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蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

厳しい環境の中で
2019-03-11

厳しい環境の中で

代表取締役社長 大井建史

二月九日に開催された「天寿蔵開放」には、今年も二千名を超えるお客様のご来場を頂き、心から感謝申し上げます。私共の思いを直接お客様にお伝えする機会を作ろうと平成十二年に始めたイベントも二十回目。今年も沢山のボランティアの方々に応援を賜り、極寒の一日は何とか盛況に終える事が出来た。

異常気象が身近となって久しいが、この三・四年の秋田の冬は特にその感を強めている。一・二月に田んぼの土が出ている事など考えられなかったが、今年は土が出ているだけでなく二月に入ると雪がどんどん消えて、季節が一ヶ月先にずれてしまったような陽気となり、かなり緊張感を強いられる醸造環境である。加えて夏場の水不足や虫の発生等も懸念される。私が入社間もない頃四代前の杜氏が前年に金賞を受賞した翌年、今年もいけると思った春先に急に気温が上がり出品酒に苦みが出て非常に残念な思いをしたり、槽場の臭いに酸臭が混じり始めたりと、清掃を頑張っても環境が整っていないと細かな所で大切なお酒が汚染される可能性が高くなる。

そんなときの為にこれまで一生懸命整えてきた冷蔵設備が活躍する。酒母室・槽場・釜場・壱号蔵等々が醸造環境の保全に力を発揮するのだ。

現在の主力商品「純米大吟醸 鳥海山」を始め弊社の吟醸は全て瓶火入れ冷蔵貯蔵の為、製造工程は精米から瓶詰・瓶火入れ・冷蔵貯蔵までとなる。瓶火入れもここまでの量となると大変な重労働であり、製造計画として盛り込まなくては全く追い付かなくなる。瓶詰の担当社員は瓶火入れが終わる五月連休前まで休日も返上しての多忙な日々が続く。

酒蔵の仕事は原料米の植え付けからお酒になるまでだけではなく、商品企画(品質・スペック・デザインなど)販売企画(販売場所・価格・ルート他)・営業(卸・小売り・飲食店・消費者)と少人数ですべてを行う必要がある。

その為に品質をいかに向上させるかと言う事はもちろんだが、今どのようなシーンで日本酒は又は弊社商品が飲まれているのか?がとても大切な情報となる。様々な場を見て回っているつもりではあるが、皆様からのご意見が何よりも勉強に成る。百九十回目の酒造りも後半に入ったが、より充実した面白い酒にする為にこれからもご指導ご鞭撻を、何卒宜しくお願い申し上げます。

松尾大社参拝

杜氏 一関 陽介

昨秋、「そうだ、松尾大社参拝へ行こう」と思い立ち京都・嵐山へ向かった。松尾大社といえば醸造祖神として有名で、数多くの醸造関係者の方々が毎年参拝されていると聞くが、私は日本酒業界に入って十五年目で初めての参拝であった。敷地内には、お酒の資料館があり、また境内の脇には全国各地の酒蔵の酒樽が納められており、日本第一酒造神と仰がれる所以が感じられる場所であった。

話は一気に蔵内に変わるが、弊社のもろみ蔵には神棚がある。松尾大社守護を祀り、会社の繁栄と働く私達の安全をお守りいただいている。昨年までは古酒の貯蔵に使用していた弊社で一番古い蔵に祀られていたのだが、蔵の改修によってもろみ蔵に移動することとなった。場所を理由にしてはいけないが、今まで醸造期間中(十月~翌年三月)にお参りするのは年末年始くらいのものだった気がする。秋に松尾大社に参拝したことと、毎日の作業場所へ神棚が移動してきたことで親近感が湧いたと言ったら大変失礼だろうが、私の中で身近な存在になっている。

