年齢確認

このサイトはお酒に関する内容が含まれています。
20歳未満の方への酒類の販売は行っておりません。

あなたは20歳以上ですか?

蔵元通信

日頃お世話になっている皆様に、私ども天寿酒造が何を考え・守り・求め・挑戦しているのか、その思いをお伝えしご理解いただくために、「蔵元通信」を発行しています。
お酒はどのような狙いで造られたものなのか、季節や旬の食べ物に合うお酒、また飲み方、そして鳥海山の登山口であるこの矢島町の様子などをお届けいたします。

百三十回目の酒造り
2003-11-01

百三十回目の酒造り

代表取締役社長 大井建史

お蔭様で天寿は創業百三十年を迎えました。ここに改めて、日頃のご愛顧に心より感謝申し上げます。130回目となる酒造りは、10月20日に蔵人も全員入蔵し、25日から蒸しを行い、12月16日にはしぼりたて生酒を発売できる予定です。

今年の設備の改造は、限定吸水洗米の改善・洗米分離機の交換・蒸米放冷機の改造・精米設備の改善等々を設備の保全と共に行いました。張り切ってその効果を試したいところですが、春に立てた計画が業者の都合で遅れに遅れ、蔵人と業者が入り乱れ、てんやわんやの状態です。

心配されていた原料米ですが、東北の中では秋田県が一番良好で、天寿酒米研究会の美山錦は1割収量が減りましたが米の状態はかなり良いので、胸をなでおろしております。また、期待の新酒造好適米「秋田酒こまち」もやや胴割れがあるものの良好な状態ですのでご期待ください。

清酒の不振は何時まで?

皆様もご存知のように、現在空前の本格焼酎ブームです。居酒屋でもメニューの順番が清酒の前に書かれるようになりました。私が社会人になった22年前に第一次の焼酎(チューハイ)ブームが始まり、ヨーロッパやアメリカで空前のホワイトレボリューション(ホワイトリカー革命)真最中で、醸造酒の時代は終わったと言われた頃でした。確かに本格焼酎の蒸留器の進歩は目覚しく、品質の向上が図られ、清酒より小さい手造り蔵から大企業までハズレが少ないと思います。もちろん醸造酒のようにエキス分がないので二日酔いの可能性は少し低いと思いますが、報道での「体に良い…」は少し過剰反応だと思うのですが…

その後、ワインブームが有りましたように、必ず振り子は反対に振れる時が来ます。その時に我々清酒が、どれだけキチンと対応できるか、それまでどれだけの事をして置けるかだと思います。

もっと判りやすく 今流行りのダイニング系居酒屋チェーンを含め、かなりのお酒をそろえてあるお店が増えました。見事に食のトレンド雑誌に載っているものばかりでは有りますが、結構な事だと思います。しかし、メニューが我々の年代以上の人間が昔見せられ、恥をかきそうで当惑したワインメニューの様に見えるのですが…清酒に対しては、まだまだ判りやすい説明や解説の無い所が多いですね。

美味しく飲める様に 前にも書かせて頂きましたが、お酒の味わいは温度や器によって大きく変わります。お料理やその器には随分気を使いながら、お酒になると無頓着な人やお店の多いことに驚くと共に、我々酒蔵の責任を痛感いたします。又「我家は冷蔵庫に入れてます」だけで十分な事だとお考えの方が実に多いのです。凍えてしまっていたり、熱を出してしまったような可哀想なお酒を是非救ってやって頂きたいと思います。一本の酒ですが、美味しさ探しをしてやり、本当に美味しく飲んでやってこそ、そのお酒も本望だと思います。

かっこよく飲みましょう グラスを枡や受皿に載せこぼす注ぎ方をするお店がよくあります。若い人たちには珍しいのみ方なのかもしれません。しかし、ご存知の方も多いと思いますが、昔の立ち飲み屋さんの注ぎ方ですよね(零した分はサービスで)。立派な客単価のお店でも、口を持っていき啜りながら受皿からグラスに酒を戻し…。是非ご検討頂きたい事だと思います。酒は正一合で出すのが当たり前なのでしょうか?私などは飲み比べる場合一合は多過ぎます。80 ml位の少量で安い方が有り難いのですが…。それなりのお店では、それなりの酒があり、それなりの器で、粋にやりたいですね。

