変遷
代表取締役社長 大井建史
令和元年全国新酒鑑評会ではお陰様で昨年に続き、金賞をいただいた。金賞の総数では今年も福島県が最多受賞だったが、受賞率では秋田県が全国一位となり、皆で達成を喜んでいる。
毎年、全国の酒蔵がこの全国新酒鑑評会の金賞を目指して挑戦している。蔵人の先頭に立つのは杜氏であるが、大ベテランも、新人も等しく同じ土俵に上がり、これまでに培った知識や経験・チームワーク・体力・誇り、持てる全てを注ぎ込んで出品酒を創り上げる。
審査の基準や、時代の求める味わいの変化は常にある。それに合わせて行くのか、独自の信条を貫くのかは蔵ごとの考えだが、どの道を行こうと真剣に一丸となってその年の酒造り最大の山場へ挑むことは、杜氏、蔵人、ひいては蔵そのもののレベルの向上に繋がると私は信じている。
毎年もう一歩先のレベルへ挑戦する事を続けて行くこと・学んで行くことによって、酒蔵の各工程の精度や基準が確立され、部署ごと・蔵としてのプライドは確かなものとして磨かれて行くのだ。
六月二十二日に開催された日本酒造組合中央会主催『新酒鑑評会入賞酒一般公開・日本酒フェア』は、最も多くの酒蔵が全国から集まるイベントだ。私も弊社出品酒と他の入賞酒の傾向を確認するために唎酒をしてきたが、来場者が多く二時間半を費やしても全ては周りきれないほどだった。その中でも一時期より受賞酒のタイプの幅が広がっていることは強く感じられた。香りがありながらグルコース値の高い甘口の酒が多い中、辛口タイプや評価から弾かれる事の多かった酸のあるタイプも散見された。
今年、弊社が『令和』と題して記念発売した酒は、平成元年の金賞受賞酒を三十年冷蔵熟成した雫どり大吟醸だ。これは日本酒度+5度・酸度一.二のキレの良いやや淡麗な酒質。長期熟成により糖分がキレ良く変化したが、当時の評価基準と考えるとその違いが大変面白い。
平成元年の杜氏は四代前の中野恭一氏。山内杜氏の中でも高く評価された方で、大きな声は出さず淡々と指示を出し、自分も常に現場に入る率先垂範の人だった。帰ったばかりの若造の跡取り息子をもきちんとたて、話を真剣に聞いてくれる杜氏だった。
私の記憶では平成元年秋田県の金賞受賞はわずかに三社。山田錦も産地などは選べず、一または二等を僅かに確保。酵母は熊本九号が全盛で、秋田はAK-1が出る前の通常の協会九号酵母での挑戦だった。『中野おやじ』と呼ばれ「えじ、えじせ」(「あれ、あれしろ」)で何を指示されたか判らないと己の未熟さを恥じなければいけなかった。そんな蔵人たちのなぞなぞの様な連携が面白くて、いつまでも見ていた事が思い出される。
その時代からの最後の蔵人が、この造りで引退を迎えられた。急速に蔵人の年齢層が若返る中、天寿の蔵人気質をよく伝承してきてくださったと感謝している。引き留めたい気持ちもひとしおだが無理はいけない…。
新しい時代を切り開くには若い力が必須である。未だ秋田県最年少杜氏の一関も七造りを終えて安定感が出てきた。伝承されるものと挑戦して行くもの。『一関杜氏の育てたチーム』が形作られて行くのはこれからである。私共々、変化を成長に繋げて行きたいものである。
定番
杜氏 一関 陽介
定番という言葉は、元々ファッション業界で使用される用語で、長く商品番号が一定であることに由来するそうだ。流行や情勢に関わらず安定した売り上げを確保できる商品の事で、いつもそこにある「お決まりのもの」と言ったところか。今自分達の商品でそれにあたるものは当然すぐに頭に浮かぶ。
昔の話になるが、今から約四十年前、昭和五十年代前半が弊社出荷量のピークで全出荷数量の約九割が二級酒(現:普通酒)だった。紛れもなくそれが当時の看板商品。そしてその頃から徐々に普通酒の出荷量が減り始めていったようだ。
そして私が入社した約十五年前でも普通酒の売り上げが今の三倍で全出荷数量の七割を占めていた。だが、平成二十年代に入ると、一気に特定名称酒の台頭と商品の多様化が勢いを増した。普通酒を追い抜く勢いで純米吟醸・純米酒の定番化が一気に進んだように思える。
その原因をすべて時代の流れ(ブーム)と言ってしまえば簡単なのであるが、食文化や生活スタイルの変化が要因ではないかと私は思う。職場や友人との宴会が少なくなり、飲みニケーションは希薄になる反面、酒歴を見ながら利き酒したり、料理に合わせるなど今日飲むお酒を考えて選ぶ事を個々で楽しむようになった。そして前号でも触れたように、欲しい情報はすぐ手に入る時代になり、通販はもとより商品が手に入るとなれば、お客様自ら酒蔵へ足を運んで購入されるようになっている。弊社にも蔵見学を希望される方や商品を求めて全国からお客様がいらっしゃるようにもなった。また試飲会や日本酒イベント等にも足を運んでいただけるようにもなった。とてもありがたいことである。
時代はお客様に求められる時代へ突入したのだ。飲み手側が変われば造り手側も変わらなければいけない。
昭和から平成にかけて弊社では原料米は天寿酒米研究会を中心として全量契約栽培米にこだわり続け、農大花酵母の使用や生酛造りの復活まで様々な技術革新があった。そして最新の醸造機器の導入と先輩杜氏・蔵人が研鑽を積み、努力があったからこそ、現在の酒質と商品構成があることを忘れてはいけない。
さて、ここで「定番」を考える。
昔から受け継がれる蔵の伝統が詰まる商品や製造技術の向上で躍進してきた商品など、会社の核となる商品は「天寿の定番」として守り続けなければならない。
しかし、四十年前とは違い、「お客様の求める定番」が分散化し「お決まりのもの」を定めるのは少々困難な時代になったと感じる。七年前、私が杜氏に就任した際に定番商品の品質を安定・向上させる事を自分の目標とした。これからもその目標に変更はないが、「天寿」をお客様の定番にしていただけるような品質を目指すのが今後の目標である。