが、必ずと言っていいほど土産には地酒を持って行ってくれた。また集団で行った人たちは、箱単位で職場に送らせるほど地元の酒を愛飲してくれたものである。その酒はすべて旧二級酒で、東京では一級酒で通るほど美味いと言われ地元も圧倒的に二級酒市場だった。
しかし、灘、伏見の大手は量産体制をさらに進め消費者の低価格もあって二級市場に参入所謂棲み分けが崩れ、更に五十七年には大手各社が一斉に生酒、生貯蔵酒を発売、五十八年には低濃度・低価格の紙パックが続々登場、二級市場の激しい競争が始まった。
我社の「しぼりたて生酒」や低温流通「生酒」への取り組みは県内では最も早く、五十八年から発売、保冷箱入り6本セットには、保冷材として当社商品鳥海山自然水の氷結袋を封入し,当時の流通革命の旗手「宅配便」の機動力を活用、いち早く全国直送のシステムに乗せた。この直送システムは今でこそ当たり前になったが、地酒の持つ宿命的な販売領域の狭さを全国に広げる結果にもなっている。
高品質酒の商品化が酒質と共に評価され、地方の名のある地酒を主力商品として扱う中央の問屋「日本名門酒会」から引き合いがあり、初めて県外に出荷されたのもその頃である。高度成長のなか消費者の嗜好の変化は、広く食生活全般の変化に及んで次第に高級本物志向を強めていった。清酒の場合も例外でなく吟醸酒や純米酒、本醸造酒など高級多様化商品の伸びが著しく、また「生酒」は《フレッシュ》《冷やして飲む》《夏場も飲める》《小ボトル》などの点で革新性をもつ新しいタイプの清酒として人気も高まり、これらの商材が全国レベルでピーク時から20%も落ち込んでいた清酒需要を一時期だが回復に導いたのである。
「経済のソフト化、サービス化が進むにつれ、三次産業のソフトウエアで武装した物づくりが必要になってくる。伝統の上にファッション性、デザイン性を加味し、地方の特性を生かした付加価値の高い商品を創りだしていく事が地酒蔵のサバイバルの道でないか」とは「あきた経済」誌六十二年六月号へ載った拙文の一部だが、今でもその考えに変わりはない。「古酒大吟醸」(昭和47年)、玲瓏天寿(昭和54年)、しぼりたて生酒(昭和55年)一級純米酒(昭和56年)、「大吟醸」(昭和61年)、本醸造「あきたこまち」(昭和62)年)等次々に新商品を市場に送り出した。
「あきたこまち」は秋田県が誇る食味銘柄米《あきたこまち》を原料米として仕込んだもので米の旨みをだした酒だが、昭和六十二年、孫長女が誕生した慶びに、小野小町にあやかって美しく賢く成長するように願って付けた登録銘柄である。