書き始めると切りが無いのですが、日本酒が「当たり前」の物から「これこそ」の酒に成る様に、節目となるこの年、変わらぬ心意気に新たな気持ちを込め、これからも挑戦し続けて参ります。

130周年を迎える 天寿の歴史(弐)

与四郎 三代目相続

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

西南戦争も一段落を遂げ世の中も落ち着きを見せてきた頃、明治十一年二月、矢島町の酒造業者達が、当時としては画期的な組織、今日で言う酒造組合に当る「酒造稼年行事組合」を設立している。矢島には当時六軒の蔵元があり、年行事(組合長)は武田佐喜蔵、後に四代目に嫁を貰うことになる蔵元の当主だった。

この年は「製酒醸造増石願」や、「酒価相場書上げ」など売り上げ増や値上げにつながる書類の申請が多く見られる。因みに五月の「上酒売出石代届」によると小売平均一石代金五円二十五銭三厘、製造見込みは百三十石に増えている。“矢島酒” “永吉酒”として評判も良く(当時の銘柄は玉の井であった。)八月には「酒類行商御鑑札御下付願」を申請、積極的に近隣の村々にも売り込みに乗り出している。そして二代目が清酒創業五年間に投入した新時代の酒造経営の基盤を受けて、明治十二年八月長男与四郎は三代目を相続した。時に二十六歳、既に二男一女の親であった。

与四郎は二代目永吉にも増して酒造業に専念した。女房のノブは岩城藩の城下町亀田の士族松村家に生まれ、若くして最初の妻を失った与四郎の二度目の妻となった人。夫唱婦随、夫が製造した糀を糀箱に詰め込んで、それを担いで隣村にまで行商に出たという。糀を升で量り売りするときの量り方がうまく“おまけ”が多いように見えてお客さんに人気があったという。気丈で負けず嫌いでもあったか、「お客さんのほっぺたを殴っても売れるものを造れ」と言っていたことは、技術と自信に裏づけされたポリシーであり、天寿に今も語り伝えられている。先妻の子も含め四男二女を育てながら家業に尽くした内助の功は、我が家の歴史に特筆されるものである。

企業としての発展の歴史の中で大書すべきは、本荘市(当時は本荘町)に販売の支店を開設したことだろう。残念ながら年月の記録は無いが、明治十五年生まれの弟国冶が責任者として赴き一家を構えている事から、開設は明治三十年代後半と思量される。国冶は大変信仰心篤く仏教の信者で寺社への寄進や、いろいろな集まりの世話役、公共の事に熱心な人だった。又、歌俳諧を能くし、座配(行儀作法)の道にも通じていた人で、人脈も広く商売のほうもその繋がりで広がっていった。天寿が現在でも本荘市を一番の市場としているのは、当時の伸展が基盤となっているからで、三代目の卓見と、国冶の功績はまことに偉大であった。(大井家に保存されている古文書を参考資料とした)

創業百三十年にあたり
2003-09-01

創業百三十年にあたり

代表取締役社長 大井建史

明治七年九月十日創業の弊社は、お蔭様で今年百三十年目を迎えました。

ここに改めて、永年のご愛顧に心から感謝申し上げます。

相変わらず現況は大変厳しく、私も社長就任以来色々な改革を行って参りましたが、まだまだ世の中の激変を追い越すほどの変革には、残念ながら至っておりません。

しかし、考えてみますと、創業は戊辰戦争後早々であり、矢島は戦争で焼かれ大変な状況だったはずですし、その後の世界恐慌や第二次世界大戦等を経ても、たくましく生き延びて来た訳です。私の聞く所によると、六代目永吉の兄は大変優秀な人だった様ですが、召集された戦車隊で少尉となり、最初の赴任地のフィリピンで戦死。同年の次代番頭と言われた人も海軍に召集され戦艦大和と共に沈んだそうです。社員にも満州で毒ガスにやられた近衛軍曹や、抑留後にやっと帰り着いたら妻が弟に嫁ぎ居場所の無くなってしまった人等、様々な苦難を乗り越えてきた人たちに支えられて来たからこそ、今現在がある訳です。

そんな世代の人たちに昔話を尋ねると、猫汁を作って食べようとしたら五代目が入って来て、真相を告げられず冷汗をかきながら食べさせた話や、釜場の排水場所での鴨釣り?、天寿が一番にならないと終わらない利き酒等、意外にも腹を抱えてしまうような笑い話が多いのです。