冒頭に戻るが、自分の中で京都へ参拝に行こうと思ったきっかけがある。まずは全国新酒鑑評会の金賞が初めて獲れた事。そして杜氏としてこれから進むべき何かを感じとれるのではないかと思った事。何より一緒に酒造りをする仲間が健康で安全に仕事ができるようにお願いする事である。

そのおかげか、今年度も製成されるお酒は良質で、ケガを負ったり、この冬にインフルエンザを患った蔵人もいない。

酒造りはその会社の蔵人の実力勝負であり、神様にお願いして質が良くなるものではないが、自分の気持ちを落ち着かせたり、安全や災除を祈願することは大切であると思う。

一日の最後に蔵内を一周するのが私の日課だが、神棚に向かい「今日も一日無事に終われました」と報告して終わるのである。

謹賀新年
2019-01-11

謹賀新年

代表取締役社長 大井建史

新年おめでとうございます。

酒蔵では正月も休みなく発酵が続き、新酒が生み出されている。

私は今年、天寿の酒蔵に入って三十四年、社長になって二十年目、そして八月十五日には六十歳の還暦を迎える。六代目が発見した古文書によると翌日の八月十六日には文政十三年分家として創業した天寿酒造は百九十年目に突入する。

三十数年前の第一次焼酎ブームをきっかけに大変動が起き、日本酒の消費量が急速に落ち始めた。日本酒業界は変わらなければならず、何をどうすれば良いか判らないまま業界も迷走した時代。自分が必要とする変化の有り様も手探りであり、凡庸な私は目の前にある危機にもがきながら、愚直に自分の信じる品質の改善の為、技術的・設備的・資金的に挑戦を続けてきた。

「温故創新」を掲げ、蔵人たちと共に酒造りの工程を一つ一つ吟味し、精米工程の改善と設備更新。洗米・浸漬工程では、今では当たり前になった洗米の自動計量・全量笊洗いの方法を創造し、原料米水分のブレを0・00一%にまで精度を向上させた。釜場の改築・設備の改善・更新により、蒸米に使用する蒸気は全て水を沸かした間接蒸気とし、更に乾燥蒸気と熱風の使用で非常にさばけの良い蒸米を生み出している。また吟醸酒は、全てビン貯蔵・冷蔵熟成をしており、社屋の景観は冷蔵倉庫業の様に成りつつある。

「酒造りは米作りから」と地元で昭和五十八年に設立した酒造好適米契約栽培グループの「天寿酒米研究会」はやや高齢化が進んでいるものの、まだまだ元気に頑張ってくれている。秋田県酒造組合原料米対策委員長となり十三年目の現在では、組合取り扱いの酒造原料米は兵庫県秋田村の山田錦から県産酒造好適米・地域流通米の一般米まで全て契約栽培として確保できるようになった。

五年前に和食が世界遺産になって以来、日本酒の輸出も注目されてきた。弊社は輸出を始めて二十年が過ぎ、アメリカ・香港・台湾・中国・韓国等売り上げ全体の一割近くが輸出となった。

現在も日本酒業界の動きは活発で、SNS等を駆使すれば、我々世代が十年かかった情報発信も一年で出来てしまう。良いか悪いか難しい面もあるが、それだけ大きな変化が起こりやすくなったのだろう。

言いたくはないが自分が古くなった感はある。経験で物を言う様な所が多々出てきている。自覚症状というのだろう。体と一緒で、それとどう付き合うかを考えながら、まだしばらくは全力疾走をしてゆきます。

今年もご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。

いつも通り

杜氏 一関 陽介

今回は少し恥ずかしい話を書き記したい。

十月一日、私にとって十五回目の酒造りが始まった。平年より三週間早く始まった今期の酒造りは気温が異常に高く、麹やもろみなどの微生物管理に悩まされるところから始まった。

「いつもと違うことをする時は慎重に始めよう」と心掛けてはいるが、自然や生物相手では、そう簡単にはいかなかった。

「いつもと同じ事をしているのに、いつものようにいかない・・・。」

自分はいつも通りのつもりでも、相手(麹菌・酵母菌)にとっては違う。ただそれだけの事だが、重大な問題である。私が一番悔しかったのは自分にとっても環境が変化していたことに一早く気付けなかった事だ。

