春が来た…。
代表取締役社長 大井建史
三月二十二日に由利本荘市となった矢島の里も、例年より一週間遅れと言うことで今週になって桜が咲き始めました。庭の雪が全て消えたのも昨日で、気温も今日(4月27日)は一挙に上がって二十度です。ふきのとうや水仙・こぶしの花なども一斉に咲き始め、雪どけの増水以外にも明るく体感できるまさに春です。
三月末に皆造(上槽まで全て終わる事)となり、四月十五日には季節工の蔵人は家路につきました。貯蔵蔵も壜貯蔵用冷蔵倉庫も満タンで、静かに熟成しながら皆様にお楽しみ頂ける時を待っております。
この酒造りで困ったのは、一般掛米の確保でした。昨年の塩害で、秋田県としては大変珍しく米が不足したのです。又、減反により作付け面積がかなり減少したため、高額で売れる可能性のある銘柄の飯米に集中している事も一因です。
こういう場合、原料米を探す先は米の商社に成る訳ですが、これがまあ色々出て来ます。東北より南では、各地で山田錦が作られていますが、その品質と価格の様々な事といったら大変な物がありました。弊社の美山錦より遥かに安い物が沢山あるのです。(酷い物はくず米に近い様な三等米も有りました。道理で山田錦一〇〇%の安い酒が増えるはずですね)
お酒の値段
最近のお酒の市場を考えると、十年前に比べて特定名称のお酒の価格がかなり安くなってきています。「この品質でこの価格」と言う看板商品で有名になり、それからその酒蔵全体の商品を紹介して行くのがブランド確立への道との考え方もあり、(実際にその成功例も有りますよね)判る気もします。三年位前までは純米吟醸の50%精米クラスで一升瓶三千円以下の酒でないと市場性が弱いと言われていましたが、最近では異なるものではあるのですが焼酎との比較から、二千五百円位にならないかとの話が出てきております。専門店での市場動向による要望ですが、酷い話だということも良く理解している方々なのです。本格焼酎のブームの中で如何に日本酒の販売が厳しいかと言う悲鳴でもある訳です。当然造り酒屋の私共からは、重いため息と脂汗が出て眩暈がする訳ですが…。
純米吟醸「鳥海山」(美山錦50%精米・1800ml 三千円)を生み出すために、大吟醸の750kg仕込に負けないクォリティーを実現しようと、米洗い・限定吸水・蒸し・もろみ管理にどれだけの研究と設備投資を行ったかを思うと、情けなく思えてしまうのは、造り手の我侭な自己満足から来るのかも知れませんが…。
ピーク時に900万石だった日本酒が500万石割る事が一昨年話題となり、昨年焼酎に製造量で超され、早くも400万石を割るのも時間の問題となって来たようです。一方、海外では日本酒が和食と共に日本の食文化を担う物として認められ、順調な伸びを示しております。また、フランスのワインやドイツのビールはその国での消費量が減少していないとの話も出てきました。日本酒の価値や有り方が益々問われる時代となりました。
精進いたします。皆様のご支援よろしくお願い申し上げます。
130周年を迎える 天寿の歴史(四)ー7
五代目永吉 その七
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
五代目の功績の一つにラベルの更新に着目したことが挙げられると思う。「天寿」の酒名も酒質の評判も上がり、売り上げも順調に伸びていたが、統制時代の企業整備会社、製造もままにならない頃である。五代目は時代の先を読み、企業整備会社からの分離操業そして独立自由化を見透しそれに備えたのか、昭和二十七年に旧二級酒(現精撰)一級酒(現本醸造)のラベルを一新している。そのデザインを取引の印刷会社ではなく郷土矢島町出身の当時著名な芸術家であった「斉藤佳三」に委嘱したのである。
「斉藤佳三は明治二十年生まれ。県立第一中学(現秋田高校)から早稲田中に転校、さらに順天中に編入、卒業した後、音楽の道を志し東京音楽学校師範科に入学した。大正二年渡欧し、モダニズムの影響を受けた。帰国後は「総合美術」を目指し、家具、工芸のインテリア、服飾デザイン、作詞、作曲と音楽、さらには舞踊劇、舞台美術と多彩な分野で才能を発揮。また日本で最初に商業デザインを説き、日本の近代美術史の一時代を築いた。」
(秋田魁新報)
斬新で優れたデザインのラベルは評判となり、「天寿」の蔵元のイメージも高め、その後の躍進の原動力にもなったのである。
旧一級(現本醸造)
斎藤の着想は日本海の夕日だったが、五代目は社運の上昇を願い旭日に変えた。
斎藤の着想は日本海の夕日だったが、五代目は社運の上昇を願い旭日に変えた。
五代目の希望で鶴・亀・鳥海山・松竹梅と目出度いもの尽くしの図案である。
デザイナーのサイン入りのラベルは今でも珍しい。