ですから、今を引き継いだ我々も、厳しい現状の中で一生懸命頑張りながらも、その大変さを笑い飛ばしながら、又、楽しみながら、皆様と共に歩んで行きたいと強く思います。

この所の設備の改善や更新は、大変厳しい現況のもと、さらにこの夏も洗米・放冷等の改善を行い、これでほぼ当初の目標をクリアできるものになりました。

さあ、百三十回目の酒造りが十月から始まります。東北の米の状態は大変心配されますが、秋田県南部はまずまずの様です。気持ちも新たに節目の年にふさわしい、定番商品の革新になるような酒造りを、はりきって行なって参ります。

皆様のご声援を、よろしくお願い申し上げます。

130周年を迎える 天寿の歴史

創成期―初代・ニ代

代表取締役会長

六代目 大井 永吉

文政十三年(天保一年、1830年 )初代永吉は、本家五代目大井直之助光曙時代に分家され、羽後国由利郡城内村八森下に居を構えて以来、天保時代には糀や濁酒製造を生業としていた。本家は矢島藩(生駒家)御用達の酒屋であったが、自分も清酒製造業をとの意欲を持っていた様である。

初代には娘はいたが、家業を継ぐ男子が無く、世継ぎとして羽後国雄勝郡西馬音内村の佐藤平治の三男正助を婿養子に迎えた。正助は文政十一年(1827年)三月七日の生まれ、大井家に婿入りしたときは二十二歳(嘉永二年、1849年)だった。正助はなかなかの交際家で矢島藩の家老格の佐藤三平に出入りを許され、八森城のお堀から水を直接蔵へ引いて米洗いに使用する等、政治的にも手腕のある人だった。

この入れ水は大きな水槽(キチといった)に引かれ、その後も水のきれいな冬季だけ雑用水として使われたが、水質の悪化と水道の普及で廃止される昭和三十年頃まで役立っていたのである。

下田沖に黒船が来航し国中が尊皇攘夷で涌きかえったころ、正助は二代目永吉を襲名し静かに時の至るのを待ち受けていた。そして明治のご維新を迎え、世の中の諸制度が新政府によって新しく生まれ変わった。

二代目永吉はここで清酒業に打ち込む決心を固め、明治七年八月十三日、時の秋田県権令国司仙吉宛「清酒醸造願」を申請したのである。これが直ちに聞き届けられ、九月十日、秋田県権令代理秋田県参事加藤祖一から、鑑札を下げ渡すから免許料金十円也を上納せよとの通達を受けている。これが九月十日を我が社の創業記念日としている所以である。

二代目は新事業を興した人だけに仕事に卒がなく、清酒醸造願を出すと同時に「濁酒醸造廃業願」を提出し、その認可が九月十二日となっている。

最初の年の造りは、清酒醸造元石御届書(今日の生産計画書)によれば三十石そして仕込んだ桶は四本、「醸造調べ」の届けでは、此生酒弐拾六石六斗六合だった。

その後売れ行きが順調で事業もどうやら軌道にのったと見えて、明治八年の実績は八十石となり、十一年には酒類行商鑑札を請けて売り上げを伸ばしていった。

二代目は初代の清酒製造創業の夢を実現し、大きく家運を挙げ大井家の基礎を築いた偉大な先祖であった。

明治十二年に長男与四郎に三代目を継がせ隠居、七十二歳で没した。

金賞を受賞しました
2003-07-01

金賞を受賞しました

代表取締役社長 大井建史

お陰様で、本年度全国新酒鑑評会で金賞を受賞いたしました。

これまでもお伝えして参りましたが、若い新杜氏の下で、酒造りの工程を一つひとつ見直し、良かれと思う方向に改善して参りました。杜氏も勇気のいる事でしたし、蔵人も創意と工夫を発揮し、大変良い雰囲気で推移しておりましたが、この様な良い結果を得る事が出来、一同励みがついたところです。

もちろん、これで全てが良かったと言うことでは有りませんし、方向が間違いなかったという結論を得た訳でもありません。しかし、弊社の鑑評会出品酒はブレンドを致しませんので、模索の中で一つの光が差してきた事には間違いないと思います。