簡単に言えば、人間の体温が三十六度で保たれていたとしても、冬の五度の時と夏の三十五度の時では違うはずだ。裸の状態とコートを着ての三十六度は違う。これは当たり前である。

人間がそうであるように微生物にとってもそうだろう。操作的にいつも通り、数字的にいつも通り・・・などということは周りの環境が常に一定であって初めて使える言葉なのだ。微生物にとってより良い環境を作ってあげることができていなかった気がする。

くれぐれも誤解のないように明記しておくが「私の思い通りではなかった」=「お酒が美味しくない」ではない事だけは知っておいて頂きたい。発売中のしぼりたて生酒を是非飲んでいただき、皆様に私の(この反省の)気持ちが伝わってくれるのならば、それも良しと思っている。

最初に戻るが、三週間早く酒造りを始めた理由は、鳥海山スパークリング生酒の製造が主な理由である。そして、いつも冬期のみ酒造りを共にしている蔵人メンバー不在で造るチャレンジでもあった。少人数での仕込み作業の大変さを体感し、前出のような想いの中で搾った鳥海山スパークリングは、あっという間に完売。新商品が出る度に連絡をくれる友人達からの「美味い」の一言はまさに涙物であった。

十二月に入っても、気温が十五度を超えるなど、異常気象ではあるが、中旬から最低気温も氷点下になり積雪も増え始め、いつも通りの矢島の風景に変わりつつある。

そう、この「いつも通り」には要注意。何気なく使うこの言葉だが、嫌いになりそうである。

まず目の前の一歩を懸命に
2018-11-01

まず目の前の一歩を懸命に

代表取締役社長 大井建史

秋田県立金足農業高校の皆さん、準優勝おめでとうございます。そして全国の皆様、我らが秋田県代表の大応援ありがとうございました。私が高校の時に何故か図書館で調べ、第一回大会で旧制秋田中学が準優勝していることは知っていましたが、今や秋田県でも数少ない公立農業高校が夏の甲子園大会で大活躍し、雑草軍団・平成最後の百姓一揆と言われながらも、まさか第百回大会決勝に進出し、東北初の優勝にチャレンジする機会を得るとは思いもしませんでした。

大フィーバーです。八月末になっても特集番組が毎晩あるくらいで、大会中の試合の放映時間帯は、秋田の経済が完全に停止(笑)する程でした。

自分の目線の位置も良く分からなくなりました。親の様でもあり、汗を流して応援する高校生と同じ様でもあり、先生になったりコーチになったり先輩になったり隣のおじさんになったりと、まあ忙しく心が躍り、声を上げ、涙をふき、手に汗を握る興奮の日々が続きました。

決勝翌日の地元秋田魁新報は、なんと号外を含めて十六ページの記事を出しました。たいしたものだと思います。全国最速の人口減少県に久々の喜びの大ニュースでした。

それにしても暑い夏が続きます。連続の台風・ゲリラ豪雨等の異常気象が悲しい事に当たり前になってきました。予報は色々出ていますが秋田県南部は今のところ特に被害はなく、稲の成長も平年通りと聞いております。しかし、この暑さですので高温障害が出る可能性は高いと思われます。田んぼ毎に品質のバラツキが出ると、どのコメがどのような状態なのかなど、確認や調整に非常に困難な対応が求められるのです。何しろ米が溶けなくなるので浸漬や蒸米等々で様々な対策をとるのですが、何をやっても思う様にならないという年もあるのです。

昨年の改築後、酷い雪害で一冬で折れた防火壁も可能な限り頑丈に補修し終わりました。あと一ヶ月で稲刈りも終わり、十月には天寿酒造の百八十九回目・社長の十九回目・一関杜氏の七回目の酒造りが始まります。六年間試験醸造して参りました生酛の純米大吟醸酒・純米酒も近々本格発売を開始いたします。

