積善家必有餘慶
代表取締役社長 大井建史
矢島の里は、今桜が満開です。蔵人はそれぞれの自宅に帰り、田植えの準備に勤しんでいる頃でしょう。蔵の中は片付け掃除が終わり、 静寂の中で熟成を待つ体制となりました。冷蔵倉庫の中は、壜貯蔵されたお酒で満杯状況です。
私共の蔵は、 私が大学一年の時の壜詰め工場火災と、蔵内を流れる千砂利川の改修工事で創業以来の建物は本宅だけとなっております。その築百七十年を超える仏間の仏壇横の柱に、「積善家必有餘慶」と書かれた木の札が掛かっております。くすんで文字も分からない様な状態ですが、三代目与四郎の書いた物だそうです。初めてそれに気付いて父に聞いたのは、私が家業に入って直ぐの二十年近く前の事ですが、妙に心に残りました。
先日、 七十代後半の創業社長と知り合い、 戦前のエピソードを聞く機会が有りました。 その方がかなり小さい頃、 ご祖父が弊社に来られて土下座をしてお願いしていたのを覚えていると言われました。 土下座と聞いて大変驚きました。しかし、良く内容を聞いて見ると、 その方はその時受け入れられた事への感謝を伝えたかったのでした。 この様名私の知らないエピソードがどれほど有るのか想像もつきません。
五代目と六代目は地元の為に、町議会議長や大部落 (財産区に近いもの)の総代等、様々な役を勤めてきました。 私も青年会議所や商工会青年部 ・ 消防団等、自分成りに一生懸命やって来てはおりますが・・・。
善とは何を指すのでしょう。人間の価値観はその人間が経験してきた人生の中で形成された物差し(価値観)でしか計る事は出来ません。自分の物差しの長さでしか物事は計れず、その長さは必ずしも年齢には比例しないと思います。
近年の経済状況等の厳しさの中で、ゆとりと言う言葉は遥か遠い目標のような気がしてしまう今日この頃ですが、今の自分が出来る「善を積む」とはどんな事なのか?酒造りをしながら出来る事はどんな事なのか?天寿酒造の社長として出来る事はどんなことなのか?自分の短い物差しで「積善家必有餘慶」と書かれた書に向かって考えてしまいました。
静寂を迎えた蔵で桜咲く中、ささやかな自省の時を持つ事が出来ましたが、文字にすると赤面するばかりです。
今後とも精進して参りますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。
130周年を迎える天寿の歴史
五代目永吉の飛躍その一
代表取締役会長 大井 永吉
五代目は明治二十六年一月一日に生まれ幼名を昌助といった。旧制本荘中学在学中は、特待生として授業料を免除される文武に優れた生徒だった。
若くして (十五歳) 四代目と死別し苦労したが、 免除された授業料を貯めておいて妹の嫁入りの餞にコートを贈るなど家族思いの人でもあったと、 贈られた叔母本人から聞いたことがある。
大正元年東京滝の川醸造試験所に長期講習生として酒造技術を研鑽、矢部偵造、江田鎌治郎、鹿又親など科学的近代清酒製造技術の先覚、偉大な先生方の教えを受け、 当時の最新技術を身につけて帰郷、 その後酒質は飛躍的に進歩向上しり上げ増進の原因となった。
創業当時の小規模な製造場では間に合わなくなり、 隣地を買収して増改築、また昭和三年に従来の銘柄、 「玉の井」 「稲の花」 「大井川」「天寿」 の中から上等酒に付けていた 「天寿」 一本にしぼって世に問うた。 この酒名が愛飲家に喜ばれ、 「天寿」 の名が酒質の良さと相俟って広く知れ渡った。
ここで代表銘柄 「天寿」 の由来について述べてみる。
人生わずか五十年といった時代の七十才といえば、まさに「古来稀なり」であったと思われる。今でも「古希の祝」として祝福する。七十七歳は「喜寿」、八十八歳は「米寿」その上になると「白寿」である。白寿とは九十九歳のこと、百から上部の一画をとると白になる。百から一をとって九十九、即ち「白寿」と洒落たわけだろう。この白寿以上の齢を即ち「天寿」という。
五代目永吉の祖母ノブの喜寿のお祝いのとき、当時中国の青島にいた甥の遠藤文哉氏から喜寿を祝福して六枚の拓本を贈られた。一枚の大きさが一尺余、その中の「天」であえい「寿」であった。その二枚を「天寿」に組み扁額にして居間にかけてあったが、良い新種ができ新しい銘柄を考えていて、ハタと膝を打ち「これだ・・・」といったという。
この拓本は中国の山東省にある泰山の頂上に近い磨崖に、古く後魏の時代に刻まれたといわれる千余文字の金剛経の中の二字なのである。
「泰山の安きに...。」といわれるように天下第一を誇る中国の名山で地質学上、古生代、寒武利亜紀の片麻岩といわれ、地球最古の岩の山とされている。
治乱興亡幾万年、 西は黄河の流れる広漠たる大平原、 東は雲海斗置く旭日を迎える大自然の中に、泰山はそそり立っており、 有史この方泰の始皇帝の時代から数々の名跡を残されている。この文字も二千年の昔を物語る目出度い「天寿」なのである。
顧客の百の齢まで幸せに生きることを願い、歳月だけが刻む込むことのできる風格を込めて酒名に戴いたものである。