これも一重に、皆様方に暖かく見守って頂いたお陰と、心から感謝申し上げます。

農大花酵母研究会

6月12日に農大花酵母研究会の設立総会と発表試飲会が行われ、私が初代会長に就任いたしました。これまでも、弊社の商品を通じてご案内して参りましたが、この酵母は東京農大短期大学部酒類学研究室の中田久保教授が、長年の研究の結果自然界から新しい清酒酵母の分離方法を確立され、優良清酒酵母を次々と分離しております。花から酵母を分離しているのは、花の蜜に糖分があるため酵母が集まりやすいからです。(果物にはワイン酵母が多いようですが)花酵母と言うと花の香や特徴があるように聞こえ、色物的な印象を持つ方もあるようですが、そのような事は全く無いのです。これまで、個性化をより促進する為、各県の工業試験場等で精力的に開発された新酵母には、既存の酵母の変異種が多いのですが、中田先生の酵母は天然の新種の清酒酵母なのです。

昔は、家付き酵母と言われる蔵の中にいる酵母が生モト酒母に自然に落ちてくるのを醗酵させましたが、野生酵母も多く、大正時代に腐造が大発生し、沢山の酒蔵が倒産しました。これの防止策として優良蔵から優良酵母を純粋分離したものが、現在の協会酵母です。これにより、野生酵母の繁殖を防止し腐造を防げ大変大きな成果をあげましたが、少数の酵母を広く全国で使用するようになり、個性が弱くなった一因とも考えられます。

酵母は、アルコール発酵の主役の微生物ですが、清酒では特に酸の生成に大きく寄与し、その性質が清酒の個性を形成する微生物なのです。中田先生は、「非常に大変な時代だが、まずお前たちが造り酒屋としてがんばれ!」と教え子たちにのみご好意で酵母を無料で分けてくれました。これまでの配布酵母とは違った味・香を持つ天然酵母ですので、使いこなすまでにはまだ時間がかかるかも知れませんが、先生のご好意を最大限に有効活用させて頂く為、研究会を立ち上げ会員全体の品質向上を図り、他の酒類と比べても負けない、個性のある高品質の清酒を醸していきたいと思います。

おかげさまで平成15年度全国新酒鑑評会金賞受賞 蔵の歴史

来期に向けて

杜氏 佐藤俊二

間もなく平成14酒造年度が終了します。一般的によく用いられる暦年(1月12月)や会計年度(4月〜翌年3月)を用いると造りの途中で年度が変わってしまう不具合が生じるため、酒造業界では7月〜翌年6月を酒造年度として使用しています。

本酒造年度も押し迫った5月、多くの蔵元が今年度の出来映えの確認と、その技術向上を目指して製造技術研究会(いわゆる全国の一般公開 於 広島県)へ集まりました。きき酒により自社の酒質の現状と動向を掴み、来期へ向けて新たな設計図を描く為に不可欠な事です。本年度の造りに関しては、蒸し米のグレードアップによる酒質向上が目標でした。品質向上の鍵は原点に立ち返り、基本を磨くことと位置づけたからです。狙いは成功でした。これまでの「天寿」の味わいに透明感が加わったと確信しました。

この事を実現するために蔵の中では各工程の担当者が総力を注ぎました。例えば、割れにくい精米方法への取り組み、新たな浸漬方法への挑戦、蒸し方法の変更、新しい蒸し米冷却方法の発見等、数多くの事例が挙げられます。しかし、これらの成功には蔵人同士の職責をこえた自由な意見の応酬がありました。そしてこの中から湧き出たアイデアをすぐ「へばやるべ!」※1と実行したのでした。皆造(かいぞう)※2の日、社長と蔵人全員で課題を持って造った新酒をきき酒し、酒質の確認を行った上で今年の反省会を行いました。反省会は社長の前で今年の取り組みを説明、検証する場でも有りますから少なからぬ緊張感が走ります。

説明後、社長から「各担当者の努力はもとより、一つの目的に対して蔵人全員が一丸となって取り組んだことが好結果を引き出したと思われる。」と講評があり、今年の取り組みに対して蔵人一同に社長賞を頂きました。そして今回さらに「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞出来たことを蔵人全員が喜んでいます。

大吟醸酒に限らず、一つひとつ今の「天寿の思い」を込めて醸しあげました。けれども我々蔵人にとって重要なことは、この今年の「天寿の思い」をお客様に味わって頂き、その声を来期の造りに反映させることなのです。出来上がった酒が天寿らしい質を持ち、それがお客様と共感できる味わいであることが何より素晴らしいことであり、天寿の目指している事なのです。蔵は今年の造りを終え、しばしの眠りについていますが、お客様からの生の声を率直に受け入れ、来期はより精度を高めた造りを実現したいと思っています。

