伝統に新しい 感性をプラスして…
代表取締役社長 大井建史
129回目の酒造り
今年の秋は駆け足で過ぎ去り、十月の下旬から今にも雪が降りそうな天気続きで、冬があっと言う間にそこまで来てしまったという感じです。
酒蔵では佐藤俊二新杜氏のもと、新しい体制での酒造りが始まりました。設備更新をした精米所では、半月前から試運転が始まり、サンプリングと微調整の繰り返しで、これまでよりもかなり偏平精米がやり易く、枯らし期間の調湿能力は抜群に向上しております。又、調整と今年の米の傾向が確定すると、大幅な省力化が可能になる予定なので、毎日期待にドキドキしながら立会っています。
残念ながら今年の米は七月〜八月のとてつもない長雨と低温の影響で、米質は良いとは言えません。抵抗を思い切り下げ、長時間かけてやさしくやさしく精米しても砕け易く、新精米機の性能比較がしづらくて困っています。
しかし、調湿白米タンクの機能は上々で、その後の洗米・浸漬等の原料処理の新しい試みは、今のところ、新杜氏のもくろみ通り、順調に推移しています。
今年も、絶対に一歩でも半歩でも品質の向上を図りたく、全力で取り組んでいるところです。
蔵元通信発刊四年目に
一九九九年私が社長に就任した11月に創刊以来、これまで号外を含めて19回発行し、今回が20回目となりました。
長い伝統と情熱を持って一生懸命酒造りに取り組んでいる私どもの「 思い」を、この秋田の片田舎から、皆様に熱くお伝えしご理解頂く為には…と社員だけで作成し、インクジェットプリンターで1000枚印刷したら、途中からキーキー音がしてきて…笑ってしまいますよね!その後は中古の輪転機で印刷していますが、写りが悪くて読みづらく申し訳ございません。この蔵元通信はホームページにも掲載されており、メールマガジンの配信もさせていただいております。(これも自社制作で、当然ですがカラーです。)
通信を郵送させていただいている方は、弊社から直接お酒を買って頂いた方・蔵見学に来られた方・イベントにご参加頂いた方・私を含む社員と名刺交換をさせて頂いた方です。今では6000人を超える方々に送られて頂いておりますが、稚拙な作りでもあり、何人の方々に読んで頂いているものか、かなり不安ではあります。(折り込み封入作業は社員総出で二日掛かります。メールマガジンでよろしい方は是非お申し出下さい。ご協力宜しくお願い致します。)
今、これこそが私どもの「思い」をお伝えする最善の術と、これからも皆で知恵をしぼりながら続けてまいりますので、益々のご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
蔵のページ
杜氏就任にあたって
杜氏 佐藤俊二
前任の村上杜氏から天寿の酒造りを引き継ぎ、杜氏に就任いたしました。これまで村上杜氏と共に二人三脚で酒造りを行ってきたという自負が有りましたが、いざ酒造期に入り実務に直面している今、仕事量の多さに驚いています。
私の酒造りの実経験はさらに一代前の中野杜氏時代に遡ります。 酒母助手から始まりました。酒母の育成を通じて、米が溶ける、酵母菌が増えるという現象を目の当たりにし、酒造りの面白さ、好奇心が養われたと思っています。又、酵母菌の種類によって細やかに育成法を変えている点も発見でした。
しかし、酒母を担当して得た一番大きな収穫は「酒」に対して畏敬の念を持つことが出来た事だと思っています。これは、酒母助手数年の未熟な時期、酒母師が急病で長期療養が必要となり、酒母育成を責任持って行う様、中野杜氏に言い渡された時の事です。
指示通りの育成操作を行うのではなく、自ら判断しその時々に適切な操作を行う事の難しさを実感し、自分の仕上げた酒母がもろみで順調に発酵する様に祈りました。もし、自分の未熟さの為に失敗してしまったなら、全てがダメになってしまう。と、酒造りの怖さを知りました。それでも事故もなくその年の酒造期を終えられたのは、もちろん私の知らない内に杜氏やもろみ師が上手く調整してくれたためでした。
又、事ある度に「酒見ろ!」と出品酒やろ過した酒を利き酒させてもらいながら「どれえ?(どの酒が良い?の意)」と訓練を積ませてもらいました。杜氏は口癖に「ええ酒lこしぇねばダメなもんだ(よい酒を造らなければダメだ。の意)」と説き、その事は蔵日人全てに浸透し、又、蔵人の誇り、気質でもありました。
中野杜氏から村上杜氏へ天寿の酒造りに対する姿勢は迷うことなく引き継がれ、そして今期から私も蔵人も共々、より「ええ酒」を目指して造りに入ります。今後とも美酒天寿をよろしくお願いいたします。
蔵人の紹介
杜氏 佐藤俊二(さとうしゅんじ)
矢島町出身 昭和三十九年生、
昭和六十一年 東京農大卒業
同年入社
平成五年 二級技能士試験合格
平成十一年 一級技能士試験合格
平成十二年 杜氏試験合格
村上杜氏の下で杜氏補佐を経て
平成十四年 杜氏就任
学生自体はスピード狂でオートバイレースで活躍。
急死に一生の大怪我にも懲りず、郷里に帰っても、レーシングカート(競技用ゴーカート)に熱中していた。
生来の人柄の良さ(?)に加え、仕事に向かえば時間も忘れトコトン追求。若いながら信頼も厚く今年の酒の出来栄えが楽しみだ。
(蔵人 談)