今年も課題を沢山掲げながら、新しい蔵人も加えて新たな挑戦が始まります。基礎が揺らぐと全てが再現性の無いものになります。困難な時こそ基本に帰り、その一歩一歩を万全と思える形で忠実に懸命に積み重ねて行く事が重要になります。

五十九歳、酷暑の夏を全力で戦った十八歳を見習って気合を込めて頑張ります。ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

向上心

杜氏 一関 陽介

八月一日から三日の日程で、私の所属する山内杜氏組合の酒造講習会が開催され、その講習の中で約一時間半に渡り、秋田県内の先輩杜氏をはじめ技術者の皆様に向けて講師としてお話をさせていただきました。山内杜氏に所属する現役の杜氏の中で一番若い私ですが、会社の方針や取り組み、技術的な話は当然のこと、会社に入社してからの話や杜氏に就任してからの話など、自分の酒造りに対する気持ちを話す事ができる大変貴重で有難い時間でした。子供の頃はあがり症で、人前で話す事が嫌いでした。しかし、中学校で応援団長、高校生で生徒会長を経験し、趣味で長年続けた和太鼓演奏なども影響してか、社会人になる頃には、人前で自分を表現することを身につけていたような気がします。しかし、さすがに一時間半の講演の依頼を受けるのは初めてでしたので、自分には長過ぎて時間を余してしまうのではないかと心配しましたが、過去のそんな経験が活きたのか、当日はすんなり話をする事ができました。苦手意識を捨て、未知の世界を体験することで、今まで見えなかった自分の一面を見ることができた気がします。皆様も是非、自身の向上の為に、苦手だと思うことに敢えてチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

さて、話は変わります。全国高校野球選手権大会で準優勝した秋田県代表の金足農業高校は大活躍でした。プロ大注目のエースの踏ん張りもさることながら、一人が全員を全員が一人を助ける気持ちで強豪相手に勝ち進んだ選手達に感動させられっぱなしです。「あいつが苦しんでいるから、俺が頑張る」「あいつが助けてくれたから、今度は自分が恩返しする」という、実に簡単なようで実行するのが難しい言葉を彼らは放つのですが、それを実行に移す力をも彼らは持っているのが本当に凄いと思うのです。

今、私は杜氏となり、チームを引っ張る責任感と酒造りは和(輪)を以ってするという協調性の大切さをヒシヒシと感じているわけですが、私の年齢の半分の彼らが、堂々と発言する姿に尊敬の念を抱きました。

これはただの私の想像でしかありませんが、彼らはただの仲良しではないのでしょう。言い合いをするわけでも馴れ合いでもないのでしょう。きっと全員が相手の事を考えた行動や発言ができるチームなのだと思います。

「失敗した時は自分がしっかり反省する」

「上手くいった時は皆のおかげと思う」

この考え方を理解できる人が増えることでチーム力の向上になっていくのでしょう。

高校球児の美しき汗と涙の裏に、そんな事を感じる私ですが、負けずに頑張ろうと思う、そんな今日この頃です。

まず目の前の一歩を懸命に
2018-09-01

まず目の前の一歩を懸命に

代表取締役社長 大井建史

秋田県立金足農業高校の皆さん、準優勝おめでとうございます。そして全国の皆様、我らが秋田県代表の大応援ありがとうございました。私が高校の時に何故か図書館で調べ、第一回大会で旧制秋田中学が準優勝していることは知っていましたが、今や秋田県でも数少ない公立農業高校が夏の甲子園大会で大活躍し、雑草軍団・平成最後の百姓一揆と言われながらも、まさか第百回大会決勝に進出し、東北初の優勝にチャレンジする機会を得るとは思いもしませんでした。