※1「それじゃやってみよう」の意

※2酒造りが全て終わる事の意

今、桜が満開です
2003-05-01

今、桜が満開です

代表取締役社長 大井建史

鳥海山の麓、矢島町もようやく杉花粉が終わり、桜が満開になりました。四月七日には皆造(仕込みや搾りが全部終わる事)となり、蔵内では後片付けや機械器具のメンテナンス、火入れ作業が忙しく続けられております。今日は鳥海山の五合目から雪を運び、雪室の補修・化粧直しをしました。25日には蔵人が長い造りを全て終え家路につく予定です。

二月から四月にかけて、多くの新酒を楽しむ会がもようされ、私も参加させていただきましたが、新酒に対するご評価も色々と頂いており、いよいよ身の引き締まる思いがしております。天寿も然ることながら、すばらしいお酒が世の中にはたくさんある事に、今更ながら、さらなる向上心を掻き立てております。

そんな会のなかで、お酒の楽しみ方の話になりました。

お酒の楽しみ方…

①「私は日本酒に興味を持って日が浅いので、飲み比べの仕方がわからない」という方へ。

こんなにたくさんお酒があるのに、飲み比べで楽しまない手はありません。お酒を言葉で表現すると言う事は後回し。まず自分の好きなお酒を一つ準備します。最初はそれを基準にして他の酒と飲み比べましょう。それによって似たタイプのお酒でも違いが良くわかります。出来れば吟醸タイプに一つ、純米・本醸造タイプに一つの羅針盤になるお酒がほしいですね。天寿は食事の時にいろんな料理がある中で、必ず毎日食べられる「ご飯」のようなお酒になりたいと思っています。

②いつも冷蔵庫の温度でお酒を飲んでる方へ

なんてもったいない事でしょう。もちろん駄目だとは申しませんが、冷蔵庫は保存には良いのですが、810度では味や香りが広がりません。冷たすぎや熱すぎは厚化粧と同じで、本当の所が見えなくなります。(それが良い場合もあるでしょうが?)私は15度位から上だと思います。温度にちょっと気をつけると、一つのお酒で何種類ものおいしさが楽しめますよ。

③いつも酒屋さんでもらったビールのコップで飲まれる方へ

私は、20年前に帰ってきた時、某酒蔵の社長に「これ、どっちが良いかな」と、落としても割れないような厚いぐい飲みと、白磁の薄い盃のお酒を見せられました。「まったく…」と、少し緊張してききましたが、あっさりと確信を持って白磁の方を選びました。「同じ酒だよ」とうれしそうに言われてその時は「コンチキ…」と思いながらも、器による味の違いに、いたく感心した記憶が鮮明にあります。(基本的に薄い物が美味しく頂けます。)今は深く感謝しながら、うれしそうに「どっちが…」とやっている、いやな親父の自分を時々発見します。ですからリーデルの大吟醸グラスの開発に携わるのもすごく面白かった訳です。胴のふくらみや口にあたる角度の違いで、こんなに?と思うほど味や香りの感じ方が変るのです。吟醸用や吟香のない酒用・燗酒用と用途に合わせて、是非ご自分の「これで飲んだら美味しいグラス・盃」を見つけてください。

お得意様の声

頑張れ天寿!!

東急東横店 和洋酒 岡野高幸

『日本酒が売れない!売れてない!』と言う声を皆様よく耳にすると思いますが、そんな事は決してありません。少なくとも東急東横店フードショウ日本酒売場については過去五年間毎年10%以上の伸び率で売上を拡大してきました。日本酒不況の中、なぜ渋谷の東横店だけが日本酒の売上が伸びているのか?場所がいいのか?立地条件はどこの百貨店もいいはずです。では何だ?大きなポイントは二つ。一つは『魅力、商品力』、もう一つは『売る人、造る人の情熱』です。これは全ての小売業に言える事だと思います。

今、雑誌等で紹介されている日本酒だけが注目されがちな傾向があります。

これらの日本酒全てが商品力、魅力を備えていると言えるでしょうか?一部の人が評価する酒が本当にいい酒なのでしょうか?評論家の方々の意見は確かに重要かもしれませんが、日本酒の需要を支えているのは一般消費者なのだと言う事を忘れてはなりません。

