「和醸良酒」への思い
代表取締役社長 大井建史
明けましておめでとうございます。平素のご愛顧に心より御礼申し上げます。
天寿では現在、杜氏の威信をかけた大吟醸仕込みの真っ最中で、造り蔵全体に清々しい緊張感が満ちております。
今年も、全てを見直しており、精米・洗米・酵母選定・麹・酒質タイプなどをより鮮明に、さらに向上させながらもあくまでも天寿らしいお酒をと、蔵を上げ頑張っております。
昨年は天変地異の年でした。連続して襲い来る台風・新潟の地震・最後には広島の原爆以来の、一瞬にして莫大な死傷者を出したスマトラの大地震と大津波。自然の脅威と言うには余りにも恐ろしく、地球の上で生かされている事を改めて実感させられる年でした。(それに比べてイラクの戦争や北朝鮮問題等、なんと悲しく愚かしい事か…)
社長を受け継いで六年目となりました。百三十一度目の酒造りをさせてもらえる有り難さを噛締めて、是非「これこそ」と言われる酒を目指したいと思います。 ご案内のとおり、この5年間で色々な設備の更新・「社員一丸体制」を目指した組織改革等行って参りましたが、これも私を含めて天寿社員全員の方向性の統一と資質の向上、そして何よりも全員が同じ目標を追い求められる社員一丸体制、つまり柔軟で強靭な「和」を全員で作り上げる事を目指しております。そして、これこそが「世界に通用する銘醸蔵」になれる道、和醸良酒だと思います。
私の未熟・非才ゆえに遅々としておりますが、世界に通用する名醸蔵を目指し、お客様は常に正しいと認識し、会社の、或いは自分の有るべき姿を求め、自信と誇りの持てる仕事をするために、現在の天寿の歴史を担う一人として「今」自分に何が出来るのか良く見つめ、新年にあたり四股を踏みなおして精進して参ります。
本年もご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。
130周年を迎える 天寿の歴史ー5
五代目永吉 その五
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
昭和四十九年九月二十三日矢島高校の体育館を会場に、創業百周年の記念式典と祝賀会が盛大に行われた。来賓、地元本荘由利、秋田市の卸・小売の得意先、併せて三百人余、祝賀会は本荘芸妓連の舞台や、民謡、手踊り、その頃企業竿灯で参加していた「天寿」の竿灯を入れた秋田竿灯会の妙技など、賑やかに、華やかにとり行なわれ、会社の勢いを示す創業以来の一大イベントであった。
五代目は社長挨拶で「我社では、皆様に良い酒《天寿》を飲んで、大いに天寿を楽しんでいただくようにと、常に研究を怠らず業に励んで参ったのでありまして、戦前より全国品評会において優等賞、東北や県の品評会でも常に上位入賞の栄を得ております。
今、創業一世紀を終え、二世紀に向かって歩みを進める時、あたかも酒造業界は完全自由化の時代を迎えようとしております。激動する将来に思いを致し全社員一本となって益々技術の研鑽に励み、経営の近代化、合理化に努め、サービスの一層の向上を図って皆様の日頃のご好意とご支援に報いたい所存でございます。」と感謝と今後の決意を述べ、永年勤続社員二十名の表彰を行った。
また、百周年を記念して、郡市内の八十八才以上の方々の長寿をお祝いし、一升徳利入り「天寿百年」をそれぞれのご自宅にお届けし、大変喜ばれた。このサービスはいろいろ変化しながらも百三十周年の現在まで続けられている。
時を同じくして、清酒生産の完全自由化が四十九年七月にスタートし、業界はまさに自由競争の時代に突入したのであった。酒造業界には四十年代前半のいざなぎ景気もあって拡大路線をとる会社が多く、全国の出荷量は一気に一千万石に迫った。
当社は販売量の増加に伴い、毎年のように設備投資を行い、製造能力も飛躍的に向上、昭和五十一年に課税移出数量のピークを迎えることとなるが、その前年の昭和五十年、百周年の式典の日から丁度一年後の九月二十三日、五代目は天寿の歴史に大きな足跡を残して八十二才の生涯を閉じたのである。