大フィーバーです。八月末になっても特集番組が毎晩あるくらいで、大会中の試合の放映時間帯は、秋田の経済が完全に停止(笑)する程でした。

自分の目線の位置も良く分からなくなりました。親の様でもあり、汗を流して応援する高校生と同じ様でもあり、先生になったりコーチになったり先輩になったり隣のおじさんになったりと、まあ忙しく心が躍り、声を上げ、涙をふき、手に汗を握る興奮の日々が続きました。

決勝翌日の地元秋田魁新報は、なんと号外を含めて十六ページの記事を出しました。たいしたものだと思います。全国最速の人口減少県に久々の喜びの大ニュースでした。

それにしても暑い夏が続きます。連続の台風・ゲリラ豪雨等の異常気象が悲しい事に当たり前になってきました。予報は色々出ていますが秋田県南部は今のところ特に被害はなく、稲の成長も平年通りと聞いております。しかし、この暑さですので高温障害が出る可能性は高いと思われます。田んぼ毎に品質のバラツキが出ると、どのコメがどのような状態なのかなど、確認や調整に非常に困難な対応が求められるのです。何しろ米が溶けなくなるので浸漬や蒸米等々で様々な対策をとるのですが、何をやっても思う様にならないという年もあるのです。

昨年の改築後、酷い雪害で一冬で折れた防火壁も可能な限り頑丈に補修し終わりました。あと一ヶ月で稲刈りも終わり、十月には天寿酒造の百八十九回目・社長の十九回目・一関杜氏の七回目の酒造りが始まります。六年間試験醸造して参りました生酛の純米大吟醸酒・純米酒も近々本格発売を開始いたします。

今年も課題を沢山掲げながら、新しい蔵人も加えて新たな挑戦が始まります。基礎が揺らぐと全てが再現性の無いものになります。困難な時こそ基本に帰り、その一歩一歩を万全と思える形で忠実に懸命に積み重ねて行く事が重要になります。

五十九歳、酷暑の夏を全力で戦った十八歳を見習って気合を込めて頑張ります。ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

向上心

杜氏 一関 陽介

八月一日から三日の日程で、私の所属する山内杜氏組合の酒造講習会が開催され、その講習の中で約一時間半に渡り、秋田県内の先輩杜氏をはじめ技術者の皆様に向けて講師としてお話をさせていただきました。山内杜氏に所属する現役の杜氏の中で一番若い私ですが、会社の方針や取り組み、技術的な話は当然のこと、会社に入社してからの話や杜氏に就任してからの話など、自分の酒造りに対する気持ちを話す事ができる大変貴重で有難い時間でした。子供の頃はあがり症で、人前で話す事が嫌いでした。しかし、中学校で応援団長、高校生で生徒会長を経験し、趣味で長年続けた和太鼓演奏なども影響してか、社会人になる頃には、人前で自分を表現することを身につけていたような気がします。しかし、さすがに一時間半の講演の依頼を受けるのは初めてでしたので、自分には長過ぎて時間を余してしまうのではないかと心配しましたが、過去のそんな経験が活きたのか、当日はすんなり話をする事ができました。苦手意識を捨て、未知の世界を体験することで、今まで見えなかった自分の一面を見ることができた気がします。皆様も是非、自身の向上の為に、苦手だと思うことに敢えてチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

さて、話は変わります。全国高校野球選手権大会で準優勝した秋田県代表の金足農業高校は大活躍でした。プロ大注目のエースの踏ん張りもさることながら、一人が全員を全員が一人を助ける気持ちで強豪相手に勝ち進んだ選手達に感動させられっぱなしです。「あいつが苦しんでいるから、俺が頑張る」「あいつが助けてくれたから、今度は自分が恩返しする」という、実に簡単なようで実行するのが難しい言葉を彼らは放つのですが、それを実行に移す力をも彼らは持っているのが本当に凄いと思うのです。