3月に当店で試飲販売会を行いましたが、初回でありながら好成績を収めることが出来て安心致しました。特に純米吟醸「鳥海山」無濾過生原酒については非常に評判が良く、女性をはじめ若い客層に人気が有りました。ある飲食店の方が試飲されて気に入れられてその後、取引を開始した実績もあります。

大井社長をはじめ従業員皆様の酒に対する情熱がこの様な結果をもたらしたと思います。

蔵人の魂が酒に映し出されます。ですから人柄がよくなければいい酒は出来ません。

私の持論ではありますが、水の豊富な地域に住む方々は総じて人柄がいい人が多いと思います。天寿の近くには水が豊富にあります。天寿の酒はうまい、蔵の酒造りに対する姿勢もいい。

6月9日12日には「父の日」をターゲットとした試飲販売会、7月3日〜9日は御中元ギフトとしての試飲販売会を実施致しますので是非お立ち寄り下さい。日本酒好きのお父さん達に『天寿』をプレゼントすればきっと素敵な笑顔を見せてくれるでしょう!

聞こえますか?
2003-03-01

聞こえますか?

酒蔵の思い

代表取締役社長 大井建史

今年の甑こしき倒し(蒸米の終了=仕込みの終了)は三月十四日です。お蔭様でここまで様々な新しい取り組みをしながらも無事に過ごす事が出来ました。今年の最重点の取り組みは、麹の造り方を原点に帰ってやり直した事です。結果は上々で、酵素力価も予想以上で良い酒となり、呑み切りの結果を楽しみにしているところです。更に、新しい仕込みの純米と本醸造を仕上げましたので、どうぞご期待下さい。

この造り期間中にも、同業者・流通業・飲食業・一般と沢山の方々が酒蔵の見学に来られました。私共も天寿の酒造りをご理解頂く為、心を込めて説明させて頂きました。その中で気になりましたのが、ベルトコンベアーやホースを見て「随分機械化されてますね」とおっしゃる一般の方が、意外に多かった事です。良く聞いてみますと「手造りの酒屋」のイメージは藍染めの半天と前掛けをした蔵人が、甑から蒸米を掘り出し、その蒸米を木桶に入れ、肩に担いで走って運ばなければならない様です。大手のメーカーがイメージ戦略でお使いの映像を、小さい酒蔵の手造りイメージにされるのは尤もの事とは思いますが、すべて自動化され、プログラムとセンサーにまかせきりで醸造し、搾られるのでは無いのです。機械のセンサー任せになったら造り酒屋はそれで終わりだと私は思います。今、手造りの最も重要な事は職人が目で見、香りを嗅ぎ、手で触り、口で味わう等の五感(センサー)を十分に働かせる事なのです。

それが肉体労働で疲れ果て、一本一本の酒母やもろみの状態を見る事がおろそかになる様ではとんでもありませんし、蔵人の労働環境としても良くありません(毎日2トンの蒸米を掘ったり、その蒸米を30キロ位に小分けにして肩に担いで何回も運ぶ事が貴方の毎日の仕事だとしたらどうですか?物を上げたり下げたり運んだりの肉体労働は、出来るだけ機械化して行く努力をするのも蔵元の仕事だと私は考えております。)

町の河川工事の為に弊社には土蔵が残っておらず、古さはありませんが、蔵にご訪問頂いた際に少し耳を澄ませてくだされば、天寿の酒蔵の「思い」をお伝え出来るものと思います。

そんな私共の「思い」をお伝えし、皆様に天寿の酒蔵にさらに親しみを感じて頂きたく、今年も二月九日に酒蔵開放をさせて頂きました。お蔭様で一,三〇〇名を超えるお客様をお迎えする事が出来ました。ご参加頂きました皆様に心から御礼申し上げます。又、今年は更に多くのボランティアの皆様にご協力頂きました。本当にありがとうございました。

しかし、反省点が多々ありました。事前にお申し込み頂いたのは三〇〇名弱で人数の予測が付けられず、更にお昼直前にお客様が集中した為、蔵内が満員状態になり、ご案内した食べ物も昨年より随分増やしましたがすべて品切れしてしまいました。楽しみにして来て頂いたお客様には、誠に申し訳なくお詫び申し上げます。冬場の事で外も使えず、限られたスペースと人数での運営ですので、今後の解決策に苦慮しているところでございます。社員一同、皆様からのアドバイスを切望しております。是非ご意見をお寄せ下さい。

