謹賀新年
代表取締役社長 大井建史
新年おめでとうございます。
酒蔵では正月も休みなく発酵が続き、新酒が生み出されている。
私は今年、天寿の酒蔵に入って三十四年、社長になって二十年目、そして八月十五日には六十歳の還暦を迎える。六代目が発見した古文書によると翌日の八月十六日には文政十三年分家として創業した天寿酒造は百九十年目に突入する。
三十数年前の第一次焼酎ブームをきっかけに大変動が起き、日本酒の消費量が急速に落ち始めた。日本酒業界は変わらなければならず、何をどうすれば良いか判らないまま業界も迷走した時代。自分が必要とする変化の有り様も手探りであり、凡庸な私は目の前にある危機にもがきながら、愚直に自分の信じる品質の改善の為、技術的・設備的・資金的に挑戦を続けてきた。
「温故創新」を掲げ、蔵人たちと共に酒造りの工程を一つ一つ吟味し、精米工程の改善と設備更新。洗米・浸漬工程では、今では当たり前になった洗米の自動計量・全量笊洗いの方法を創造し、原料米水分のブレを0・00一%にまで精度を向上させた。釜場の改築・設備の改善・更新により、蒸米に使用する蒸気は全て水を沸かした間接蒸気とし、更に乾燥蒸気と熱風の使用で非常にさばけの良い蒸米を生み出している。また吟醸酒は、全てビン貯蔵・冷蔵熟成をしており、社屋の景観は冷蔵倉庫業の様に成りつつある。
「酒造りは米作りから」と地元で昭和五十八年に設立した酒造好適米契約栽培グループの「天寿酒米研究会」はやや高齢化が進んでいるものの、まだまだ元気に頑張ってくれている。秋田県酒造組合原料米対策委員長となり十三年目の現在では、組合取り扱いの酒造原料米は兵庫県秋田村の山田錦から県産酒造好適米・地域流通米の一般米まで全て契約栽培として確保できるようになった。
五年前に和食が世界遺産になって以来、日本酒の輸出も注目されてきた。弊社は輸出を始めて二十年が過ぎ、アメリカ・香港・台湾・中国・韓国等売り上げ全体の一割近くが輸出となった。
現在も日本酒業界の動きは活発で、SNS等を駆使すれば、我々世代が十年かかった情報発信も一年で出来てしまう。良いか悪いか難しい面もあるが、それだけ大きな変化が起こりやすくなったのだろう。
言いたくはないが自分が古くなった感はある。経験で物を言う様な所が多々出てきている。自覚症状というのだろう。体と一緒で、それとどう付き合うかを考えながら、まだしばらくは全力疾走をしてゆきます。
今年もご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
いつも通り
杜氏 一関 陽介
今回は少し恥ずかしい話を書き記したい。
十月一日、私にとって十五回目の酒造りが始まった。平年より三週間早く始まった今期の酒造りは気温が異常に高く、麹やもろみなどの微生物管理に悩まされるところから始まった。
「いつもと違うことをする時は慎重に始めよう」と心掛けてはいるが、自然や生物相手では、そう簡単にはいかなかった。
「いつもと同じ事をしているのに、いつものようにいかない・・・。」
自分はいつも通りのつもりでも、相手(麹菌・酵母菌)にとっては違う。ただそれだけの事だが、重大な問題である。私が一番悔しかったのは自分にとっても環境が変化していたことに一早く気付けなかった事だ。
簡単に言えば、人間の体温が三十六度で保たれていたとしても、冬の五度の時と夏の三十五度の時では違うはずだ。裸の状態とコートを着ての三十六度は違う。これは当たり前である。
人間がそうであるように微生物にとってもそうだろう。操作的にいつも通り、数字的にいつも通り・・・などということは周りの環境が常に一定であって初めて使える言葉なのだ。微生物にとってより良い環境を作ってあげることができていなかった気がする。
くれぐれも誤解のないように明記しておくが「私の思い通りではなかった」=「お酒が美味しくない」ではない事だけは知っておいて頂きたい。発売中のしぼりたて生酒を是非飲んでいただき、皆様に私の(この反省の)気持ちが伝わってくれるのならば、それも良しと思っている。
最初に戻るが、三週間早く酒造りを始めた理由は、鳥海山スパークリング生酒の製造が主な理由である。そして、いつも冬期のみ酒造りを共にしている蔵人メンバー不在で造るチャレンジでもあった。少人数での仕込み作業の大変さを体感し、前出のような想いの中で搾った鳥海山スパークリングは、あっという間に完売。新商品が出る度に連絡をくれる友人達からの「美味い」の一言はまさに涙物であった。
十二月に入っても、気温が十五度を超えるなど、異常気象ではあるが、中旬から最低気温も氷点下になり積雪も増え始め、いつも通りの矢島の風景に変わりつつある。
そう、この「いつも通り」には要注意。何気なく使うこの言葉だが、嫌いになりそうである。





