「和醸良酒」
代表取締役社長 大井建史
それにしても今年は異様に雪の少ない冬でした。雪室貯蔵の雪室作りにも困るような状態です。「大雪に不作なし」と言う言葉は有りますが、その反対の場合はどうなるのだろうと心配になるこの頃です。今期の米価の値上がりに付いては深刻で、酒造り終盤の今でも酒造組合では米価の交渉中です。県内の酒造好適米については、極端な不作ではなかったにもかかわらず、減収以上の大きな値上がりになりそうです。
2月14日の蔵開放には1500名もの皆様にご来場頂き、心から感謝申し上げます。お客様に天寿の姿勢と心意気を感じていただこうと、現在の形式としてから5回目のイベントでした。ご来場者数増加に伴うスタッフ不足の問題に、弊社のOBや親しい方々が、ボランティアスタッフとして力を貸してくださり、共にこのイベントを作り上げました。この様な方々のご協力があればこそ出来得た事で、この紙面を借りて重ねて御礼申し上げます。
昨年からはせっかくご来場頂く皆様に、更に楽しんで頂きながら矢島町のイメージアップも図ろうと、青団連(矢島町青年団体連絡協議会)が冬祭りを同時に行うようになり、より賑わいを見せるようになりました。天寿のイベントが町の活性化の一助に成れましたのも皆様のご参加のお陰であり、弊社と致しましても欣快とするところであります。
3月5日に甑倒し(蒸米作業が終わる事)となりました。弊社にとっての百三十回目、佐藤杜氏の二回目の甑倒しです。もちろん全ての作業が終わる皆造までにはまだ日数はありますが、蔵の中では大きな節目です。この日は、私と杜氏がそれぞれ最近見学させて頂いた酒蔵の報告と、仕込み作業の反省会も行いました。色々な改善提案とその結果を議論致しました。その後の懇親会では、今年受け入れの多かったインターンシップ(計8名)や仕込み体験申込者の話題となりました。中々良い酒のつまみに成りましたので、突然クシャミが出始めた人もいる筈です。
この人達が天寿の蔵で感じた共通の反応は、
①蔵人が自分の仕事に責任を持ち、誇りをもっている事。
②蔵人が自分の仕事を良く理解し、全体を眺め不足のところに自分の判断で助力に行く流れがスムーズな事。
③杜氏の酒造り(姿勢)の話に納得するし、蔵人が杜氏の姿勢に共感を持っている事。
④社長と杜氏の話が一致している事。
感動しました。杜氏と蔵人のお陰です。私の理想とする全社一丸体制のスタートに立てた気がします。
新種の花酵母3種を仕込みました。今年は全部で5種類です。お馴染みの撫子と日々草の他に、マリーゴールド・しゃくなげ・アベリアの3種です。マリーゴールドは協会酵母よりリンゴ酸の生成が多くさわやかな酸味が特徴です。しゃくなげは9号酵母のような酢酸イソアミル系の香り・アベリアは撫子と同じカプロン酸系ですが、より品の良い香りの酵母でした。
前にもご説明しましたが、花酵母は本来分離法を開発した東京農大短期大学部の中田久保教授の名を頂き、中田酵母と呼ぶべきだと私は考えたのですが、先生がその名を許さないので花酵母と呼ぶことになったのです。自然界に酵母の好む糖分が有る所は限られており、経験上蜜の有る花から清酒酵母が沢山分離される事からその名になりました。この名から花の香りがするだろうと誤解される方がいらっしゃいますが、清酒酵母ですので吟醸香はすれども、その花の香りは致しません。(敢えて説明させていただきました)
一つの花から沢山の酵母が分離されるのですが、純粋分離されたその中から、多くの実験を重ね、醸造特性の特に良い清酒酵母が花酵母と呼ばれるのです。これは、歴史上初めて、清酒もろみ以外の自然界から清酒酵母が分離された画期的な事なのです。新酵母なので花酵母研究会メンバーもその良さを最大限に引き出す努力をしており、年々質的向上が図られております。今後も是非ご期待下さい。
130周年を迎える 天寿の歴史(三)ー2
四代目永吉の巻その二
代表取締役会長
六代目 大井 永吉
四代目の妻トミエは夫亡き後も長生きした三代目永吉夫妻によく仕えた。経理面に優れ金庫番でもあった。当時は店頭の一斗ほど入る焼き物の容器へ蔵から試桶で酒をはこび、枡で量り売りをしていたので小売の日銭が入ったが、毎日の現金残高を数えるために硬貨を掌に重ねて握り、親指で弾くようにさっと畳の上に十枚ずつ並べていく手際は正に熟練の技で、幼い私にはまるで手品のように見えたものだった。
創業のころはわずか八十石に過ぎなかった造石数が、大正期には三百五十石に伸びを示している。
酒造原料米は主として地元米穀商から買い受けたが品種は「亀の尾」が主であった。ただし品評会に備えて備前米の「雄町」なども使用していたようである。又、大正二、三年のころ米酒交換の事実もあったようだ。
明治から大正初期の小売の容器はほとんどが樽で一升樽・二升樽があり、今の瓶集めの様に樽を集める人を樽拾いと言っていた様だ。量り売りには徳利を持って買いに来たものであった。小売店(曳き酒屋と言った)への直卸、本荘支店への輸送は二斗樽や四斗樽で荷馬車便に頼っている。
酒の価格は由利酒造組合が決定したころは、一升二十五銭から三十五銭台を上げ下げしていたようだが、大正時代になると一石六十円から九十円と高騰している。
トミエは長男の五代目が中学校(旧制)を出、東京の醸造試験所で研修して帰るまでの間、大福帳の記帳など経理はもとより経営全般を支え、若い五代目永吉をよく補佐し事業の発展に大きな内助の功を積んで九十二歳で天寿をまっとうした。
天寿賛歌
汲みあげて 永き齢を保つべし
名も天寿てふ酒のいずみを
よろづよも いや栄えませ天寿てふ
ささの杯重ねかさねて
つるかめのよはひも君やしのくらん
名も天寿なるうまし酒にて
四代目の弟国治(本荘支店経営者)が、母のぶの米寿を祝い歌の道の知友から寄せていただいた七百首を越える祝歌、祝句を編集した冊子(昭和十三年刊)