蔵のページ

精米師(こめや)から釜師(かまや)へ

精米によって磨かれた白米は通常2週間程、紙袋に入れたまま白米置き場で静置されます。これは、精米工程で摩擦熱により米粒の品温が上昇し水分が蒸散され、表層部と内部に水分含量のムラが生じる為、品温を下げ、米粒内の水分が均衡するまで待つのが目的です。(この事を白米の枯らしと呼んでいます)枯らしを行わずに水洗いをすると表層側が過吸水し、白米が割れてしまい軟弱な蒸し米になってしまいます。これは通常我々が食する飯米にもあてはまります。巷では新米、擦きたてのお米が美味しいとされていますが、軟らかすぎて炊き方が難しいと思った経験はありませんか?

そして、適度に枯らした白米が精米師から釜師へと引き継がれます。

釜場は白米を酒造りに適した蒸し米に仕上げる場所であり、蔵の仕事の中心です。ここでの責任者が釜師(かまや)です。

酒造りの極意として、「一、麹、二、もと(酒母)三、造り」という言葉が有名ですが、高名な杜氏さん達が揃って口にする極意は「一、蒸し、二、蒸し、三、蒸し」という言葉です。前述の極意を達成するためには何を於いても良い蒸し米を得ることが絶対条件である事を指しています。

釜師は最良の蒸し米を得る為、手早く米粒に付着した糠分を洗い取り、どの位白米に吸水させるかを推し量ります。酒造好適米程、又、高度に精米される程、吸水し易く、浸漬時間が短縮されます。特に大吟醸用の白米を洗米するときは秒単位での処理となります。そして、仕込一本の原料米は非常に高価なので、毎回が失敗の出来ない真剣勝負となるのです。

こうして適度に吸水させた白米を蒸し上げ、出来映えを手で握り、或いは指で押し伸ばしながら、蒸し米の弾力や米粒が均一に広がり粒が残らないように確認し、わずかな差違を見きわめ、翌日の蒸し米へとフィードバックされるのです。

製造課 佐藤俊二

蔵人の紹介

(かまや)

釜師 佐藤 直千代(さとう なおちよ)

昭和22年生 昭和53年入蔵以来一貫して釜を担当。掘り出した蒸し米で「ヒネリモチ」を造り、出来具合を確かめ、微妙な硬軟を見分ける。

酒造技能士一級 矢島町

入蔵前、航空自衛隊に所属。特技の卓球は航空自衛隊千歳大会で優勝する程の腕前。蔵での機敏な動作はこの時に培われたと思われる。出身は隣町の由利町であるが柔和な性格を見初められ佐藤家に婿入り。この事が天寿酒造入社のきっかけになる。

釜師のコメント

酒造りは一つひとつの行程が最高の状態で次行程へと渡す事が出来るようにする事が重要だ。常に次の人が最善を尽くせる様に思いやる酒造りはチームワークに尽きる。

今、桜が満開です(編集中)
2003-03-01

今、桜が満開です

代表取締役社長 大井建史

2月15日の酒蔵開放には、お陰様で一,二〇〇名を超える方々にご参加いただきました。本当にありがとうございました。

少しづつではありますが、新企画や改善を行っているつもりですが、如何でしたでしょうか。中には「もっとジックリ酒造りを見てみたい・やってみたい」「一部の体験だけではなく、全工程の体験をしてみたい」などのご意見もあるようです。天寿だけの企画では人数を集める事が難しいですが、熱いご要望があるのでしたら、三十人位の「じっくり酒蔵見学・きき酒懇親会付」とか「酒仕込みを自分たちで行って飲む会」などできるのですが…。(そうすると二十人集まれば一人一・八リットルで約40本?ちょっと多いかな?でも、しぼりたて・夏の生酒・ひやおろし・冬の熟成酒というように、一本の仕込みで四つの味を楽しめるかと…。)

甑倒し

今年は3月14日が甑倒し(米の蒸しが終わり仕込みの終了を指す)です。弊社にとって129回目、佐藤新杜氏にとっては初めての仕込みが終わります。本当に色々有りました。色々やりました。しかし、結果は皆様に飲んで頂いた時に初めて出てきます。皆様の声を受け、検討し、次の酒造りに向かうのです。ですから今は、天寿新時代の始まりでしかありません。これから造り上げて行くのです。

天寿では「感動を持って味わって頂ける酒造り」を目指しておりますが、それは、どんな酒でしょう?世界中からアルコール飲料が雪崩れ込んでおり、ワインブームがあり、焼酎ブームがあり、その多様な嗜好品の中で飲まれる量が激減している清酒の中、天寿を好みとして飲んで頂けるには?経済状況が悪化し、低価格な物にどんどん流れていく中で、世界で一番高価な米を使用して醸す清酒、その中で天寿を指名して頂く為には?