今、私は杜氏となり、チームを引っ張る責任感と酒造りは和(輪)を以ってするという協調性の大切さをヒシヒシと感じているわけですが、私の年齢の半分の彼らが、堂々と発言する姿に尊敬の念を抱きました。

これはただの私の想像でしかありませんが、彼らはただの仲良しではないのでしょう。言い合いをするわけでも馴れ合いでもないのでしょう。きっと全員が相手の事を考えた行動や発言ができるチームなのだと思います。

「失敗した時は自分がしっかり反省する」

「上手くいった時は皆のおかげと思う」

この考え方を理解できる人が増えることでチーム力の向上になっていくのでしょう。

高校球児の美しき汗と涙の裏に、そんな事を感じる私ですが、負けずに頑張ろうと思う、そんな今日この頃です。

上海
2018-07-01

上海

代表取締役社長 大井建史

六月二十二日から七~八年ぶりに上海に行ってきた。シティ・スーパー様とのお取引は二十年に及ぶが上海一号店がオープンして少し経ってから担当を常務としてきた。

今回は五号店がオープンするにあたり、光栄にも酒売り場で酒樽の鏡開きセレモニーに呼んで頂き、初代のカリスマ石川社長の御遺言で指名され三十代前半で抜擢されたと聞く、二代目トーマス社長とも久しぶりにお会いして感激した。

久しぶりの上海は大きく変化していた。一番に感じられたのは全体がすごく豊かになった事。バンド地区は記憶よりもはるかに大規模だったし、フランス租界を中心に古い瀟洒な建物や並木も多く、オープンテラスの有るレストランから通りを眺めていると、欧米人も多く歩いており、その豊かな光景に何処にいるのか判らなくなる様な気さえした。

高層ビルの上層は霞んですぐ見えなくなるが、電気自動車や電機モーター付きのスクーターが増え、クラクション禁止令などにより、街の騒音がかなり抑えられている。

オリンピックや万博前は、バブル崩壊前の輝きだとか言われ、音を立てて発展している感は有った。いかにも地方出の人たちがアリの巣を覗くような速度と数で蠢いている様だった。日本の人口程の富裕層がいると当時から言われていたが、高級日本食レストランはなかなか見つからず、市中で目に付くのは二百元で食べ放題飲み放題の店などが主流だった。

今回はバイヤーお勧めの店に同行営業して頂いた。日本を訪れる方が多くなったせいか「なんちゃって和食」はお客の知識により通用しなくなり、和食店の変貌ぶりは香港や台湾よりも早い様な気がした。中国の発展と大都市上海に自分の夢と将来を賭ける香港・台湾の方々が、それぞれが作り上げた和食店の料理と経営のノウハウを持ち込んで挑戦するせいかもしれない。特に台湾は言葉が同じと言う事で出店意欲が旺盛との事。又は現地資本と組んで台湾人がコーディネートするパターンも多いそうだ。

中国の人口十三.八憶人・上海の二三〇〇万人、とてつもない人口で在り経済的にも国際化でも凄まじい市場であるが、私共で出来るのは足元をしっかり固める事。社員一同スクラム組んで頑張る事。

一冬で壊れた残念な防火壁の修理は大工事になっているが、現在進行中。百八十九回目の酒造り計画も始まった。ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

基準

杜氏 一関 陽介

六月十一日、平年より三日、昨年より二十日も早い梅雨入りの発表がありました。しかし、その後はどんよりと曇って肌寒い日が続き、梅雨のジメっとした雨の日が少ない感じがいたします。酒米研究会メンバーも無事に田植えを終えました。ただ、この時期の肌寒い天候が稲の生育に影響するのではないかと少し心配です。最終的に個々の管理が重要になる訳ですが、「メンバー内で情報をしっかり共有する事」また、酒造りに携わる私達も含めた全員が、「地元でできる最高の酒を目指す為に、最高の米を収穫する」という同じ意識を持つ事が大切だと圃場を見ながら改めて思うこの頃です。

