銘酒鳥海山誕生秘話
代表取締役社長 大井建史
令和元年、弊社は鳥海山の登山口の町矢島に創業以来百九十年目を迎えた。江戸の藩政時代から矢島酒と称され、第二次世界大戦前には七件の造り酒屋があった。母なる鳥海山の清冽な伏流水を仕込水に地元の米を原料米とし、一九八三年に設立した契約栽培グループ「天寿酒米研究会」等のこだわりの中、この土地で出来る最高の酒を目指して代を重ねてきた。
私が社長を継いだのは一九九九年であったが、当時は焼酎ブームやワインブームで、日本酒の需要が手の打ちようも無い程の激減期であったが、色々思い惑いながらも造り酒屋とは何か?代を継ぐとは何か?を考え基本に戻る事が出来たと思う。
長い年月造り酒屋を続けてこられたのは、美味いと言って頂ける品質の酒を造り続け、さらにその時代・時代に合った革新を重ねる事が出来たからだと考える。
社長になる二年前から始めたのが今の純米大吟醸鳥海山の開発である。当時の大吟醸は一升瓶で五千円~一万円であったが、「一升瓶で三千円以下でどこまで良い酒を造れるか」と言う命題を掲げ、昔から良いとされる工程一つ一つを検証し、真に良い事であれば現代の技術や設備を用い更に前へ進めるという考え方で試行錯誤を繰り返した。予算には爪を立て設備投資には脂汗であったが、細やかに数多くの試験を重ね原料処理から瓶火入れ冷蔵貯蔵まで二十年以上に渡る技術と努力の積み重ねで出来た酒である。
最初にこだわったのは原料処理だ。私の言う原料処理とは、天寿酒米研究会での原料米育成・精米・洗米・浸漬・蒸米をして麹や醪部門に渡すまでを言う。洗米や蒸し上がりの目標水分とのブレは0.001%。これが絶対の基準であるため、ここが崩れると他の改善の良否があやふやになる。酒造りの全工程において改善出来るのは一つだけが前提で、きちんと検証しながら進めないと無駄な時間となってしまう。全工程の一か所でもぶれると比較する意味がなくなる。だからこそ、一つ一つ技術改善や精度を上げる事で酒質の向上が生まれる。
また、改善を進めていくと瓶火入れと冷蔵貯蔵が吟醸酒にはいかに大きな影響を与えるかがわかる。船舶コンテナ冷凍冷蔵庫一基から始まった冷蔵貯蔵庫は、コンテナ十一基大型の冷蔵倉庫が六棟、中型プレハブ冷蔵庫が三個と現在の天寿はさながら冷蔵倉庫会社の様相である。
農大花酵母との出会いも弊社の酒造りに大きな影響を与えた。農大醸造学科の恩師中田教授からお声をかけて頂いて花酵母の試験醸造に参加したが、明治の頃まではそれぞれの酒蔵の蔵付き酵母で醸されており、香りと酸の種類を司るのが酵母の為、当時は味・香りの幅が大きかった事が想像される。しかし、大正から昭和の初めに酒を腐造させる野生酵母が流行し、現在の協会7・9・10号酵母三種類を全国で使用するように成った為、味や香りの幅が極端に狭まった。その味わいの幅を広げるためにも、米の品種や精米歩合だけでなく、大変大きい影響のある清酒酵母の種類が増える事は大いに意義がある事だ。
私は農大花酵母研究会の初代会長を務めさせて頂いたこともあり、新酵母と相まって清酒を飲んだ事が無くても親しみやすい吟醸香を持ち、食事をしながら飲みやすくワイングラスでも味わいの広がる酸味ある純米吟醸酒を醸し上げる事が出来た。
お陰様で、開催の増えた日本酒コンテストでは、高級酒ひしめく純米大吟醸クラスの中で精米歩合五十%、価格も千五百円とコストパフォーマンスの良さを実現しながら、数々の賞を受賞する事が出来た。
今では弊社の基幹商品となった鳥海山シリーズ。これからも一歩ずつ、昨年より今年の味をと言える様不断の改善を続けて参ります。
夏の終わり
杜氏 一関 陽介
冬は酒造りに集中する私にとって、夏を如何に楽しむかというのが毎年の課題である。和太鼓が好きな私には、夏祭りのお囃子の音色や街の賑やかさに心を躍る時期でもある。
そんな夏も終わりに近づき、この時期の風物詩といえばやはり花火だろう。夜空を彩る華やかさと一瞬で消えてしまう儚さが何とも言えない切なさを演出する。限られた色の中で大きさや形に工夫を凝らし、演技構成で人々を魅了する。花火師の方々の気持ちを勝手に推察するに、想いを込めた一発が見る人にどのように映るのか。また職人として自分の技術を発揮する場面でもあるだけに、掲げてみないと分からない緊張感は想像を絶する。
一方、私達観客が花火大会前に気にする事といえば「誰と行くのか」「雨天中止にならなければ良いな」「酒とつまみは何にしよう」「場所取り」くらいではないだろうか。
何万人もの集客を誇る花火大会であれば、観客のシチュエーションはそれこそ千差万別である。その万人の期待に応えようと危険と隣り合わせでもある花火師の苦労は計り知れないが、観客に感動を届けられた時の達成感は限りない喜びであろうと推測する。
終わった後は「綺麗だったね」
「また来ようね」そんな言葉が聞こえてくる。最高の誉め言葉ではないだろうか。
自分の仕事に納得できる・できないはあるにしても、人の感動を呼ぶ事ができる職業は本当に素敵だと思う。夜空の花火を見ながら、私には何ができるのかと考えさせられたという話である。