令和へ
代表取締役社長 大井建史
いよいよ令和と言う新時代を迎える。昭和三十四年に生まれた私は昭和・平成・令和の時代を生きることとなった。私の祖父の五代目が明治・大正・昭和と生き抜いて、私などからは「明治生まれか~!」と感嘆符が付く位お年寄りに思っていたが、正に当事者となった今、私は突然老人になった気持ちはさらさらない。
平成のこの三十年は私の人生の丁度半分であり、結婚・子育て・社会人としての仕事・JC・会社役員としての試練等々最も濃い時間を過ごした時代でもあった。
平成元年は秋田県酒造組合青年部である醸友会で企画した「酒ライブ」の実行委員長で、柳ジョージとレイニーウッドをゲストに迎えてのイベントを行うはずだったが、寸前で「大喪の礼」となり一瞬茫然としたが、思った程の混乱もなく返金が終了しホッとした記憶がある。(翌年リベンジで実行し大盛況でした)
また、この年は父六代目と同い年の故中野恭一杜氏の最後の金賞受賞年でもあった。この頃はYK35の真っ盛りで協会十号九号酵母の併用から九号一本に絞ったばかりの頃だ。今では考えられないがその年は全国の金賞は秋田では三社のみ、しかし、天寿ではこの年は成績抜群で全国新酒鑑評会金賞・東北清酒鑑評会金賞・秋田県清酒鑑評会金賞知事賞の三冠を達成した。図らずも丁度この年次女が生まれたので、紹興酒の華彫酒と同様に健やかな成長を願い、その年の出品酒は冷蔵庫に取って置く事にしたのだった。
この度の生前譲位と言うご英断のお陰で、同じ学年である新天皇陛下がご即位され、ご慶事が執り行われることは誠におめでたい事と存じます。
このご慶事を記念して、貯蔵していた平成元年の出品酒七二〇㎖ 百本を限定で発売する事ととした。
出品酒とは、全国新酒鑑評会に蔵元の名誉をかけ、その品質を世に問う大吟醸酒のこと。吊り下げた酒袋から滴り落ちる雫一滴一滴を集めた鑑評会出品酒は、厳選した酒造好適米を極限まで磨き上げ、麗峰鳥海山の万年雪を精とする清冽な仕込み水を用い、伝承の技を受け継ぐ杜氏と蔵人が、そのもてるすべてをかけて醸し上げた入魂の逸品。低温では軽快で辛口のシェリー酒の様な香味に感じるが、少し手でグラスを温めると甘みは少ないが、三十年の低温熟成によるレーズンの様な香りと上品なまろやかさが広がって来る。
新天皇の御即位にあたり、平成の時がもたらした上質で円熟した深い味わいを、次代へ想いを寄せるこの時に、是非ご体感いただきたいと願っている。
新時代へ
杜氏 一関 陽介
約三十年前、小渕恵三官房長官(当時)が平成の文字の入った額を持ってブラウン管に映っていたのをハッキリと覚えている。
当時私は父親が転勤族であった為、仙台市に住んでおり小学一年生。子供目線で言えば、「ゲームボーイ・テトリス、魔女の宅急便」などが流行った年である。
あれから三十年。様々な物が進化を遂げ、生活は著しく便利になった。ファーストフード・コンビニは二十四時間営業、スマホがあれば、ワンクリックで欲しい商品が届き、また映画や音楽は配信で事足り、支払いまでできる。そして、SNS等による巨大な情報に埋もれて生きている自分がいる。このような時代になる事を想像できた人はどれくらいいるのだろう。
そして私自身が「今ここにいること」を想像していただろうか。
そもそも酒造りに携わる事も間違いなく想像もしていなかっただろう。とはいえ、小学生の頃、近所のスーパーの搬入口においてあた日本酒や焼酎の空瓶についていたキャップをお店からいただいて集めていたことがあった。今と変わらず色鮮やかで社名やロゴが入っているのが好きで集めていた。駒のように廻すのが好きで、廻すとさらにキレイなのである。ハッキリ言って酒造りとは関係ないが今思えば興味があったのかもしれない。
キャプテン翼が好きだから「サッカー選手」になりたいとか、音楽が得意で和太鼓を習っていたので音大に行って「打楽器奏者」になりたいとかいろんな夢を持ったものだが、現在は「杜氏」である。夢は思い続ければ叶うとは良く言うが、夢が叶う人は思うのと同時に「今できる事」に一生懸命に生きてきた人なのだろう。だから「なりたい」という願望だけでは何にもなれないのだろう。
最初に戻るが、こんなに便利な時代になったのは、そういう時代にするという強い思いで尽力してきた方々が必ずいるのである。そして誰かの為に役に立つと信じて行動した結果なのだと思う。
私の幼い頃の夢は叶わなかったが、お世話になった方や一緒にいてくれる家族や仲間がいること、そして天寿の日本酒を待っていてくれるお客様がいるからこそ、今ここにいることを選択し、酒造りができていることを忘れてはいけない。そして、「今自分にしかできないことを誰かの為にひたすらやる」、それが私の令和時代の目標である。