さて、五月十七日に発表になりました、平成二十九年度全国新酒鑑評会において金賞を受賞することができました。私が杜氏に就任してから六年目で初の受賞です。受賞の喜びと同時に、やっと「全国金賞」に辿り着いたという達成感に満ち溢れています。昨年までの五年間も天寿らしいキレイな酒を醸してきた自信はありますし、金賞を狙っていなかったわけでもありません。

ただ、物の評価には一走の「基準」があると思います。金賞を貰えないということは、「金賞酒の基準」に達していないという評価です。そして、その自分達の酒の評価を受け入れた上で出品を続け、今まで受賞できなかったのが現実です。昔から全国の酒蔵が技術を争う名誉ある賞ですので、会社や酒造りを教えてくださった先輩、何より同じ酒を醸す仲間に対して、今まで受賞できなかった私の技術者としての責任は非常に重いと痛感しています。

分かっていた事なのですが、受賞して思うのは、この鑑評会に向けて狙った酒が醸せたチームへの技術賞が金賞であるという事。また、酒質に及ぼす影響が大きいであろう米や酵母・麹菌など、使用する原料や微生物等それらを含めて一つのチームであるという事。

分かりやすく言えば、

・微生物が働きやすい環境を人が作れた事

・人が働きやすい蔵内環境であった事

これが今年の勝因だと考えています。

鑑評会の出品酒というのは蔵にとっても特別なものであり、最高峰の酒に間違いはありません。しかしながら沢山ある商品の中の一つです。「金賞受賞酒」は絶賛発売中ですので、この機会に皆様にも普段感じられない特別感と「金賞酒の基準」を是非感じていただければと思います。

基準とはブレる事のない大事な物であると同時に、無理に照準を合わせようと人を惑わし操作する要素もあるように思います。何かに合わせる事を考える前に、目の前で起こる事を自分達なりに感じ、しっかり考えることを大切にして、さらに良い方向に基準を超えていけるよう酒造りに邁進したいと思います。

来年度も蔵人一丸、頑張ります!

桜の咲く頃に
2018-05-01

桜の咲く頃に

代表取締役社長 大井建史

四月八日に甑倒しが済み、今年も無事に酒造りが終わろうとしている。蔵人の解散も四月二十日と決まり、通信をお届け出来る頃には酒蔵の中も静かな熟成の時を迎える事になる。

新しい釜場の設備を調整しながら様々な試みにより面白い結果が出た物もある。先日山形で出品酒の持ち寄り審査会があった。技術の研鑽の為に県外にも広く門戸を開放してくれている会なので、表彰等は無いがかなりの出品数の中弊社の酒が第一位となり、業界の中では色々な方からお祝いの声を頂きうれしいスタートを切った。

この百八十八回目の酒造りで四十三年間勤めて頂いた佐藤直千代さんが引退される。七十一歳まで引き留めてしまった。急速に若返っている蔵人に天寿の酒造りの姿勢・心構え・雰囲気を伝えてもらいたいと願ったからである。

長い歴史を重ねる為の伝統とは革新の連続で初めて出来るものではあるが、危機感や強い連帯感・長い歴史の中の今を背負っている誇りや共に上を目指す思いなどが存在しないと簡単に無くなるものではないだろうか?同じ時代に生き、たまたま同じ酒蔵に同職し、酒を造るという事を学び、その品質の向上に己の誇りをかけて共に精進して初めて長い歴史を支えた者の一人となり得る。

私が昭和六十年四月に帰省してからの数年が弊社の数量的なピークで、九十九%県内販売でありながら九千八百石の販売量であった。現在の数量の四.五倍。金額で三倍近かった。その後三十年で人口が半減し、今では人口四千六百人六十五才以上が四十一.二%の町になってしまった。最大数量の販売責任者を務めてくれた植田久三氏の葬儀が明日。私が子供の頃から九年前まで麹の要で頭を務め、品質改善に大きく貢献して頂いた高橋重美氏の葬儀は先月の末にあり、驚きと悲しみの中、共に背負ってきた時代を誇りと共に懐かしみ、過ぎ行く時を感じてしまう。