深い混沌の中でもみくしゃになりながらも、思いを実現するためには、「原点に立つ」事しかありませんでした。蔵での造りの見直しも全て「原点・基本」の忠実な実現です。今売れている酒質を真似ても意味は無く、雑誌で珍重がられる家族で造る500石の蔵になることも出来ません。しかし、造りの一本一本を精米歩合とは関係なく、芸術品のように心血を注いでいく事は出来ます。

「原点」とは本当に厳しいものだと思います。目指して初めてその厳しい現実にぶつかります。目指して初めてその高さに気が付きます。結果は全て酒に現れるものだと実感します。造る者の「姿勢」と「思い」がそのまま現れるのです。(恐ろしい事に…

今年の酒が今の天寿です。まだまだ努力が足りないとは思いますが、「思い」は沢山つまっています。

一人でも多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

蔵のページ

天寿気質

杜氏 佐藤俊二

「ええ酒(良い酒)造りたい」。毎年造り前に思っていますが、杜氏一年目の今年は尚一層その思いが強く、又、責任の重さに緊張感を持って臨みました。

酒造りは、精米、釜、麹、酒母、もろみ、槽(ふね)全ての工程で最善を尽くします。

蔵人は職人(プロ)ですから良いものを目指せば目指す程、どの様に最善を尽くすかを真剣に考えます。その為、酒種毎の何をどの様に向上させるのか?明確な目標を提示し、各担当が理解した上で一丸となって取り組むことが重要です。曖昧な指示など出来ませんでした。

一般的に、仕事にこだわりがあると自分の職責にのみ固執する場合が有りますが、「天寿」の蔵には柔軟性が有ります。

酒造りの一日に各工程の仕事の繁閑は存在します。その時、蔵の中では互いに時間を融通し他工程へ出かけます。そこで気づいたことや行き詰まった事など、職責を超えて気軽に話し合える雰囲気があるのです。

今年、秋田県立大生二名がインターンシップ研修で蔵を訪れ、一週間寝食を共にしました。吟醸酒の搾りを含め、普段通りの仕事をいつものように行い、彼らの希望もあって特別扱いは一切有りませんでした。実習の感想文に「各工程で香りを嗅いだり手で触ったり直接ふれることで勉強になった(中略)本当にチームワークの良い蔵だと思った。その良さが酒に表現されていると思う。改めて人間関係の大切さを実感させられた(後略)」とあり、最大級の褒め言葉を頂いた感がありました。学生に仕事を教えた蔵人共々喜びを分かち合いました。

この様に天寿の蔵人は単に働きに来るのではなく、皆でええ酒を造り、互いに教え合うという気構えを伝統的に持っています。これは天寿の杜氏代々の賜です。私も蔵人と同じ仕事をし、天寿気質を身に付けてきました。

間もなく造りも終盤です。出来上がった酒が「天寿」の蔵を想像させる「ええ酒」であることを願ってやみません。

社員の紹介

総務課

佐藤 玲子(さとう れいこ)

昭和?年十月九日生れ

天寿の窓口である総務課の大ベテランです。女性陣のリーダーとして、チーフを務める、んめものや・イベント等に先頭に立ってアイデアの捻出に余念がない。いつも明るく若々しい声で応対しています。天寿にお電話頂いた方はきっと話をしていらっしゃると思います。

玲子の独り言

まだまだ若い?人達には負けてられないわ!。

お客様が「何をお求めか」「どうしたら一番喜んでいただけるか」を考えて頑張れば、厳しい時代ではありますがきっと女神が微笑んでくれると思っています。お電話をお待ちしております。

蔵元通信のバックナンバー(PDFファイル)をご覧になるためには、Adobe Acrobat Readerが必要です。
Acrobat Readerはこちらからダウンロードできます。

バックナンバー


お電話でのお問い合わせ

0184-55-3165

フリーダイヤル:0120-50-3165

平日8:00~17:00

20歳未満のアルコール類の購入や飲酒は法律で禁止されています。