娘達の影響で最近購入したヘッドホンに昨今ハマっている。ノイズキャンセリング機能もあり、「声をかけたよ」と言う家内が隣で寝たことにも気付かず横を見てギョッとしたりと失笑ものだが、それほど集中して音楽を聴くなど何年ぶりの事だろう。

若い頃に聞いた曲達の言の葉が今でもとても新鮮に聞こえる。春・サクラと共鳴する歌のなんと多い事か!!

東京での桜の開花後一挙に東北も咲いてしまうかの勢いだったが、しばらく寒が戻り一休み。秋田でも一番開花が早い日本海沿岸南部では東京から一月遅れで桜が咲き始め、今週中には我が里も、それでも少し例年より早目ながら桜が咲くことになるであろう。

何時でも心にやさしく温かく元気づけてくれるもの。それに会うと故郷を感じられるもの。DNAを震わせるもの。その様なお酒で在りたいものだ。

精進します。

受け継ぐ

杜氏 一関 陽介

四月八日に甑倒しを迎え、今季の仕込みが無事に終了致しました。この文章を皆様がお読みになる時には皆造(搾りまですべて終える事)まで終えている頃と思います。今季の造りも色々ありましたが、蔵人全員大きな怪我や病気もせず、また、日頃よりご愛飲いただいている皆様方の期待に応えるべく最後の一本まで気を抜くことなく酒造りに向き合ってくれました。蔵人メンバーに対しては、「本当にありがとう、お疲れ様、来年もお願いします」という気持ちでいっぱいです。これから夏に向けて、生酒の発売も控えております。皆様には、そんな私達蔵人の日頃の努力の結晶にご注目いただければ幸いです。

さて、今季の造りを振り返ると、何と言っても釜場の大改修が一番の変化でした。使用しているものは大きく変わらなくても、機械の配置や人の動線が変わることによって、作業スタイルというのは変わります。酒屋にとって釜場は中心であり、何より出来上がった蒸米の良し悪しで麹・酒母・もろみに大きな影響を与える心臓部と言っても良いと思います。改修一年目ですので改善・対策すべきことが沢山見つかりましたが、非常に溶けやすかった今年の原料米を限定的な吸水と強力でクリーンな蒸気で締まりの良い蒸米に仕上がったのではないかと感じています。それでも、米が溶けやすいという状況から考えると貯蔵中のお酒の味や香りが変化するのが早いのではないかと心配しているところです。それでもどうにか良い状態でお酒をキープしたいと考え、土日も社員一丸交代制で火入れ作業に勤しんでいます。とにかくその努力が実を結び、皆様に満足いただける酒質になればと願うばかりです。

今季の仕込みを終えると同時に四十三年間釜場担当一筋の蔵人が退職することになりました。天寿の原料処理を支えてきたことは間違いありませんし、私からすると、釜場の作業以外にも蔵人の心構えや礼儀、酒造りの楽しい部分、大変な部分を私に教えてくださったように思います。

「作業は引き継ぐ、技は受け継ぐ」

作業の引継ぎはマニュアル化する事がとても大事です。しかしそれだけでなく、マニュアルでは表せない技や伝統を今後どう受け継ぐのかが「酒造り」には大切だと思います。「昔はこうだった」を理解した上で、今の自分達に必要な物を選択し、今の時代に沿ったものに変えていくことが「受け継ぐ」の本当の意味なのではないでしょうか。

ベテラン蔵人の退職で寂しさはもとより、抜ける穴の大きさを痛感しております。今季の反省もまだこれからなのですが、先人から続く伝統を受け継いで行くことが恩返しになり、それがお客様に伝わる酒に繋がるのだと信じて来季の酒造りに取り組もうと気持ちを新たにする、そんな春です。

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